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『神の視点 ~零式創世戦記~』  作者: noanoa
第1章:追放の烙印

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第6話:銀の斥候


夜明け前。  リーナは、砦の北門から音もなく滑り出していった。


 灰色の外套がいとうを纏い、腰には一対の短剣。  極限まで削ぎ落とされた装備は、彼女が「戦うため」ではなく「るため」に野に放たれたことを意味していた。


 ロランは、冷たい風が吹き抜ける城壁の上から、その背中を見送った。


「大丈夫かな……」  隣に立つアルベルトが、不安げに呟く。


「リーナなら、大丈夫です」 ロランは迷いなく答えた。 「彼女はこの砦で…… いいえ、この国で最も優秀な斥候スカウトですから」


「でも、一人で敵陣に乗り込むなんて……」


「彼女を信じましょう。僕たちがすべきは、彼女が戻る場所を守ることです」


 ロランの静かな確信に、アルベルトは小さく頷いた。  リーナの細いシルエットが朝靄あさもやの中へと溶け、やがて完全に見えなくなった。


 その頃、リーナは荒野を駆けていた。


 獣人特有の強靭な脚力が、地を蹴る。  人間の倍近い速度で移動しながら、彼女の五感はフル稼働していた。


 風の匂い、土の湿り気、遠くで鳴く鳥の声の違和感――。  あらゆるノイズを精査し、彼女は北へ三キロの地点でピタリと伏せた。


 目の前には、帝国軍の巨大な野営地が広がっている。


(多い……)


 整然と並ぶ無数のテント。  一、二、三……。  リーナの並外れた記憶力が、瞬時に兵の数をカウントしていく。


 そして、彼女の目が野営地の東側に向けられた。  厚い布で覆われた、不自然に巨大な「何か」がある。


(あれは…… 攻城兵器? )


 リーナは慎重に距離を詰めた。  風上から回り込み、警備兵の吐息さえも聞き分ける。  そして、布のわずかな隙間から内部を覗き込んだ。


 ――それは、鋼鉄で補強された巨大な破城槌グラインド・ラムだった。


 先端には羊の頭を模した禍々しい鉄塊。  あれで一撃されれば、この砦の古びた城門など、ひとたまりもない。


(主様に…… 報告しなきゃ)


