第67話:盲目の聖女セシリア
翌朝。
王宮の謁見室は、窓から差し込む朝光に焼かれ、白銀の静寂に包まれていた。
そこへ、教国の聖女が音もなく足を踏み入れる。
セシリアは、吸い込まれるような優雅さで膝をついた。
「アルベルト王。お招きいただき、心より感謝申し上げます」
「こちらこそ、セシリア殿。歓迎しよう」
アルベルトの応対を聞き届け、彼女はゆっくりと顔を上げた。
閉じられた瞳が、正確にロランの所在を捉える。
「ロラン・フォン・アシュベル様。お会いできて、光栄ですわ」
ロランは、その動かない瞳を見つめ返した。
色彩なき視界の中で、彼女の髪だけが異様なほどの輝度を放っている。
「聖女殿の噂は、かねがね」
「まあ。……どのような噂でしょう?」
「教国最高の治癒師。――そして、大陸で最も警戒すべき『情報収集者』」
謁見室の空気が、一瞬で氷結した。
護衛たちの呼吸が止まる。
だが、セシリアは楽しげに喉を鳴らした。
「ふふっ。面白い方ですわね、ロラン様」
彼女は、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
白く濁った、視力を失ったはずの瞳。
だが、その奥底には、知性とは異なる「何か」が不気味に蠢いている。
「私には見えるのです。万物が纏う『魔力の色』が」
ロランの思考が、僅かに加速する。
「この部屋は、豊かな魔力に満ちていますわ。アルベルト王の魔力は、温かな黄金。護衛の方々は、鋭く閃く青や赤……」
セシリアは、じっとロランを「射抜いた」。
「ですが、貴方には何もありません。完全なる無。……透き通った虚無が、そこにあるだけ」
「魔力を持たぬ身ですから。ただの欠陥品ですよ」
「ええ、そのはずですわ。……でも、不思議。貴方の周囲だけ、空気が陽炎のように歪んでいますの」
ロランの背筋を、冷たい戦慄が走り抜けた。
(気づかれたか……。『タクティカル・ビュー』の痕跡に……)
能力の並列演算は、脳を焼き、周囲の空間に変質をもたらす。
色を失う代わりに「魔力を視る」彼女にとって、その空間の歪みは、どんな色彩よりも異質に映っているのだ。
「貴方は一体、何を見ているのでしょう? 魔力なき世界で、どうやって戦っているの……?」
ロランは答えない。
ただ、無機質な視線を彼女へ投げ返す。
沈黙を破るように、アルベルトが小さく咳払いをした。
「セシリア殿。今日は、我が国の民に祝福を賜りたい」
「ええ。午後、広場にて祈りの儀式を。そこで、皆様に『神託』をお伝えいたしますわ」
「神託……とは」
ロランが問いを重ねる。
「神の声ですわ。未来を指し示す、慈悲深き導きの言葉」
ロランの目が、氷点下まで冷え切る。
(神託……。やはり、情報と統計の産物か)
大陸全土に張り巡らされた「聖女」という名の端末。
そこから集約された膨大な情報を、教国の深部で演算し、確率論としての未来を提示する。
それは信仰などではなく、純然たる情報戦だ。
「楽しみですわ。……貴方が、どう反応なさるか」
セシリアは微笑を浮かべたまま、静かに歩み寄ってきた。
その時。
ロランの脳内で、記憶の断片が火花を散らす。
(この声……どこかで……)
強烈な既視感。だが、霧がかかったように核心へ辿り着けない。
記憶が、泥のように溶け始めている。
(俺は……誰の声を知っている……?)
セシリアは、ロランの耳元で囁くように声を落とした。
「ロラン様。貴方は、ひどく苦しんでいますわね」
温度のない囁き。
「何を見ても色はなく、何を食べても味はしない。……それは、死よりも深い孤独でしょう?」
ロランは、鉄の仮面を崩さない。
「ですが、貴方は諦めていない。戦い続けている。その強さ――私、尊敬いたしますわ」
皮肉ではなく、本音の響き。
ロランは、彼女の中に自分と同じ「欠落者」の気配を感じ取っていた。
「……恐縮です」
ロランは短く応じ、頭を下げた。
「貴方にお会いできて、本当によかったわ」
彼女が去り際、残した言葉。
それが、不気味な余韻となって謁見室に居座り続けた。
午後。
王都中央広場は、数千人の群衆で埋め尽くされていた。
白い祭壇の上。
降り注ぐ陽光を全身に浴びて、セシリアが立っている。
「皆様。本日は、レガリア王国の新たな門出を祝福するために参りました」
民衆から、地鳴りのような歓声が上がる。
ロランは王宮の窓から、その光景を俯瞰していた。
灰色の群衆の中で、唯一、白く発光する聖女。
彼女の声が、空気の震えとして肌を打つ。
(これが、教国の力か。信仰という名の、情報の支配……)
冷静に分析を続けようとした、その時。
脳を焼くような、刺すような痛みが走った。
『タクティカル・ビュー:警告』
『記憶領域:整理プロセスを開始』
『――リソース不足。不要な記憶の削除を推奨します』
ロランの指先が、激しく震えた。
(記憶を……削除……?)
灰色の視界が、さらに一段、暗く沈む。
守るべき友の顔か。
死にゆく母の面影か。
あるいは、先ほど抱いた既視感の正体か。
何かを捨てなければ、彼は「神の視点」を維持できない。
無彩色の世界で。
ロランは、自分自身が零れ落ちていく恐怖に、独り耐えていた。




