第50話:音波共振作戦
王宮前広場。
灰色の空。灰色の石畳。 すべてが彩りを失った世界の中、その男は立っていた。
アーサー・フォン・アシュベル。
鉄黒色の鎧を纏い、山のごとき威圧感を放つ実の父。 その鋭い眼光が、歩み寄るロランを捉えた。
「来たか、ロラン」
地を這うような重低音が、静まり返った広場に響く。 ロランは一歩、前に出た。 背後のアルベルトとリーナへ、下がっているように目配せする。
「はい、父上。決着をつけに来ました」
アーサーは沈黙し、じっとロランを見つめた。 その瞳に宿るのは、失望か、あるいは未知の存在に対する警戒か。
「ロラン。……お前は、変わったな」
「ええ。僕はもう、あなたが切り捨てた『無能』ではありません」
ロランの瞳には、一切の揺らぎがない。 ただ氷のような冷徹な意志だけが、そこにあった。
「ならば」
アーサーが、ゆっくりと右手を掲げた。
「お前のその『変貌』、私の力で証明してみせろ」
――瞬間、世界が軋んだ。
突如として展開される、絶対的な重力場。 光は歪み、音の伝わり方さえもが変質する。 肺が潰れるような圧迫感に、周囲の空気が悲鳴を上げた。
だが、ロランは動じない。 意識の深淵で『タクティカル・ビュー』が爆速で回転を始める。
視界を埋め尽くす、白黒の幾何学グリッド。 三十六箇所の支点、六層の螺旋構造、六十度ずつずれた位相。 アーサーの魔法という「事象」が、すべて数式へと分解されていく。
【重力魔法:展開を確認】 【出力規模:G=2.5】 【支点配置:予測通り――干渉を開始する】
ロランは懐から、ゾフィア特製の銀色の箱を取り出した。 それは魔法具ではない。 ロランの演算を現実に投影するための、「牙」だ。
「それは魔法具か?」
アーサーが微かに眉を動かす。
「いいえ」
ロランの瞳が、灰色の世界で鋭く光った。
「これは――物理です」
スイッチを押し込む。 六つの振動子が、超高周波の音波を吐き出し始めた。
人間の耳には決して届かない。 だが、空間を支配する「重力の層」を確実に破壊する不可視の波。
【周波数1:8.1掛ける10の15乗ヘルツ】 【周波数2:8.3掛ける10の15乗ヘルツ】 【周波数3:8.5掛ける10の15乗ヘルツ】 【周波数4:8.7掛ける10の15乗ヘルツ】 【周波数5:8.9掛ける10の15乗ヘルツ】 【周波数6:9.1掛ける10の15乗ヘルツ】
六重の逆位相波が、螺旋を描く重力場に突き刺さる。 演算画面上で、鉄壁だった魔力構造が脆くも揺らぎ始めた。
【干渉開始――第一層から第六層まで、共振を確認】
一つ、また一つ。 積み上げられた重力の層が、内側から弾け飛ぶ。
「何……!?」
アーサーの顔に、驚愕が走った。
「私の重力魔法が……揺らいでいるというのか……!」
アーサーがさらに出力を上げる。 だが、音波による「解体」は止まらない。 ロランの導き出した解に、魔法という神秘はなす術もなかった。
――そして。
不意に、広場を包んでいた重苦しい重圧が消えた。 光は直進を取り戻し、呼吸が劇的に楽になる。
アーサーの手が、力なく下ろされた。
「……私の魔法が、無効化された……?」
震える声。 目の前の現実が信じられないというように、アーサーは己の手を見つめた。
「無能と呼ばれたお前が……私の魔法を、超えたのか」
ロランはタクティカル・ビューを遮断した。 グリッドが消え、静寂な灰色の世界が戻る。
「はい、父上。あなたの魔法は、完全に解析しました」
沈黙が広場を支配した。 やがて――。
「ハハハ……ッ!」
アーサーの笑い声が、乾いた空気に響いた。 その瞳には、初めて――息子に対する、純粋な「尊敬」の色が浮かんでいた。
「素晴らしい、ロラン。……お前は、本物の天才だ」
