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『神の視点 ~零式創世戦記~』  作者: noanoa
第9章:味覚の消失

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閑話:白衣の苦悩 〜ゾフィア・技術者の限界〜


深夜。 王都ルミナス、下層区画の片隅。


周囲が寝静まる中、ゾフィアの工房だけは、青白い魔導光が漏れていた。 白衣を纏った老婆が、作業台の前で微動だにせず手を動かしている。


視線の先にあるのは――『零式冷却冠・改良三号機』。


銀色の金属が、冷徹な光を放つ。 その内部には、髪の毛よりも細い魔導回路と、絶え間なく流れる冷却液。 帝国の最新技術すら子供騙しに見える、魔導工学の極致。


「……まだ、足りん」


ゾフィアは、ひび割れた声で呟いた。 しわだらけの指先が、冠の内壁をミリ単位で微調整する。


現在の冷却効率、75%。 もはや物理的な限界に近い。


だが――。 それでも、足りない。


ロラン・フォン・アシュベルの脳が発する、異常な演算熱。 その上昇速度に、わしの「最高傑作」が追いついていない。


「くそっ……!」


ゾフィアが、珍しく剥き出しの苛立ちをぶつけた。 作業台を、枯れ枝のような拳で叩く。


――ゴンッ!


重苦しい音が工房に響き、静寂が戻る。 ゾフィアは深く、泥のような息を吐き出し、力なく椅子に沈み込んだ。


「わしは……天才と呼ばれてきた」


天井を見上げる。 すすけたはりが、視界を遮る。


「魔導工学において、わしに並ぶ者などおらん。帝国の鼻持ちならぬ技術者どもですら、わしの足元にも及ばん。……そう思っておった」


だが、現実はどうじゃ。 たった一人の、死にゆく少年の熱さえ、奪ってやることができん。


「なぜじゃ……! なぜ、あの子を救えんのじゃ……!」


脳裏に、ロランの姿が焼き付いて離れない。 灰色の世界を淡々と見つめ、情報の残滓ざんしを追いかける青年。 砂を噛むような食事を、生きるための「作業」として嚥下する姿。


それでも――。 機能不全を起こした頬を歪ませ、「ありがとうございます」と笑う少年。


「あの子は……壊れていく」


ゾフィアは、膝の上で拳を握りしめた。 「わしの目の前で。……少しずつ、確実に、欠けていく」


最初、ロランは最高の「研究対象」でしかなかった。 『タクティカル・ビュー』。未知の脳機能。 その代償を観察し、解析すること。それが技術者としての至高の悦びだと信じていた。


