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『神の視点 ~零式創世戦記~』  作者: noanoa
第11章:偽りの神託

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第76話:教皇イノセント


二日目の朝。


 王都ルミナスは、不気味なほどの静寂に包まれていた。


 民衆は――ロランが告げた「神託」の真偽を、固唾を飲んで見守っている。

 中央広場には、まだ誰も集まっていない。


 だが、路地裏や窓際から空を見上げる影は、一つや二つではなかった。


「本当に、雨が降るのか……?」

「異端者の言葉だぞ。……だが、もし当たったら」


 民衆の心に、小さな「疑念」という名のくさびが打ち込まれていた。


 王宮の執務室。

 ロランは、色彩なき資料を無機質に見つめていた。


 天候データ。

 風向き、湿度、気圧の推移。

 タクティカル・ビューが、網膜の裏側に冷徹な演算結果を映し出す。


『降水確率:78%』

『予測時刻:明日14時前後』

『持続時間:約3時間』


 ロランは、微かに頷いた。

 統計学的に見て、勝利を確信できる数字だ。


 だがその時、扉が激しく弾け飛ぶように開いた。


「ロラン!」


 駆け込んできたアルベルトのかおは、光を失ったように蒼白だった。


「大変だ! 教国から――」

「……落ち着いてください。何がありました」


「教皇イノセントが、王都に向かっている! もうすぐそこまで来ているんだ!」


 ロランの瞳が、僅かに細められた。

 

 教皇イノセント。

 教国の最高指導者にして、大陸全土を「信仰」という目に見えぬ鎖で縛り上げる男。


「到着は?」

「今日の夕刻だという。……ロラン、これはもう、一審問官の暴走じゃない」


「ええ。彼らが本気で僕を、いえ、この国を『矯正』しに来た証拠です」


 ロランの声は、どこまでも平坦だった。

 脳内温度が、じわりと上昇を始める。


 夕刻。

 王都の南門に、一つの「極光」が到着した。


 眩いばかりの純白の馬車。

 無数の神官たちが連なる、無垢な行列。

 

 その中央。

 一人の老人が、ゆっくりと大地へ降り立った。


 教皇イノセント。

 雪を欺くような高輝度の髪。眩いばかりの法衣。

 穏やかな微笑みを湛えた、慈悲の権身ごんしん


 民衆から、地鳴りのような歓声が沸き起こった。


「教皇様だ!」

「教皇イノセント様が、私たちのために来てくださった!」


 波が引くように、人々が膝をつく。

 祈りを捧げる群衆の中を、教皇はゆっくりと、王宮へ向かって歩き始めた。


 ロランは王宮の窓から、その「白」を凝視していた。

 視界を焼き切るような、暴力的なまでの光量。


『警告:脅威レベル・最大』

『推奨:即座の戦術的撤退』


 脳内のアラートが鳴り止まない。

 だが、ロランは動かなかった。

 ここで背を向ければ、この国の民の心は、永遠に教国のてのひらに収まることになる。


 夜。

 王宮の大広間にて、歓迎の式典が執り行われた。


 緊張に身を固くするアルベルトの傍ら。

 ロランは、無彩色の影のように控えていた。


 大広間の重厚な扉が開き――。

 教皇イノセントが、姿を現した。


 羽毛のような足取り。春の陽だまりのような微笑。

 だが、その一歩一歩が、広場の空気を物理的に塗り替えていく。


「ようこそ、教皇イノセント。レガリア王国へ」

「光栄です、アルベルト王。貴方の即位を、主もお喜びでしょう」


 教皇の声が響く。

 優しく、温かく……それでいて、拒絶を許さぬ圧倒的な「正しさ」。


 教皇の視線が、ロランを捉えた。


「そして――貴方が、ロラン・フォン・アシュベル」


 ロランは、その高輝度の瞳を見つめ返した。


「……はい。私が、ロランです」


「噂はかねがね。戦場で勝利を重ね、民を導く智慧ちえを持つ。素晴らしいことです」


 だが、教皇の微笑みが、一瞬で凍土のような冷徹さを帯びた。


「ですが――神を冒涜することは、許されません」


 瞬間、世界の「重力」が変わった。

 大広間に満ちていた空気が、泥のように重く、粘つく。


『未知の魔法干渉を検知』

『分類:高次精神干渉系』


(……これが、本物の「言霊」か)


