第56話:父の承認
王宮前広場。
ロランは、その中心に立っていた。 西の空に沈みゆく太陽。 かつては美しい赤に染まったであろう夕焼けも、今のロランの目には、ただの「濃い灰色」の染みでしかない。
すべてが彩りを失った、モノクロームの戦場。 その中央で、鉄黒色の鎧を纏った巨人が待ち構えていた。
アーサー・フォン・アシュベル。
「来たか、ロラン」
父の低い声が広場に響く。 ロランは、ふらつく足取りを一歩、前に進めた。
「はい、父上。……これが、最後です」
アーサーは沈黙し、息子を凝視した。 削げ落ちた頬、真っ白な顔。 死人のような外見でありながら、その瞳の奥には、すべてを焼き切るような演算の炎が宿っていた。
「よかろう。……始めよう。これが、我ら親子の最後の戦いだ」
アーサーの手が掲げられた。 瞬間、世界が凄まじい悲鳴を上げた。
空間圧縮魔法。 前回を遥かに凌駕する密度。圧縮率、九十八パーセント。
呼吸が止まる。 肺が押し潰され、肺胞の一つひとつから空気が奪われていく。 周囲の光さえもが歪曲し、ロランのモノクロの視界にノイズが走った。
即座に『タクティカル・ビュー』を強制起動。 意識の底からせり上がってきた白黒のグリッドが、歪んだ世界を強制的に数式へ置換していく。
【空間圧縮魔法:最終解析】 【中心核:座標を完全固定】 【干渉を開始する】
ロランは、多層干渉装置を握りしめた。 今回は「面」での攻撃ではない。 百二十七種類の音波を束ね、一点に絞る。 すべての演算リソースを、中心核という「針の穴」に叩き込む。
【単一周波数:九・七掛ける十の十五乗ヘルツ】 【出力:全解放】
ロランの脳内温度が、爆発的に跳ね上がった。
【警告:脳内温度 三十九・五度 危険域】
改良三号の冷却冠が、氷点下の冷気を脳に直接叩き込む。 脳が煮え、同時に凍りつくような地獄の責め苦。 その激痛の果てに、音波が「核」を射抜いた。
――ピン。
耳鳴りのような、澄んだ小さな音。 直後、絶対的だった空間圧縮の断層が、ガラス細工のように一斉にひび割れた。
九十八パーセント。八十、五十、二十――。 押し潰されていた世界が、猛烈な勢いで復元していく。
「……何……!?」
アーサーの驚愕の声。 絶対無比の空間圧縮魔法が、物理的に「解体」されたのだ。
ロランはタクティカル・ビューを止めなかった。 もはや脳は限界だ。冷却液の循環が追いつかず、鼻からも目からも鮮血が溢れ出す。 それでも、彼は視た。
【解析深度レベル七――百二十七層の完全マッピングを完了】
攻略法だけではない。 この最高位魔法の「仕組み」そのものを、ロランは自らの脳へ完全に転写した。
――これで、終わりだ。
タクティカル・ビューを遮断。 グリッドが消え、静かな灰色の世界が戻る。 同時に、ロランの膝から力が抜けた。
「ロラン!」
アーサーが駆け寄り、倒れゆく息子を抱き止めた。 鉄黒色の鎧の冷たさと、その奥にある父の体温。 ロランは、か細い呼吸の中で呟いた。
「父上……。あなたの魔法……完全に、解析しました……」
アーサーは沈黙した。 その腕の中で震える、羽毛のように軽い息子の体。 やがて、父は静かに、誇らしげに笑った。
「そうか。……お前は、本当にやり遂げたのだな」
父の目に、初めて涙が滲んだ。
「ロラン。お前は、私の誇りだ」
その言葉に、ロランの脳裏で何かが弾けた。 ずっと、ずっと欲しかった言葉。 「無能」と切り捨てられたあの日から、この瞬間のためだけに、彼は命を削ってきたのだ。
「お前は私を超えた。魔力なき身で、魔法の頂を凌駕した……。ロラン、お前はもう息子ではない。私と、対等な男だ」
感情を失いかけていたはずのロランの胸に、確かな「熱」が広がった。 それは外部からの体温ではない。 彼の内側に、微かに残っていた「心」が灯した熱だった。
「……ありがとう、ございます」
アーサーは、ロランの額に優しく手を当てた。
「お前はもう、限界だな」
「はい。……でも、やり遂げましたから」
「ああ。ロラン、最後に一つ聞かせてくれ。……お前は、何のためにここまで戦った?」
ロランは、迷わずに答えた。
「アルベルト様を王にするため。そして……この国を、正しい形に戻すためです」
その答えに、アーサーは深く、深く頷いた。
「……見事な軍師だ、ロラン」
アーサーはロランを地面にそっと横たえ、立ち上がった。
「カインは、この私が責任を持って処罰しよう。そして、アルベルト殿下を王として支えることを誓う。……お前が命を懸けて守ったこの国を、今度は私が守ろう」
ロランの視界が、ゆっくりと暗転していく。 安堵が全身を包み込み、重い瞼が閉じる。
――役目は、終わった。
アーサーが叫ぶ。 「誰か! 医者を! 早くしろ!」
民衆のどよめきが遠くで聞こえる。 その中を、必死に名前を呼んで駆け寄ってくる二つの「熱」があった。
「主様!」 「ロラン!」
リーナの嗚咽と、アルベルトの震える手。 ロランは彼らに応えることはできなかったが、その温もりだけは、暗闇に沈みゆく意識の中で最後まで感じ取っていた。
民衆の声が広場に響き渡る。 「無能の英雄が……」 「公爵に勝った……」
歓声と涙が混ざり合う中。 灰色の世界で。 少年はただ静かに、深く重い眠りに落ちていった。




