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『神の視点 ~零式創世戦記~』  作者: noanoa
第12章:記憶の代償

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第84話:仲間の名前が出ない


翌朝。


ロランは、意識の表層へと浮上した。

視界を占めるのは、濃淡のみで構成された灰色の天井。

いつもの光景。代わり映えのしない、色彩のない世界。


彼は機械的な動作で視線を壁へと這わせた。

そこに貼られた「外部記憶」を確認するためだ。


『味方:アルベルト、リーナ、ガルド、ハンス、エレン、セシリア』

『場所:王都ルミナス』

『自己:ロラン・フォン・アシュベル』


文字をなぞり、情報を脳内の仮設フォルダへ展開する。

「よし」と短く呟き、ロランは身体を起こした。


その時、扉が控えめに叩かれた。


「主様、起きてる?」


聞き覚えのある周波数。

耳に馴染んだ、柔らかな女性の声。

大切な存在であるという「記録」だけは、胸の奥に澱のように残っている。


だが――。


(……誰だ?)


検索エラー。

ロランは無機質な視線で、再び壁のリストを走らせた。

この中の、誰かだ。


「入ってくれ」


扉が開き、一人の少女が室内に滑り込んできた。

窓からの光を反射して、白磁のように輝く髪。

潤いを帯びた、大きな瞳。


ロランはその「個体」を注視した。

知っている。間違いなく、最初の仲間だ。


だが――名前が、出てこない。

脳内のディレクトリから、その少女を識別する「ラベル」が剥がれ落ちている。


「おはよう、主様」


少女が、親愛の情を込めて微笑む。


「おはよう……えっと……」


ロランは、言葉を濁した。

少女の頬から、わずかに温度が引く。


「主様……私の名前、また忘れたの?」


震える声。

ロランは瞬時に視線を泳がせ、壁のメモをスキャンした。

『リーナ:斥候。白く光る髪の少女。最初の仲間』


「……リーナ」


ようやく、名前を形にする。


「すまない。少し、演算に集中していた」


だが、リーナの瞳には熱い液体が溜まっていた。


「主様、嘘だよ……」


リーナの声が、消え入りそうなほど細くなる。

「私の名前……メモを見るまで、わからなかったんでしょ」


ロランは答えなかった。

肯定も否定も、無駄なリソースを消費するだけだ。

抱きしめてきたリーナから、高い体温が伝わってくる。


その熱の主が「リーナ」であると認識するために、彼は三秒以上の時間を要した。


朝食の席。

視界の端に、壁のような厚みを持つ巨大な熱源が現れた。

巨漢。穏やかな相貌。

ロランはその「物体」をデータと照合する。


(名前は……何だったか)


壁のメモを反芻する。

『ガルド:料理人。巨漢。熱を帯びた声の男』


「ロラン様、おはようございます」


「おはよう……」


ロランは答えた。だが、返すべき固有名詞が喉に張り付いて出てこない。


「今日は、生地の弾力を重視したパンケーキです。食感を楽しんでください」


「ありがとう……ええと……」


再びの、空白。

男の笑顔が、石像のように硬直した。


「ロラン様……。俺の名前……消えましたか……?」


ロランは脳内でリストを再読した。

「……ガルド」


「……そうですか」


ガルドの声から、光量が失われる。

「でも、大丈夫です。俺が、ロラン様の分まで覚えておきますから」


ロランはその言葉を「好意的提案」として受領した。

胸の奥で、かすかな痛みが走った気がした。

だが、そのノイズも次の瞬間には、高い脳内温度によって焼き切られていった。


午前。会議室。

正面に座る「王」と呼ばれる男。

白金の輝きを持つ髪と、空を溶かしたような高い明度の瞳。


ロランはその顔を、幾何学的なパターンとして認識する。

知っている。親友だ。命を預け合う仲だ。


(……名前が、出てこない)


『アルベルト:王。親友。黄金(高明度)の髪を持つ男』


「ロラン、教国の対策だが……」


王――アルベルトが、深刻な面持ちで語りかける。

その言葉の中に「セシリア」という名が混じる。


(セシリア……。誰だ?)


三秒。メモを検索。

『セシリア:聖女。盲目。魔力の熱量を視る者』

合致。


「ロラン?」


アルベルトが話を止め、覗き込むように聞いた。

「聞いているか?」


「……ああ。問題ない。続けてくれ」


「君は、最近……」


アルベルトの声が、微かに震えている。

彼は静かに、だが逃げ場を塞ぐような鋭い視線で問いかけた。


「ロラン。一つ、試させてくれ。俺の名前を、言ってみてくれ」


心臓の鼓動が、演算のリズムを乱す。

さっき、メモで確認したはずだ。

アルベルト。アルベルト。アルベルト。


だが、口を開こうとした瞬間、その文字列が、砂のように指の間からこぼれ落ちていく。


沈黙。

部屋の時計が刻む音だけが、不自然に大きく響く。

十秒。十五秒。


ロランは膝の上に置いたメモ帳を、盗み見るように開いた。

『アルベルト』


「……アルベルト、様」


ようやく、音になった。

だが、十五秒という空白は、あまりにも残酷だった。


アルベルトの瞳から、光が溢れ出す。


「ロラン……。君は、俺の名前さえ……そんなに苦労しないと、思い出せないのか……」


「すまない」


ロランは、淡々と謝罪を口にした。

「固有名詞の、保存領域が破損したようだ。メモがなければ、もう何も呼べない」


アルベルトが、ロランの肩を強く掴む。

震える手。熱すぎるほどの体温。

だが、その熱の主が誰なのか、ロランはもう一度メモを確認しなければ、確信が持てなかった。


夜。自室。

ロランは、さらに増えた壁のメモを見つめていた。


『リーナ:大切な人。なぜ大切かは……記録なし』

『アルベルト:友人。なぜ友人かは……データ損耗』


記号化された人間関係。

そこにあるはずの「絆」という熱量は、もはや数式上の係数でしかなかった。


脳内を過負荷の警告が埋め尽くす。


『脳内温度:40.1℃』

『パージ進行度:45%』

『警告:固有名詞の消去を完了。日常ログのパージを開始します』


(……完了、か)


ロランは、自分の内側が空洞になっていくのを感じた。

仲間を呼ぶための「言葉」が、もう自然には湧いてこない。

残っているのは、壁に貼られた紙きれと、僅かな熱の感覚だけ。


扉が開き、純白の衣装を纏った女性が入ってきた。

光のない、だが澄んだ瞳。


(誰だ?)

三秒。メモをスキャン。

『セシリア』


「ロラン様……魔力の色が、消えました」


セシリアが、悲しそうに微笑む。

「あなたの周りには、もう透明な虚無しか残っていない」


「45パーセント、失いました。固有名詞は、すべて」


ロランの声は、もはや人間のものではなかった。

精密に調律された、ただの出力装置。


「それは……どれほど、寂しいことでしょうか」


「わかりません。寂しい、という感覚が……検索にヒットしない」


セシリアが、ロランの手をそっと包み込む。

温かい。

その熱だけが、この灰色の世界で唯一の、リアルな情報だった。


「私は、忘れません。あなたが忘れた、みんなの名前を。私が、あなたの中に繋ぎ止めます」


「……感謝します」


定型文。

だが、それが今のロランにできる、精一杯の「誠実」だった。


深夜。

ロランは一人、新しいメモを壁に刻む。


『ここは、王都ルミナス』

『僕は、戦い続ける』

『仲間のために』


その「仲間」という言葉が、誰を指すのか。

明日の朝、目が覚めた時。

彼はまた、壁のメモに教えを請う……



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