第75話: 神託の正体解明
翌朝。
ロランは執務室で、昨夜の情報の「残骸」を整理していた。
セシリアから聞き出した、教国の心臓部の記録。
それを忘却の海へ沈ませないよう、震える手で紙に刻みつける。
『禁書庫:聖都エリュシオン、大聖堂エル=ナフの地下』
『神託生成:聖女(端点)→禁書庫(集約)→枢機卿(演算)→神託(出力)』
ロランは、その文字を何度もなぞった。
墨色の文字だけが、彼にとって唯一信じられる「現実」になりつつあった。
その時――。
重厚な扉がノックされた。
「入れ」
入ってきたのは、一人の女性だった。
揺らめく炎のような、濃い影を落とす髪。
(……誰だ?)
一瞬、思考のリンクが途切れる。
名前、役職、関係性。
それらが脳内に展開されるまでの、耐え難い空白。
(……そうだ。エレン。ローウェル商会の……)
「ロラン」
エレンの声が響く。
どこか焦燥を含んだ、だが凛とした響き。
「調査結果を持ってきましたわ。……顔色が良くありませんわね?」
「……調査結果? ああ、そうだったな」
ロランは、さも覚えているかのように首肯した。
自分が何を依頼したのか、それすらもメモを確認しなければ確信が持てない。
エレンは痛ましそうな視線を一瞬だけ向け、机に分厚い報告書を置いた。
「聖女たちの行動パターンです。あなたが、命を削ってまで求めたものですわ」
ロランは報告書を捲った。
タクティカル・ビューが自動的に起動し、網膜にノイズ混じりの演算図を展開する。
『情報収集サイクル:解析完了』
『聖女のルーチン:毎日15時に民衆から聞き取り』
『報告の定刻:毎晩22時。聖都方向への魔法通信』
「やはりな……。奇跡の正体は、あまりに泥臭い」
ロランの瞳が、無機質な銀色に光る。
毎日、現地の一次情報を吸い上げ、夜間に聖都へパケットとして送る。
禁書庫という名の巨大サーバーで情報を集計し、統計的な「最もあり得る未来」を、神の言葉として再配布する。
完璧な、情報支配システムだ。
「エレンさん。……もう一つ、無理を言います」
「何でしょう? 今のあなたなら、月を獲ってこいと言われても驚きませんわ」
「王都の民衆から、ありとあらゆる情報を集めてください。些細な噂、市場の物価、数日後の冠婚葬祭の予定――すべてです」
ロランは、タクティカル・ビューで算出した最適解を口にする。
「三日後。……その情報を元に、私が『神託』を作ります」
エレンが息を呑んだ。
「神託を……作る……?」
「ええ。教国と同じロジックで、未来を予測してみせる。……神託が『奇跡』ではなく、ただの『数学』に過ぎないことを、民衆の目の前で証明する」
教国の権威という城壁を、同じレンガで打ち壊す。
それが、魔力なき軍師の選んだ戦場だった。
「さすがですわ、ロラン。……ですが……」
エレンの手が、ロランの額に触れる。
熱い。
沸騰しかけた脳の熱が、彼女の手のひらを焼く。
「ロラン。……少し、休んでください。このままでは……」
「大丈夫だ……」
言いかけた瞬間、視界が激しく歪んだ。
床が跳ね上がり、平衡感覚が消失する。
「ロラン!」
エレンが咄嗟にその体を支えた。
ロランは椅子の背もたれに身を預け、差し出された水を口に含む。
味はない。
ただ、喉を通り過ぎる「温度」だけが、自分が生きていることを証明していた。
「ロラン……あなた、私の顔が、分からなかったでしょう」
静かな、だが確信に満ちた問い。
ロランは否定できなかった。
「……一瞬。ロードに時間がかかっただけだ」
「謝らないでください。……あなたは、悪くありませんわ」
エレンの手が、ロランの手を強く握る。
その体温だけは、ロランの脳に鮮明に記録された。
「私は、あなたを信じています。……だから、どうか。自分を、消さないでください」
エレンの目に浮かんだ涙。
ロランには、それがなぜ流されるものなのか、もはや論理的な推測しかできなかった。
感情の磨耗。人間性の欠落。
彼女が去った後、ロランは震える手でメモに書き足した。
『エレン・ローウェル:商会の財務担当。炎のように輝く髪。――俺を支えてくれる、大切な人』
文字にしておかなければ、彼女への感謝すら「不要なデータ」として消去されてしまう。
ロランは再び、資料の海へ潜った。
三日後の降雨確率:78%。
市場の価格変動予測:上昇。
民衆の関心、聖女への依存度、ヴァルガスの不確定要素。
神を殺すための数式を、血を吐くような思いで組み上げていく。
『脳内温度:38.2℃』
『警告:記憶領域への侵食が加速。人格データの維持に支障が出る恐れがあります』
知るか、とロランは毒づいた。
翌日。
王都中央広場。
ロランは、数千の民衆の前に立った。
疑念。恐怖。敵意。
それらが入り混じった無彩色の空気の中、彼は静かに宣告した。
「民衆よ。……私からも、一つの『神託』を示しましょう」
広場が凍りつく。
遠くでヴァルガスが鼻で笑い、セシリアが悲しげに首を振るのが見えた。
「三日後。……この王都に、雨が降る。その雨は、皆に幸福をもたらすでしょう」
「ハッ! 愚か者が!」
ヴァルガスが嘲笑と共に前に出る。
「神託は、主のみが下す聖なる言葉! 異端者が、天気予報ごときで神を騙るとは!」
「では、三日後を待ちましょう、審問官殿」
ロランの瞳が、ヴァルガスを射抜く。
「もし、私の言葉が的中したならば。……貴公らの神託もまた、このロラン・フォン・アシュベルと同程度の『演算』でしかないことが証明される」
広場が、かつてないほどのどよめきに揺れた。
灰色の世界の中で。
ロランは、消えゆく己の記憶と引き換えに、神への反逆を開始した。