その言葉を聞いても、ロランの心は凪いだままだった。 喜びも、誇りも、とっくに脳の加熱で焼き切れている。
「ありがとうございます」
感情を伴わない、短く、冷ややかな礼。
アーサーは重力魔法を完全に解除し、ロランの前に歩み寄った。 その大きな手が、ロランの肩に置かれる。
「お前は私を超えた。魔力なき者が、魔法の頂点を解析した……。これは革命だ。ロラン、お前は世界を変えるかもしれん」
肩に伝わる、父の温もり。 だがロランの中にあった憎しみも愛情も、もはや認識の彼方に消えていた。 ただ、目的を達成したという事実だけが、脳に記録される。
「父上。……カインを、解放してください」
アーサーはしばらく黙っていたが、やがて重く頷いた。
「わかった。カインの不正は、この私が責任を持って処断しよう。……もう、庇うことはせん」
父の目に、わずかな悲哀が宿った。 だが、ロランにはその感情を汲み取る機能が残っていない。
「ロラン、最後に一つ……聞かせてくれ」
アーサーの声が、微かに震える。
「お前は……まだ、『人間』か?」
その問いに、ロランはすぐには答えられなかった。
色は見えない。味も分からない。 感情さえも、もう遠い。
ロランは、自分の手を握っているリーナを見た。 伝わってくるのは、ひたむきな「熱」だけ。
「……分かりません」
ロランは、不自然に歪んだ笑顔を浮かべた。
「でも。まだ、温もりだけは感じられます。だから……僕はまだ、人間なのだと思います」
アーサーは、その壊れた人形のような息子の笑顔を見て、胸を締め付けられた。
(私は、この子に何を強いた……)
追放し、絶望に追い込み、その果てに。 息子は世界を塗り替える力を得た代わりに、人間としてのすべてを失った。
「ロラン……すまなかった……」
初めて聞く、父の謝罪。 だが、ロランがそれに応える言葉を探し出す前に。
脳内が、沸騰した。
【警告:脳内温度 39.2度 危険域到達】
「……あ」
視界が暗転する。 膝をつき、倒れ込むロランを、アーサーが咄嗟に抱き抱えた。
「ロラン! しっかりしろ!」
「父上……。僕は、まだ……戦えま……」
「もういい! もう休め! お前は十分に戦った!」
父の叫びが遠のいていく。 最後に感じたのは、自分を支えるリーナの温もり。
それだけを道標に、ロランは意識を失った。
――◆――
数時間後。
地下水道の隠れ家で、ロランは目を覚ました。 色彩のない、灰色の天井。
「38.5度……峠は越えたわね」
ゾフィアの声。 彼女が安堵の息を吐くのが聞こえる。
「主様……!」
リーナが、涙を浮かべてロランの手を握り締めていた。 アルベルトもベッドの傍らに立ち、優しく微笑んでいる。
「ロラン、よくやった。君は、アーサー公爵を打ち破ったんだ。これで、この国は変わり始める」
計画の成功。カインの処断。王都の浄化。 望んでいた結果を、ロランは手に入れた。
だが、代償はあまりに重い。 視覚、味覚、嗅覚。そして、豊かな情緒。 すべてを計算の海に沈めてしまった。
ガルドが、温かなスープを持ってきた。 ロランは一口、それを啜る。
――温かい。 ただ、それだけだ。味は、もはや「砂」と変わらない。
「ありがとうございます、ガルドさん」
礼を言うロランの顔は、やはり不自然に歪んでいる。 ガルドは溢れそうな涙を堪え、ただ深く頷いた。
夜。 一人になったロランは、灰色の世界で静かに思考を巡らせる。
カインは去った。だが、まだ終わりではない。 アルベルトを玉座へ導き、この国を真に正すまで。
ロランの演算は、止まらない。 たとえその果てに、自分という存在が完全に焼き切れるのだとしても。
灰色の世界で。 少年はただ一人、冷徹な勝利のために戦い続ける。