 リーナが音もなく後退しようとした、その時だった。


「――誰だッ!」


 鋭い叫びと共に、背後から殺気が飛んできた。  リーナは反射的に跳躍する。  コンマ数秒前まで彼女の首があった場所を、帝国兵の槍が刺し貫いた。


「獣人だ! 斥候を捕らえろッ!」


周囲から怒号が上がり、一斉に兵たちが殺到する。 リーナは迷わず、荒野へと飛び出した。 戦えば勝てる。 だが、それは今の彼女の役割ではない。


 彼女は疾風のごとく、砦へと向かってひた走った。


 一方、砦ではロランが陣頭指揮を執っていた。


「この位置に、落とし穴を掘ってください」  ロランは城門の前、五十メートルの地点を指差した。


「深さは最低二メートル。底には削り出した木の杭を」


「だが先生、こんなのすぐにバレるんじゃねえか?」  作業にあたる兵士が、首を傾げた。


「バレないように薄い板と土で偽装します。…… 重要なのは配置です」 ロランは地面に、規則正しくも複雑な図面を描いた。


「ちどり格子状の配置。…… これなら、一つの穴を避けようと横に動いた敵が、必ず次の穴の真上に乗る構造になります。 物理的な罠であると同時に、心理的な誘導です」


 ロランの明快な解説に、兵士たちの間に驚嘆が広がる。


「先生…… あんた、本当に頭が回るな」 「魔法なんかより、よっぽど頼もしいぜ!」


 かつて絶望に沈んでいた男たちが、今や活き活きと作業に没頭している。  ロランはその光景を脳内のデータに書き込みながら、次の演算を続けていた。


 その時、城壁からハンスの叫びが届いた。


「ロラン! リーナだ! 戻ってきたぞ、だが追われてるッ!」


ロランは即座に城壁へ駆け上がった。 北の荒原。 土煙を上げながら駆けるリーナ。 その後ろには、十騎の帝国騎馬兵が肉薄していた。


「弓兵、射撃準備ッ!」  ハンスが怒鳴るが、ロランがそれを制した。


「待ってください。距離が遠すぎる。 …… ケント、代わってください」


 ロランは新兵のケントから弓を借り受けた。  視界が青く染まる。


 ――タクティカル・ビュー。


 リーナの速度、敵との距離、風向き、そして重力。  すべての変数が、一本の「必中の線」として結ばれる。


「…… 今だ」


 放たれた矢は、風を切り裂き、正確に先頭の馬の「足元」を射抜いた。  悲鳴を上げて馬が転倒する。  勢いづいていた後続が、回避できずに次々と巻き込まれ、凄まじい落馬の連鎖が起きた。


「もう一発――」


 続こうとしたロランだったが、突如、激しい眩暈めまいに襲われた。  どろりと、熱い鼻血が溢れ出す。


「ロランッ!」  アルベルトが必死に彼を支える。 「もういい、大丈夫だ! リーナは戻ってこれる!」


 敵の追跡は止まった。  リーナは最後の力を振り絞り、開かれた城門の中へと飛び込んだ。


「はあ…… はあ…… ッ!」


 地面に膝をつき、激しく肩を揺らすリーナ。  ロランはふらつく足取りで、彼女のもとへ駆け寄った。


「リーナ、大丈夫ですか……?」


「主様……」 リーナは顔を上げ、潤んだ瞳でロランを見た。 「報告…… あります。 聞いて」


「後にしましょう、まずは休んで――」


「今、言う。…… 敵は、巨大な破城槌を持ってる」


「破城槌……」  ハンスが顔をこわばらせた。 「あんなもん持ち出されたら、城門が持たねえぞ……」


「他にも、兵士は五千以上。魔導砲も三門。 …… それと、指揮官」


「指揮官?」


「赤い羽飾りの男。冷たくて…… 怖い目をしてる」


リーナの報告に、ロランの思考が加速する。 帝国軍の精鋭。 本気の殲滅戦だ。


「攻撃は…… いつ来る?」


「明後日の、朝」 リーナは確信を持って答えた。 「みんな、鎧を整えてた。…… 嵐が、来る」


「…… わかりました」 ロランはそっと、リーナの銀髪に手を置いた。 「よくやってくれました。ありがとう、リーナ」


リーナは微かに頬を染め、小さく微笑む。 「…… 主様のため。 当然」


その夜、砦の一室で作戦会議が開かれた。 集まったのは、アルベルト、ハンス、ガルド、リーナ。 そして各隊をまとめる兵士たち。


「敵は明後日の朝、総攻撃を開始します。狙いは間違いなく、破城槌による城門突破です」  ロランは地面に描いた略図を示した。


「なら、門を捨てて内部で迎え撃つか?」  ハンスの問いに、ロランは首を振った。


「いいえ。城門は守ります。 …… 密集した敵を叩く、絶好の場所ですから」


 ロランの瞳が、青白く、鋭く光る。 「破城槌は重く、運ぶには多くの兵が必要です。つまり、敵はあえて自分たちから『まと』になりに来るんです」


 語られる緻密な迎撃計画に、場にいた誰もが息を呑んだ。


「本当に…… そんなことが可能なのか?」


「可能です。ただし、一人のミスも許されません。 …… 成功すれば、この砦を守り抜けます」


 重い沈黙が流れた。  だが、その沈黙を破ったのは、アルベルトだった。


「僕は、ロランを信じる。…… 君となら、奇跡を起こせる気がするんだ」


「俺もだぜ、先生!」  ハンスが拳を叩きつける。 「死ぬ順番を待つだけの人生は、もう飽きたんだ!」


「私も。…… 主様は、負けない」 リーナがロランの手をそっと握りしめる。


ロランは、胸が震えるのを感じた。 計算外の熱。 演算では導き出せない、他人からの「信頼」という名のエネルギー。


「…… ありがとうございます。 必ず、皆さんを生かしてみせます」


 ロランは深く、静かに頭を下げた。


 アイギス砦、最後の決戦。  嵐の前の、長く、熱い夜が始まった。

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