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『神の視点 ~零式創世戦記~』  作者: noanoa
第12章:記憶の代償

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第87話:包囲網突破


夜明け前。


ロランは、意識を浮上させた。

低明度の、灰色の天井。

彼は無機質な動作で、壁に貼られた「外部ストレージ」をスキャンする。


『今日は教国の包囲網を突破する』

『私はロラン・フォン・アシュベル』


「……了解」


記号化された情報を脳内の仮設フォルダへ展開し、彼は身体を起こした。

その時、扉が開く。


入ってきたのは、高明度の白磁の髪をした個体。

ロランは、枕元のリストを照合する。


『リーナ:斥候。重要個体』


「主様、おはよう」


個体――リーナが、音波を発した。

ロランは、その音波を受信し、デコードを試みる。


(……おはよう?)


エラー。意味が紐付かない。

音としては聞き取れる。だが、その概念が脳内のライブラリから消失している。

ロランは、壁のメモに視線を走らせた。


『おはよう:朝の定型挨拶。返答すべき語彙』


「……おはよう」


ロランは答えた。

感情の介在しない、ただの音の模倣。

リーナの眉がわずかに下がり、瞳の輝度が不安げに揺れたことに、ロランは気づかない。


朝食の席。

巨大な熱量を帯びた個体――ガルドが、物質(料理)を運んできた。


「ロラン様、朝食です」


「ありがとう」


ロランは答える。

だが、その言葉もまた、メモに従っただけの出力に過ぎない。


(ありがとう……。それは、何を定義する音だったか)


『ありがとう:感謝。利益に対する定型返答』


概念は理解できる。だが、実感が伴わない。

なぜ、この物質を供されることに感謝が必要なのか。

ロランにとって、それは単なる「エネルギーの補給」という事務的プロセスでしかなかった。


戦術会議。

高明度の髪を持つ男――アルベルトが地図を広げる。


「ロラン、教国軍が王都を包囲している。総兵力は2200」


数値が入力された瞬間、ロランの視界に高輝度のグリッド線が走った。

『タクティカル・ビュー(TV)』、自動起動。


『敵兵力:2200。味方兵力:300』

『兵力差:7.33倍。勝率:0.3%』


脳が高速演算を開始する。

周囲の人間が発する声は、もはや意味を持たないノイズとして切り捨てられていく。


「ロラン、聞いているか?」


アルベルトが呼びかける。

ロランは、その音波を受信する。


(聞いているか……。それは、情報の受信確認か)


『会話の基本:問いには肯定、または否定を返すべき』


「ええ」


ロランは機械的に答えた。

アルベルトが、悲痛な熱を帯びた瞳でロランを見つめる。


「ロラン、本当に大丈夫か?」


(大丈夫……? それは、機体の整合性を問うているのか)


『大丈夫:異常なしの状態を示す語』


「……異常ありません」


ロランはメモの内容をなぞり、出力した。

その時、頭蓋の奥で警告灯が激しく明滅した。


『脳内温度:41.5℃』

『警告:記憶領域への過負荷。言語野のパージを継続』

『進行度:68%』


(……言語が、消えていく)


「おはよう」も「ありがとう」も、今はただの空虚な記号だ。

ロランにとっての世界は、意味を剥ぎ取られた「数値」と「座標」だけの荒野へと変貌していく。


「ロラン、作戦は?」


「北へ、突破します」


ロランの声は、冷徹な合成音声のように響いた。

「東西へ陽動を展開。本隊は北の街道を全速力で突破。成功率、47.3%」


「47%……それで、大丈夫なのか!?」


(大丈夫……? また、その音波か)


「最大値です」


淡々とした回答。

アルベルトは、唇を噛み、絶望を押し殺すように頷いた。


夜。作戦開始。


東と西で、激しい熱源(松明)が揺れる。

教国軍の配置データがリアルタイムで書き換えられていく。


ロランは馬上で、視界を完全に数値化していた。

風景は消え、そこにあるのは移動するドットとベクトルのみ。


『敵兵:300→200。東へ流出を確認』

『突破確率:61.8%に上昇。時間制限:12分』


「主様! 前方に敵!」


リーナの声。

前方50メートルの座標に、灰色の障害物(敵兵)が出現。


『敵兵:50。交戦時間:480秒。ロス。間に合わない』


「迂回。左へ30度。距離500メートル」


「はい!」


ロランの演算に、一切の迷いはない。

連隊は、あらかじめ引かれた計算上のラインを正確になぞる。

敵との距離が離れていく。追いつかれる確率は、もはや無視できるレベルだ。


そして――包囲網の突破に成功した。


「成功だ……! ロラン、君は本当に――」


アルベルトが叫び、ロランの肩を掴んだ。

その熱量を、ロランは不快なノイズとして検知する。


「ロラン、大丈夫か!」


(ロラン……?)


ロランは、思考の海で足を止めた。

(ロラン……それは、何を指す変数だ?)


メモを確認する。

『私はロラン・フォン・アシュベル』


「ロラン……」


彼は、その音を出してみた。

だが、その名が自分という存在を定義している実感が、どこにもない。

ただの、文字列。

ただの、音響データ。


『脳内温度:42.0℃』

『警告:臨界域突入。自己認識のパージを加速』

『進行度:70%』


(自分が、誰なのか……分からない)


「ロラン……!」


アルベルトが、何かを叫んでいる。

だが、ロランにはもう、その言葉の意味が届かない。

「ロラン」という記号を、彼自身が拒絶し始めていた。


安全圏へ逃れた後。

ロランは一人、無機質な椅子に腰掛けていた。

壁一面のメモを、死んだ魚のような瞳で見つめる。


『私はロラン・フォン・アシュベル』

『ロラン:誰?』

『私:誰?』


新しい問いが、彼の指を動かした。

自分が誰なのか。自分という概念が、脳内のどこを探しても見つからない。


扉が開き、リーナが入ってきた。

高明度の少女。彼女の瞳から、灰色の液体(涙)が零れている。


「主様……私のこと、わかる?」


(わかる……? 認識の照合か)


メモを参照。

『リーナ:斥候。最初の仲間。大切な存在』


「リーナ。斥候」


ロランは、淡々と属性を読み上げた。

リーナが声を上げて泣き崩れる。

その絶望も、その愛も、今のロランには「理解不能なバグ」でしかなかった。


(ここは、どこだ)

(私は、誰だ)


ロランは窓の外を見上げた。

灰色の夜空。意味を失った星々。


(守らなければ……)


なぜ。

誰を。


(メモに、書いてあるから)


目的さえも、外部からの命令データに依存し始めた「装置」。

ロラン・フォン・アシュベルであったはずの「何か」は、灰色の闇の中で、ただ次なる演算を開始した。





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