だが、いつからじゃ。 いつから、その少年の「熱」が、わしの心まで焼き始めたのは。


守りたい。 救いたい。 生かしてやりたい。


技術者としての矜持きょうじではない。 一人の人間としての、身勝手な祈り。


「ふん……まるで、孫の心配をするババアじゃな」


自嘲気味に笑う。 わしの冷え切った血の中に、これほど湿っぽい感情が残っていようとは。


その時、工房の扉が控えめにノックされた。


「ゾフィア様」 「……カリンか。入れ」


扉が開き、薬草の袋を抱えたカリンが入ってきた。 ロランの側近として、その身を案じ続けている少女。


「これ、お届けに上がりました。先生から、預かったものです」 「ロラン様から……?」


「はい。『ゾフィアさんに』と」


袋を受け取ると、独特の清涼な香りが鼻を突いた。 青みがかった葉――『月花げっか』。 満月の夜にしか採取できない、高純度の魔力を秘めた極上の薬草だ。


そして袋の底に、一通の封筒が沈んでいた。


「……中身は、聞いておるか?」 「いえ。私には何も。ただ、急ぎでとおっしゃっていました」


ゾフィアは封筒を切り裂き、中の一枚の紙を取り出した。 几帳面な、けれど僅かに筆圧の乱れた文字。


それを読み進めるうちに、ゾフィアの顔から血の気が引いていった。


「これは……ッ!」


「ゾフィア様……?」


カリンが不安げに声をかける。 だが、ゾフィアの目は紙面に釘付けになっていた。


「カリン、下がっておれ。今すぐじゃ!」 「は、はい……!」


戸惑うカリンを追い出し、扉を閉める。 ゾフィアは、再びその「呪い」のような書面に目を落とした。


そこに記されていたのは、『再誕計画』の全容。


――脳内温度42.0℃での完全フォーマット。 ――蘇生のための薬草配合リスト。 ――サイラスによる遺体回収手順。 ――カリンによる生命維持作業。


そして――。 最期の仕上げを担う、ゾフィアへの指示。


『ゾフィア様へ


 もし、僕が死んだら――。  この計画を、実行してください。


 成功率は、極めて低い。  ですが、試してみる価値はあります。


 タクティカル・ビューという呪いが消えれば、脳の機能は回復するかもしれない。  記憶も、自分という認識も、すべて失われるかもしれませんが。


 それでも……人間として、ただの人間として、生きられるのなら。  それが、僕の望みです。


 どうか、お願いします。


 ロラン・フォン・アシュベル』


ゾフィアは、その文章を何度も、何度もなぞった。 視界が、不自然に滲んで歪む。


「ばか者……」


喉の奥から、嗚咽おえつが漏れた。


「大ばか者じゃ……! お前は……!」


紙を握りしめた指に、力がこもる。 「死ぬことを……前提にしておる。この子は、端から生きることを諦めておる……!」


涙が、一滴、ロランの筆跡を濡らした。


長い人生、数え切れぬほどの死を見てきた。 帝国の冷たい実験室で使い捨てられた人々。 泥にまみれて戦場に散った兵士たち。


だが、ロランの死は、そのどれとも違う。 自ら選んだ、究極の自己犠牲。 仲間のため、王のため、世界のために――。 自分という存在を「部品」として廃棄する、覚悟の死だ。


「わしは……」


ゾフィアは、乱暴に涙を拭った。 「こんなバカな死に方、天才ゾフィアが許すわけにはいかんのじゃ」


立ち上がり、再び作業台へ向かう。 『零式冷却冠・改良三号機』。


まだだ。まだ、終わらせん。 冷却効率を85%、いや、90%まで引き上げる。 少しでも、あの子の脳が焼かれる時間を、一秒でも遅らせるために。


だが。 心の奥底に宿る「技術者」の冷徹な知性が、瞬時に答えを弾き出す。


脳内温度42.0℃での完全停止。 30分以内の蘇生処置。 薬草による強制的な生命維持。


すべてが完璧に、奇跡の噛み合わせで進んだとしても――。


『成功率:28.3%』


ゾフィアの脳裏に、残酷な数値が点滅した。 三割に満たない。 十回中、七回は「本物の死」が訪れる。


「……やるしか、ないのう」


老婆は独り、暗い工房で呟いた。 震える手で、設計図を書き直していく。


翌日。 ゾフィアは、影のように佇む青年、サイラスを呼び出した。


「お呼びでしょうか、ゾフィア様」 「サイラス。……これを読め」


手渡された封筒。 中身を改めたサイラスの顔が、幽霊のように蒼白へと変わる。


「これは……先生が、死ぬ……?」 「そうじゃ。ロラン様の脳は、いずれ限界を迎える。その時、真っ先に動くのがお前じゃ」


ゾフィアは、サイラスの瞳の奥を覗き込んだ。


「猶予は30秒。お前が遺体を回収し、わしの元へ届ける。30秒じゃ。一秒の遅れも、命取りになる」 「30秒……!? そんな、そんな短時間で……!」


「できるか、ではない。やるんじゃ」


サイラスは、しばらく言葉を失い、立ち尽くした。 やがて。 拳を血が滲むほど握り締め、彼は深く頷いた。


「やります。……先生は、僕の命の恩人だ。必ず、やり遂げます」


「よし。ならば、今日から訓練じゃ。死体の重さを模した人形を、30秒以内に指定地点へ運ぶ。死ぬ気で励め」


ゾフィアは、一枚の地図を広げた。 「最終決戦の地は、おそらく――空中要塞『ゼロ』。爆発、崩落、混乱。その地獄の中から、お前はあの子を救い出すのじゃ」


サイラスは、地図に記された「脱出路」を食い入るように見つめた。


サイラスが去った後、ゾフィアは再び一人になった。 窓の外には、冷たくも美しい満月。


「ロラン様……」


老婆は、夜空の月に向かって、呪詛のような誓いを立てた。


「わしは、お前を救う。たとえ成功率が三割でも。世界中が、神さえもが『無理だ』と嘲笑ったとしても」


ゾフィアの瞳に、ギラついた狂気が宿る。


「わしを誰だと思っている。わしは、天才ゾフィアじゃからな」


その夜も、工房の明かりが消えることはなかった。 零式冷却冠、改良型四号機の設計。 再誕計画の、数万回に及ぶ脳内シミュレーション。 薬草の配合比率、一滴の狂いもない調整。


すべてを、完璧に。 少年の命を、運命の手から強奪するために。


いつか。 あの歪な「欠陥品の笑顔」ではなく。 心からの、本当の笑顔を見るために。


「……必ず、救ってみせるわい」


その誓いは、誰に聞かれることもなく。 新たな戦いの朝を呼ぶ風の中に、静かに消えていった。





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