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『神の視点 ~零式創世戦記~』  作者: noanoa
第12章:記憶の代償

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第81話:セシリアの追跡


教国軍が王都から撤退して、三日が経過した。


深夜。

静寂に包まれた王宮の一室で、セシリアは「視て」いた。


彼女の瞳に光はない。

だが、その意識には世界を満たす「魔力の奔流」が鮮やかに映し出されている。


王都を流れる、穏やかな白や青の輝き。

しかし――その中に、不吉なよどみが混じっていた。


粘りつくような、濃い紫。

傲慢なまでの支配を象徴する、教国の魔力だ。


(追手……。もう、ここまで……)


教皇イノセントの敗北から、わずか三日。

教国は、裏切り者となった聖女を、決して許しはしない。


セシリアは静かに立ち上がった。

手慣れた動作で、質素な法衣と聖典を袋に詰めていく。


(行かなければ。私がここにいれば、あの人まで……)


その時、扉が控えめに叩かれた。


「セシリアさん、入ってもいい?」


リーナの声だった。

セシリアが扉を開けると、そこには狼族特有の鋭い感覚で異変を察知したのか、不安げな表情のリーナが立っていた。


「……荷物、まとめてるの?」


「ええ。教国の刺客が、すぐそこまで来ています」


「刺客……!?」


リーナの顔から血の気が引く。


「今夜、来るでしょう。どろりと濁った、濃い紫の魔力が見える。あの方たちが、私を殺しに来るんです」


震える声で告げるセシリアの肩を、リーナは強く掴んだ。


「主様に、すぐに知らせるわ!」


「待って、リーナさん!」


セシリアがその腕を制する。


「ロラン様を、これ以上巻き込めない。これは、私が教国を裏切った報い……私一人で、決着をつけるべきことなんです」


「そんなの……そんなの、仲間じゃないよ!」


リーナの声が夜の廊下に響く。


「仲間は、助け合うためにいるの。セシリアさんは、もう一人じゃないんだから!」


セシリアの視界が、にじんだ。

魔力の色ではない、熱い体温が瞳から溢れそうになる。


「ありがとう……。でも――」


刹那。

窓が轟音と共に砕け散った。


夜風と共に飛び込んできたのは、闇に溶ける黒い法衣を纏った男。

その手に握られた短剣が、月の光を跳ね返して鈍く輝く。


「聖女セシリア。教国の裏切り者に、神の裁きを」


低く、冷酷な宣告。

刺客が地を蹴り、短剣を振り下ろす。


だが、それよりも早く、銀狼の血を引く少女が動いた。


「させないっ……!」


風を切り裂くような速度。

リーナは刺客の手首を掴むと、そのまま壁へと叩きつけた。


「リーナ、さん!?」


「逃げて、セシリアさん! 私は主様を呼んでくるから!」


リーナは廊下へ飛び出し、叫び声を上げる。

だが、壁に叩きつけられた刺客は、即座に体勢を立て直していた。

常人離れした復帰速度。教国の秘術による強化個体か。


刺客の狙いは、盲目の聖女一点。

セシリアには相手の魔力が見える。だが、それを回避する身体能力はない。


(ここまで、なのですね……)


迫りくる、死の気配。

だが、その瞬間――。


扉が蹴破られ、一人の男が踏み込んできた。


無機質な灰色の視界。

ロランは一瞬で、室内の状況を演算によって「処理」する。


「『タクティカル・ビュー(TV)』、起動」


世界が数式へと分解される。

刺客の重心、筋肉の弛緩、床に転がった水差しの位置。


『刺客座標:確認。接近速度:5.2m/s。迎撃まで、0.44秒』


ロランは、無造作に床の水差しを蹴り飛ばした。

回転しながら滑った磁器が、刺客の足元に吸い込まれる。


「がっ……!?」


足を取られ、刺客の姿勢がわずかに崩れた。

その僅かな隙を、ロランは逃さない。

近くにあった椅子を掴み、計算された最小限の軌道で投げつける。


鈍い打撃音と共に、刺客の顔面に椅子が直撃した。

糸が切れた人形のように、男が床に沈む。


「セシリアさん、怪我は?」


ロランは彼女のもとへ歩み寄った。


「ロラン、様……。申し訳ありません、私のせいで……」


「……」


ロランは答えない。

倒れた刺客を冷めた目で見下ろす。


「リーナ、ガルドとハンスを。こいつを地下牢へ。尋問は後で行う」


「分かったわ!」


数分後、駆けつけた男たちによって刺客が運び出される。

静まり返った部屋で、セシリアはうなだれていた。


「私は……教国を裏切りました。真実を暴いた代償を、払わなければならないんです。だから、私はここを出て――」


「ここにいてください」


ロランの声は、淡々としていた。


「あなたは、僕たちの仲間だ。教国が何を企もうと、関係ない」


「……あ……」


セシリアの目から、大粒の涙が零れ落ちる。


「ロラン様……。私、私は……」


ロランは、震える彼女の手を握った。


(……温かい)


