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『神の視点 ~零式創世戦記~』  作者: noanoa
第12章:記憶の代償

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第83話:母の名前忘却


翌朝。


ロランは、灰色の静寂の中で意識を覚醒させた。

光量の乏しい天井。無機質な部屋。

世界は、いつも通り色彩を欠いている。


起き上がろうとした際、指先に硬い感触が触れた。

枕元に置かれていた、鈍く輝く金属のペンダント。


ロランはそれを手に取り、蓋を開ける。

そこには、一人の女性の肖像が描かれていた。

淡い階調で表現された、穏やかに微笑む女性。


だが――。


(……これは、誰だ?)


思考が、ライブラリとの照合に失敗する。

未知の人物。記録にない顔。

ロランは無表情に、壁に貼られた「外部ストレージ(メモ)」へと視線を移した。


『母の名前:エレナ・フォン・アシュベル』

『大切な人。形見のペンダントを肌身離さず持つこと』


「母……。エレナ」


その名前を、唇に乗せてみる。

だが、記号以上の意味は持たなかった。

かつてその名に付随していたはずの、胸を締め付けるような愛着も、懐かしさも、一切がパージされている。


ロランは、冷たいペンダントを握りしめた。

伝わってくるのは、金属の冷感だけ。

そこには、人間的な熱は一滴も残っていなかった。


「主様、起きた?」


扉が開き、リーナが入ってきた。

ロランの手にあるペンダントを見つけると、彼女の瞳に熱い膜が張る。


「あ、お母様の……。大切にしてるんだね、今日も」


「……ああ」


ロランは短く肯定した。

肯定すべきだと、メモに書いてあったからだ。


「主様。エレナ様のこと、ちゃんと覚えてる?」


「エレナ……」


ロランは、その固有名詞を反芻する。

だが、脳内の検索結果は「0件」のままだ。


「誰だ、それは?」


静かな、問いかけだった。

リーナの表情が、一瞬で凍りつく。


「主様……? エレナ様は、あなたのお母様だよ。あなたを、誰よりも愛してくれた……」


「……そうか」


ロランの声は、平坦だった。

知らない他人の美談を聞かされているような、奇妙な疎外感。

リーナは、耐えきれずにロランを抱きしめた。


首筋に触れる、彼女の体温。

震える呼吸。

それは人間らしい「熱」だったが、今のロランには、その熱が何を意味しているのかを解析できない。


「すまない。思い出せないんだ」


淡々と告げるロランの手が、機械的な動作でリーナの頭を撫でる。

そこには、慰めの感情すら介在していなかった。


昼。

会議室に、沈黙が重くのしかかっていた。


対面に座るアルベルトが、絞り出すような声でロランに問う。


「ロラン。一つだけ、答えてくれ」

「何でしょうか」

「君の、母親の名前は」


ロランの演算領域が、猛烈な速度で記憶を検索する。

エレ……。エ……。

昨日まで、確かにそこにあったはずのデータ。


だが、出てこない。

検索結果:Not Found。


「……」


ロランは、無言で首を振った。

アルベルトが、デスクを握りしめる。指の関節が白く浮き出るほどの力。


「ロラン……君は……もう……」


「問題ありません。記憶がなくとも、戦術の立案は可能です」


ロランの返答は、極めて論理的だった。

親友の瞳に宿った悲痛な光すら、彼は「光量の揺らぎ」としてしか観測していない。


「大丈夫です。僕は、戦えます」


冷徹なまでの宣言。

アルベルトは、言葉を失ったまま、ただロランの肩を強く掴み続けるしかなかった。


その夜。

ロランは、自室の壁に新たな紙を貼り付けていた。


『脳内温度:39.8℃』

『パージ進行度:38%』

『警告:仲間の固有名詞、場所の記憶が、削除待機リストに移行』


ペンを握る指先は、迷うことなく動く。

感情が欠落した分、記録への執着が「装置」としての性能を高めていた。


「ロラン様」


背後で、セシリアの声がした。

彼女の「視る」魔力は、ロランの変化を敏感に察知している。


「魔力の色が……さらに透き通っています。まるで、何も存在しない虚空のように」


「38パーセント、消えました」


ロランは振り返らずに答える。


「母の名前も、完全に。今、その名前を読んでも、僕には何の意味も持ちません」


セシリアが、彼の隣に並び、そっとその手に触れた。


「エレナ・フォン・アシュベル様。私だけは、そのお名前を覚えています。あなたの代わりに、私が守ります」


「……助かります」


その感謝すら、あらかじめ設定された定型文のような響きだった。


ロランは、壁一面に並んだメモを見つめる。

そこには、彼の「人生の断片」が記号となって貼り付いている。


『アルベルト:王、友人、守るべき対象』

『リーナ:最初の仲間。銀髪の斥候』


「……次は、君たちの名前か」


ロランは、独り言のように呟いた。

恐怖はない。悲しみもない。

ただ、重要なバックアップを紛失することへの「不便さ」だけを感じていた。


彼は、ペンダントをそっと閉じた。

中にある肖像画の女性が、誰なのか。

今はもう、メモを見なければ答えに辿り着けない。


それでも、ロラン・フォン・アシュベルは戦場に立ち続ける。

人間としての心を切り刻み、灰色の「勝利」へと至る燃料として、すべてを燃やし尽くしながら。


灰色の世界。

記憶なき英雄は、一人、また新たなメモを壁に刻んだ。





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