第90話:魔石鉱山の戦い
峡谷の戦闘から、二日。
前方に、鉱山都市グラニットの輪郭が浮上した。
空を突く灰色の煙突からは、どろりと濁った煙が吐き出されている。
「主様、あれが鉱山都市だよ」
隣を歩く、高明度の髪を持つ個体――リーナが指を差す。
ロランは無機質な動作で、首から下げたメモを確認した。
『グラニット:重要拠点。大規模な魔石鉱山を有する』
「敵本隊は鉱山内部に集結。兵力は約二千と推定される」
高輝度の瞳を持つ男――アルベルトが報告を上げる。
その声に含まれる緊張感を、ロランはノイズとして切り捨てた。
瞬時に『タクティカル・ビュー(TV)』が強制起動する。
『脳内温度:44.0℃。冷却効率、限界を突破』
『演算開始。鉱山内部の構造スキャン……完了』
網膜に、青白いグリッド線で構築された三次元地図が展開される。
そこには、異常なまでの熱量を孕んだ結晶体が、無数に点在していた。
『魔石:高エネルギー物質。一定以上の衝撃により連鎖爆発を誘発』
鉱山の入り口付近では、痩せさらびた個体群が、灰色の土にまみれて物理作業を繰り返していた。
「あの個体群は、何を?」
「労働だよ、ロラン。無理やり働かされているんだ」
「労働……」
(その語彙は、何を定義するものだ?)
ロランは思考を巡らせるが、関連する記憶のディレクトリはすでに破壊されている。
グライゼル軍二千が、鉱山の入り口を固めている。
ロランは右手を挙げ、全軍に停止を命じた。
『作戦案A:魔石貯蔵庫への衝撃付与。鉱山全体の崩落を誘発』
『勝率:72.4%』
「ガルド、あそこにある魔石の貯蔵庫を、物理破壊してください」
ロランの声は、冷徹な機械音のように響いた。
だが、巨大な槌を担いだガルドは、その場に釘付けになったように動かない。
「ロラン様……。そんなことをしたら、鉱山全体が崩れる。中にいる労働者たちは――」
「崩れます。それが、敵軍を壊滅させるための最短ルートです」
一切の躊躇なく、ロランは答えた。
なぜ、ガルドの熱量が激しく揺れ、震えているのか。ロランには解析不能だった。
「ロラン! 中には民間人がいるんだぞ!」
アルベルトが叫ぶ。
(民間人……? また、理解不能な変数が現れた)
「主様、別の方法はないの……? お願い」
リーナが、必死の熱量をもって懇願してくる。
ロランは、やむなく再演算を開始した。
『代替案B:正面突破および局地戦』
『勝率:31.2%。推定犠牲者数:800名』
比較データが網膜に表示される。
「案A:勝率72.4%、犠牲300名」
「案B:勝率48.6%(避難工作後)、犠牲200名」
「案Aが最適解です。勝率が最も高い」
「人の命をなんだと思っているんだ!」
アルベルトの怒声。
(命……?)
メモを検索する。
『命:何よりも優先されるべき大切なもの』
(大切……。なぜ。根拠が不明だ)
「お願い……案Bにして……」
リーナの瞳から、灰色の液体が溢れ出した。
なぜ、液体の流出が止まらないのか。なぜ、胸の奥で警告音が鳴り続けるのか。
『エラー:判断基準の不整合。メモの内容と演算結果が衝突』
ロランの視界が激しく点滅する。
数値は案Aを選べと言っている。
だが――メモには、こう書いてある。
『リーナ:大切な人。彼女の言葉は、優先順位が高い』
「……了解しました。案Bを採用します」
なぜ、自ら勝率の低い道を選んだのか。ロラン自身にも説明がつかなかった。
ただ、外部メモに刻まれた「絶対命令」に従っただけ。
リーナたちが鉱山へ潜入し、労働者を避難させていく。
その間、勝率は刻一刻と低下し続けていた。
三十分後。
労働者たちが入り口から溢れ出した。
敵軍が異変に気づく。
「今です。ガルド、対象地点を破壊」
「応よっ!」
ガルドが突入し、座標(X:452, Y:112)を粉砕する。
瞬間、高輝度の熱が連鎖した。
ドドドドドドド!
大地を揺るがす爆発音。
鉱山が、巨大な灰色の土煙を上げて崩落していく。
グライゼル軍の兵力表示が、網膜上で次々と「消去」されていった。
『敵損失:約1200。味方損失:180。作戦、成功』
戦果は、計算通り。
だが、ロランの心に「喜び」というログは書き込まれなかった。
「ロラン……ありがとう。民間人を救ってくれて、本当に……」
駆け寄るアルベルト。その顔を伝う灰色の液体を、ロランはただ見つめる。
「なぜ……感謝されるのか、私には理解できません。戦術的には不合理な選択でした」
「ロラン……君は……」
アルベルトの瞳から、さらに液体が溢れ出す。
ロランには、その熱が何を意味するのか、もう二度と思い出せない。
夜。
ロランは一人、自室でメモを更新していた。
『記憶破棄進行度:90%』
『警告:次回破棄予定――自己認識、個体識別能力』
ペンを動かす指に、感覚はない。
彼は新しく、一行だけメモを書き加えた。
『なぜ案Bを選んだ? 理由:不明。だが、リーナが泣き止んだことを確認』
答えは、出ない。
もはや自分が何者なのか、なぜこの灰色の世界で戦っているのかもわからない。
(私は……)
問いを立てる機能さえ、もうすぐ失われる。
それでも、ロランは立ち続けていた。
メモという名の、剥がれ落ちそうな「自分」を繋ぎ止めながら。
灰色の空。
星さえも色彩を失った世界で、装置は次の演算を開始した。