 イノセントが、静かに唇を動かした。


「『神の言葉は、絶対である』」


 その言葉が放たれた刹那。

 ロランの肉体が、激しい拒絶反応に震えた。

 

 脳が、意識が、細胞の一つ一つが、その言葉を「真実」として受け入れろと強制してくる。

 跪く民衆。彼らの瞳には、もう「思考」の欠片も残っていない。


「神の言葉は、絶対である……」

「教皇様の言葉こそが、真実なのだ……」


 虚ろな唱和。

 集団心理を極限まで操作し、脳に直接「疑えない事実」を刷り込む。

 それは魔法という名の、精神的な去勢だった。


「ロラン・フォン・アシュベル。貴方は昨日、民に『神託』を示したそうですね」


「……雨が降ると。ただの気象予測です」


「興味深い。ですが、神託は主のみが示すもの。人間が神を模倣することは――」


 教皇の声が、地底まで届くほど低く沈んだ。


「不敬。そして、反逆です」


 民衆の視線が、一斉にロランへ向けられる。

 先ほどまでの迷いは消え、そこには明確な「処刑者」の殺意が宿っていた。


「異端者は……反逆者は、死なねばならない……」


 アルベルトが必死に前に出ようとする。


「教皇イノセント! ロランは英雄だ! この国を、僕を救った――」


「アルベルト王。貴方はまだ若く、真理を知らぬだけなのです」


 イノセントが、アルベルトを哀れむように見つめた。


「『真実は、疑ってはならない』」


 呪言が、アルベルトの心を縛り上げる。

 王の体は激しく震え、唇を動かそうとしても、音にならない。

 

 ロランの胸の奥で、僅かな「怒り」が火花を散らす。

 だが、それすらも冷却冠の冷気と脳内温度の上昇に焼かれ、砂のように消えていく。


「ロラン・フォン・アシュベル」


 教皇が、死の宣告を下した。


「明日。貴方の『神託』が外れたならば。……貴方を異端者として、この広場で処刑します」


 民衆から、狂信的な歓声が上がった。

 ロランは、その轟音の中で独り、空を見上げた。


(明日。……雨が降らなければ、俺は終わる)


 だが、絶望する機能は、今のロランには備わっていない。

 ただ、78%という数字だけを信じ、演算を続ける。


 その夜。

 ロランは自室の闇の中で、何度も同じメモを読み返していた。


『言霊魔法:言葉が通じない相手には無効』


 だが、対策を練ろうとするたびに、思考がぷつりと途切れる。


(……あれ? 何を……考えていた?)


 記憶の空白。

 数秒前まで掴んでいたはずの「反撃の糸口」が、どうしても思い出せない。


(教皇。言霊。……あとの、キーワードは……?)


 机の上のメモを見る。思い出す。また考える。そして、また忘れる。

 ロランは、その無限に続く地獄の円環の中で、独り戦い続けていた。


 扉が開く。

 アルベルトが入ってきた。その瞳には、隠しきれない涙が溜まっている。


「ロラン……。君は、本当に大丈夫なのか」


「大丈夫です。……全ては、計算通りに」


 無感情な声。

 アルベルトがその手を握ると、ロランの手は驚くほど熱く、そして硬質だった。

 

 翌朝。

 王都の空は、厚い雲に覆われていた。

 

 民衆は、中央広場を埋め尽くしている。

 教皇イノセントが、祭壇の上に穏やかな顔で立っていた。


 ロランもまた、広場へ現れた。

 灰色の世界。

 敵意に満ちた数千の瞳。


「ロラン・フォン・アシュベル。さあ、見せてください。貴方の『神託』を」


 ロランは空を見上げる。

 時刻は午前10時。

 予報時刻まで、あと4時間。


 雨が降れば、教国をハッキングできる。

 雨が降らなければ、死。


 ロランは、消えゆく記憶の残滓を掻き集め、ただ静かに、その時を待ち始めた。





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