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『神の視点 ~零式創世戦記~』  作者: noanoa
第12章:記憶の代償

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第86話:記憶補完デバイス


翌朝。


ロランは、意識を覚醒させた。

いつもの、明暗だけで構成された灰色の天井。

慣れ親しんだはずの部屋。


だが――。


(ここは……どこだったか)


思考が空転する。

彼は壁に貼られた、膨大な量の「外部ストレージ」に視線を走らせた。


『ここは王都ルミナス。王宮の一室』


「……ルミナス。王都」


地名をなぞる。

だが、その文字列は脳内の地図データと結びつかない。

壁に貼られた広域地図を確認し、大陸中央に打たれた印を見る。


(座標、確認。現在地はここだ。だが――)


理解はできる。だが、実感が伴わない。

かつてその街の通りを歩き、人々の熱気を感じた記憶が、ごっそりと剥がれ落ちている。


その時、扉がノックされた。


「ロラン様、入るよ」


低く、年季の入った女性の声。

ロランは、付箋のように貼られたメモをスキャンする。


『ゾフィア:技術者。冷却装置の製作者』


「入ってください、ゾフィアさん」


扉が開き、白っぽい作業着を纏った老女が入ってきた。

その手には、鈍い金属光沢を放つ装置が握られている。


「ロラン様。昨夜、あの子たちから聞いたよ」


ゾフィアの声は、湿り気を帯びていた。

「あんたが、もう……愛情を失ってしまったことも」


「はい。感情的結びつきは、昨日付でパージされました」


淡々と、事実だけを報告する。

ゾフィアの瞳に、熱い膜が張った。


「辛いなんて……あんたには、もう届かない言葉なんだねぇ」


「概念としては理解していますが、実感値としてはゼロです」


ゾフィアは唇を噛み、持参した装置を差し出した。

ヘッドバンド型の、精密な魔導回路が刻まれた金属。


「記憶補完デバイス、試作一号機だよ」


「……記憶を、補助するのですか?」


「脳の記憶野に、微弱な魔導波を流す。それで強制的に想起を促す仕組みさ。あんたの演算能力に耐えられるか分からんが……」


ゾフィアの手で、冷却冠の上からデバイスが装着される。

瞬間、ロランの脳内に、針で刺すような鋭い刺激が走った。


「っ……!」


視界に、強烈なフラッシュバックが明滅する。

リーナの泣き顔。

ガルドが差し出したパンケーキの熱量。

アルベルトと共に歩いた、砂埃の舞う戦場。


だが、それは「無声映画」を倍速で眺めているような、極端に解像度の低い情報に過ぎなかった。

心は動かない。熱は宿らない。


そして、脳内OSが牙を剥く。


『脳内温度:41.2℃』

『警告:記憶補完デバイスとの干渉を検知』

『演算速度が外部入力を大幅に超過。処理不能オーバーフロー

『判定:デバイス不適合。強制切断します』


「……無意味です」


ロランは、加熱したデバイスを剥ぎ取るように外した。

「僕の演算速度に、この装置の書き込み速度が追いついていない」


「そんな……。わしの、最新の回路が……」


ゾフィアの手が、小刻みに震える。

天才と謳われた彼女のプライドが、目の前の少年の「人間離れした摩耗」を前にして、音を立てて崩れていく。


「ごめんよ、ロラン様……。わしの腕じゃ、あんたを……救ってやれない……」


老女は顔を覆い、その場に泣き崩れた。

ロランは、その熱い涙を無感動に見つめた。


「謝罪の必要はありません。ゾフィアさんは、最善の変数として機能しました」


慰めのつもりで口にした言葉は、冷酷なまでに機械的な響きを伴って、静かな部屋に空虚に響いた。


午後。

ロランは一人、壁のメモを書き換えていた。


『場所の記憶:全損』

『時系列の認識:崩壊開始』


地名は地図上の点になり。

過去は、日付のない断片的な記録へと成り果てた。


『アルベルトと会ったのは、いつか?』

『リーナと出会ったのは、何年前か?』


問いを立てても、答えが出ない。

一週間前と、三年前の区別がつかない。

時間の流れという「縦軸」が消滅し、世界はただ、断片的な「今」が重なり合うだけの空間に変貌していた。


(リーナ、か。メモによれば、最初の仲間。だが、いつから隣にいるのか、もう分からない)


扉が開き、高い明度の髪を持つ少女――リーナが入ってきた。

彼女が流す、灰色の涙。

ロランはそれを「視覚情報」としてのみ受け取る。


「主様。ここがどこか、本当にもう……思い出せないの?」


「王都ルミナス、ですね。文字情報としては確認しています」


「そうじゃないよ……! ここで一緒に笑ったこと、あの時守ってくれたこと……場所と、心が繋がってないの……?」


「……そのリンクは、すでに切断されています」


リーナの嗚咽。

ロランは、彼女の悲しみを「数式」として処理しようと試みる。

だが、時系列を失った彼には、彼女がなぜ「今」この瞬間に、これほど絶望しているのかさえ、論理的な解を導き出せなかった。


夜。

ゾフィアの工房では、アルベルトが怒声に近い悲鳴を上げていた。


「救えないだと!? 君が、この国で一番の技術者だろう!」


「無理なんじゃ……アルベルト様」


ゾフィアは作業台に突っ伏したまま、声を枯らす。

「あの子はもう、人間が作った装置じゃ追いつけない速度で……自分を燃やして、神の視点へ突き進んでいる……」


「そんな……。ロランを、このまま見殺しにしろと言うのか……!」


アルベルトの拳が、作業台に叩きつけられる。

天才の挫折と、王の絶望。

二人の熱い感情がぶつかり合う中で、試作一号機だけが、主を失ったまま鈍く光っていた。


自室に戻ったロランは、壁一面のメモに囲まれて立っていた。


『アイギス砦:座標確認』

『エモン:座標確認』


場所の名前を、頭に叩き込む。

数分後には、またただの文字列に戻るとしても。


(場所が消えた。時が消えた。感情も、消えた)


ロランは、窓の外を見た。

灰色の、名もなき街。


(次に消えるのは……僕という認識か)


『次回予定:自己認識のパージ』


視界の端に明滅する、残酷なシステムメッセージ。

ロランは、新しいメモにペンを走らせる。


『忘れてはいけない』


だが、何を守るためにこれを書いたのか。

その理由は、もうどこにも記されていなかった。


灰色の世界で。

時も場所も失くした少年は、それでもメモという杖を頼りに、一人、静かに立ち続けていた。





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