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『神の視点 ~零式創世戦記~』  作者: noanoa
第11章:偽りの神託

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第74話:統計学的ハッキング


その夜。


 ロランは、王宮の執務室に独り籠っていた。


 机の上に積み上げられたのは、教国に関する膨大な資料。

 過去の神託の記録。聖女の派遣先リスト。各国の政情報告書。


 それらはすべて、ロランの網膜には墨汁とすすで塗り潰された「無彩色の紙束」として映っている。

 色彩はない。

 だが、情報の輪郭だけは、以前よりも鋭利に脳へ突き刺さっていた。


(神託……)


 ロランは、その概念を解体し始める。

 脳内へ深く潜り、タクティカル・ビューを強制駆動させる。


 視界のコントラストが急激に反転した。

 光の粒子が情報の奔流へと姿を変え、資料の海を浸食していく。


『神託記録:解析開始アナライズ

『過去百件の神託をパターン抽出中……』


 ロランの瞳が、凄まじい速度で文字をなぞる。

 一見、神の気まぐれに見えた言葉の断片。

 だが、時系列を並べ替え、変数を抽出した瞬間――その「醜悪な正体」が浮き彫りになった。


(これは……統計学だ)


 例えば、一年前。

『レガリア王国にて干ばつが起こる』という神託があった。


 その神託の一ヶ月前。

 教国の聖女が各地を巡回し、農民たちの「嘆き」を収集していた。

「今年は雨が少ない」

「土の乾きが異常だ」


 つまり、神託とは予言ではない。

 聖女たちが足で稼いだ「現地の一次情報」を吸い上げ、確実性の高い未来を選別して出力しているだけの、泥臭い情報戦の結果だ。


(聖女は……慈悲の天使などではない。ただのスパイだ)


 さらに別の記録を洗う。

『バルムンク帝国が侵攻する』という神託。

 その二週間前、帝国の宮廷に潜り込んでいた聖女が、皇帝側近の「野心」を既に報告していた。


(仕組みは分かった。……神も奇跡も、そこには存在しない)


 ロランの脳が、さらなる演算を要求する。

 こめかみを焼くような熱。

 冷却冠が激しく結露し、冷たい水滴が頬を伝う。


『脳内温度:38.1℃』

『警告:記憶領域の深刻なリソース不足。不要データの破棄を継続』


 ロランはその警告を、思考の彼方へ蹴り飛ばした。

 今、手を止めるわけにはいかない。


 彼はタクティカル・ビューの視界の中で、神託の正体を暴くための数式を導き出した。

 それは、信仰という名の幻想を撃ち抜くための弾丸だ。


(収集する情報が多いほど、短期的な予測であるほど、神託の『精度』は上がる……。ただの数学だ)


 その時、重厚な扉がノックされた。


「ロラン、入るぞ」


 アルベルトだった。

 王の顔には、隠しようのない疲労が影を落としている。


「……まだ起きていたのか」


「ええ。少し、調べ物を」


 ロランは資料から目を離さずに答えた。

 アルベルトはロランの隣に腰を下ろし、吐き捨てるように呟いた。


「民は、神託を信じ切っている。僕の言葉よりも、あの聖女の声を……」


「わかっています。……だから、破壊します」


 ロランの言葉に、アルベルトが目を見開いた。


「破壊……だと?」


「ええ。神託は奇跡ではありません。統計学と情報操作の産物です。……その偽りの化けの皮を剥ぎ取れば、教国の権威は地に落ちる」


 ロランの瞳が、暗がりの中で銀色に光る。


「教国の情報収集網を完全に解析し、偽造データを流し込む。……三日。三日だけ時間を稼いでください」


「……分かった。三日間、僕が何としても民を繋ぎ止める。君を信じるよ」


 アルベルトはロランの肩に重い手を置き、去っていった。

 その手の「熱」だけが、ロランの脳に刻まれる。


 再び、静寂。

 だが、その瞬間――不自然な断絶が訪れた。


(……あれ?)


 ロランは瞬きをする。

 手に持っていたペン。広げられた資料。

 それらをなぜ自分が持っているのか、一瞬の「空白」が脳を支配した。


(何を……調べていた……?)


 記憶の、完全な欠落。

 ロランは震える手で机の引き出しを開けた。

 そこには、自分自身へ宛てた「遺言」のようなメモが散乱している。


『神託の正体:統計学』

『弱点:情報網の遮断』


 それを読み、辛うじて思考の糸を繋ぎ止める。


(そうだ……遮断だ。聖女たちの報告を止める必要がある)


 聖女たちの魔法通信。それを物理的に止める手段を模索する。

 脳裏に、ある人物の「存在」が浮かんだ。


 エレン。

 ローウェル商会の令嬢。情報と物流の支配者。


(エレンなら……できる。彼女に、聖女の追跡を……)


 ロランは震える筆致で、エレンへの依頼書を書き殴った。

 だが、封筒を閉じた瞬間、またノイズが走る。


(エレン……。誰だ、それは)


 名前は分かる。役割も分かる。

 だが、彼女とどんな日々を過ごし、どのような信頼を築いてきたのか。

 その思い出が、砂の城が崩れるように消えていく。


(思い出せない。……顔も、声も)


 絶望に沈む暇などなかった。

 再びノックの音が響く。


「ロラン様」


 入ってきたのは、盲目の聖女――セシリアだった。


「夜分に、申し訳ございません。……お話があります」


 彼女は迷いのない足取りでロランの前に座った。

 そして、囁くような声で教国の深部を語り始める。


「聖都エリュシオン。大聖堂エル=ナフの地下に『禁書庫』があります。……大陸中の情報がそこに集い、枢機卿たちが神託を捏造つくり出しているのです」


 ロランは確信した。

 やはり、神託は数学という名の檻だ。


「なぜ、俺に教える」


「……私は、もう教国の犬でいたくない。……ただ、それだけですわ」


 セシリアが、ロランの手にそっと触れた。

 温かい。

 だが、その温もりすら、ロランの壊れゆく脳には「ノイズ」として処理され始めていた。


「ロラン様。貴方の記憶が……消え去ろうとしている。わたくしには見えます」


「……大丈夫だ。……まだ、やれる」


 セシリアが去った後、ロランは新しいメモを書き残した。


『禁書庫:大聖堂エル=ナフの地下』

『破壊すれば、神託は止まる』


 何度も、何度もその文字をなぞる。

 忘れないように。自分が、ロラン・フォン・アシュベルという人間であるうちに。


 ロランは、消えゆく己の魂を燃料に、神を殺すための演算を続けた。





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