今の彼に分かるのは、色彩ではなく「温度」だけだ。

人間としての確かな熱量。


「大丈夫だ。僕たちが、守る」


その言葉を口にした瞬間。

ロランの脳を、焼きごてを押し当てられたような激痛が貫いた。


脳内温度が、一気に跳ね上がる。


『脳内温度:39.2℃』

『警告:記憶領域への過負荷を確認』

『演算領域確保のため、非重要データのパージを開始します』


視界に明滅するシステムメッセージを、ロランは無機質に見つめた。


(パージ……? 何が、消える……?)


『対象:幼少期の記憶、固有名詞、感情的結びつき』

『推定削減量:15%』


(母さんの、顔……。故郷の……)


「主様!? 顔色が悪いよ!」


リーナの叫びが遠くに聞こえる。

抗う術はない。

灼熱する脳の中で、大切な「何か」が、光の粒子となって霧散していく。


『記憶破棄:完了』

『対象:エレナ・フォン・アシュベルに関する全データ。削除を終了しました』


(……エレナ?)


ロランはその名に、かすかな既視感を覚えた。

だが、それが誰なのか、自分にとってどういう存在だったのか。

検索をかけても、脳内のライブラリは「該当なし」を返すのみ。


「……大丈夫だ。少し、疲れただけだ」


ロランは、冷めた声で呟いた。

もう、かつて自分を慈しんでくれた女性の顔も、声も、名前さえも。

彼にとっては、意味を持たない「欠損したデータ」に過ぎなかった。


翌朝。

王宮の大広間に、アルベルトを筆頭とした主要メンバーが集結していた。


「昨夜、教国の刺客が現れた。狙いはセシリアだ」


アルベルトの鋭い声が響く。


「教国は、まだ諦めていない。我々は総力を挙げて彼女を守る必要がある」


「アルベルト様……。ですが、私がいれば皆様を危険に……」


「そんなことは気にするな。君は我々の仲間だ。見捨てる選択肢など、この国にはない」


セシリアが感極まり、涙を拭う。

その光景を、ロランは端で眺めていた。


灰色の、色彩のない世界。

何も、感じない。


仲間を守るという「正解」は導き出せる。

だが、そこにあるはずの熱い感情が、どこにも見当たらない。


(仲間……)


ロランは、目の前の男女を観察した。

名前が、すぐに出てこない。

彼は机の下で、自分専用のメモ帳をめくった。


『アルベルト:王。親友。守るべき対象』

『リーナ:侍女。狼族。身の回りの世話』


「……ロラン、君の意見を聞かせてくれ」


アルベルトが問いかける。

ロランは一拍置いて、メモの内容を反芻してから答えた。


「セシリアさんは、教国の内部情報を持つ貴重な資産です。戦略的観点から、保護を継続すべきだと判断します」


極めて論理的で、血の通わない言葉。

アルベルトの表情が、わずかに歪む。


「……そうか。分かった」


会議を終え、自室に戻ったロランは、壁一面に貼られたメモを見つめた。


『母の名前:エレナ?』

『誰だっけ?』

『大切な人だった気がする』


昨日自分が書いたはずの文字。

だが、そこに込められた感情は、もう今のロランには理解できない。


(エレナ……)


名前をなぞっても、心は凪いだままだ。

ただ、胸の奥に、言語化できない「虚無」の穴だけが広がっている。


(ごめんなさい……。忘れてしまった……)


ロランは、新しいメモにペンを走らせる。


『セシリア:協力者。守ることに決定』

『仲間:アルベルト、リーナ、ガルド……』


一文字ずつ、忘却を食い止めるように書き記していく。

たとえ、その「仲間」という言葉が、彼にとって単なる「演算上の変数」に成り下がったとしても。





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