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『神の視点 ~零式創世戦記~』  作者: noanoa
第6章:灰色の王都潜入

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第42話:温もりの記憶


晩餐会まで、あと二日。


ゾフィアの工房では、老婆が神経質そうな手つきで魔導冷却装置を分解していた。


「うむ……やはり、これでは不十分じゃな」


ゾフィアは拡大鏡越しに、装置の心臓部を覗き込む。 その横顔には、いつもの余裕はない。


「ロラン、お前の脳はわしの想定以上に熱を持っておる。もっと、もっと冷却が必要じゃ」 「ですが、これ以上冷やせば――」 「黙っておれ。素人は口を出すなと言ったはずじゃ」


ゾフィアはロランの反論を無造作に遮り、作業を続ける。 新しい冷却管が組み込まれ、高純度の魔導石が配置し直されていく。


「……よし。これで冷却効率は三割増しじゃ。その代わり、持続時間は少し短くなるぞ」


改良された『零式冷却冠』が、ロランの頭部に装着される。 瞬間、脳を直接凍らせるような、鋭い冷気が突き抜けた。


「……どうじゃ?」 「……。冷たい、です。頭の中の霞が、少しだけ晴れました」 「うむ。それでいい」


ゾフィアは満足げに頷いたが、すぐにその表情を曇らせた。 彼女の目は、ロランの限界を正確に捉えている。


「だが、これでも延命措置に過ぎん。ロラン、お前の脳はもう、いつ焼き切れてもおかしくない段階におる」 「わかっています」 「いや、わかっておらん! お前は自分を使い潰すことしか考えておらん!」


老婆の怒号が、狭い工房に響き渡った。 「晩餐会の最中に倒れても、わしは知らんからな。終わったら、死ぬ気で休め。いいな?」 「……はい。善処します」


その夜、アシュベル家。 カインは執務室で、脂汗を流しながら頭を抱えていた。


明日だ。明日が、期限なのだ。 父アーサーが命じた、金貨三千枚の返済。


だが、手元にあるのは――叩き売った宝石の代金、わずか五百枚。


「どうすれば……。どうすれば、いいんだ……」


震える手で、度数の高い酒を煽る。 だが、どれだけ飲んでも恐怖は消えない。 酔いよりも先に、最悪の結末が脳裏を支配する。


(父上に、何と言えばいい。……殺される。いや、それ以上に……)


勘当。追放。 自分があれほど見下していた「出来損ない(ロラン)」と同じ掃き溜めに落とされる。 それだけは、絶対に耐えられなかった。


「嫌だ……。そんなのは、嫌だ……!」


机に突っ伏したカインの背中が、惨めに震える。 その涙に、同情する者は誰もいなかった。


同じ頃。 地下水道の通路を、ロランとリーナが歩いていた。


冷却冠の効果は絶大だ。 思考は鋭敏さを保っている。……だが、それと引き換えに、大切なものが指の隙間からこぼれ落ちていく。


「主様、楽になったの?」 隣を歩くリーナが、不安げにロランを見上げた。


「ええ。ゾフィアさんのおかげで、思考がクリアですよ」 「でも――」


リーナが立ち止まった。 「主様の匂い、また変わった。冷たくなってる」


ロランは足を止め、自分の肩に鼻を寄せてみた。 ……何も感じない。


嗅覚は、もう九割近く失われている。 リーナがつけてくれた、あの花の香りさえ、もう思い出せなくなっていた。


「主様の匂い……前は、もっと温かかったのに」 「……今は、どんな匂いがしますか?」 「……鉄の匂い。冷たくて、重い、鉄の匂い」


ロランは自分の手を見つめる。 二階調の視界に映る、灰色の手。 血が通っているはずなのに、鏡のように冷たい物質に見えた。


「主様」 リーナが、ロランの右手を両手で包み込む。 その手の温もりだけは、まだ、ロランの触覚に微かな信号を届けていた。


「私、主様の温もり、ちゃんと覚えてるよ」 リーナの瞳が、暗い通路で潤んでいた。 「最初に会った時の、優しくて、人間らしい匂い」


「……」


「だから、忘れない。主様がどんなに変わっても。全部、私が覚えてるから」


ロランは、泣き出しそうな感覚を覚えた。 けれど、涙は出ない。 感情の機能が、もはや「悲しみ」を肉体的な反応に変換してくれないのだ。


「ありがとう、リーナ。……君がいてくれて、良かった」


ロランはぎこちなく、リーナの頭を撫でた。


翌朝。 ガルドが、いつもと違う趣向の朝食を用意していた。


「先生、これを食べてみてくれ」 机に並べられたのは、色彩に乏しいはずのロランの視界にも、はっきりと分かる「異質」な料理たち。


ふわふわのパン。 カリカリに焼かれたベーコン。 冷たい果実。 そして、熱々の濃厚なスープ。


「ガルドさん、これは……?」 「味が分からねえなら、せめて『食感』で楽しんでくれ。柔らかい、固い、冷たい、温かい。全部違う感触にしてある」


ガルドの言葉に、ロランの胸が微かに波立つ。 一口、パンを齧った。


味は、しない。 だが、パンの弾力と、次に口にしたベーコンの快い歯ごたえが、脳に刺激を与える。


「……美味しいです。分かりますよ、ガルドさん」 「そいつは良かった! 腕を振るった甲斐があったぜ!」


料理人の豪快な笑い声が、ロランを微かに「人間」の側に引き止める。


午後。 エレンが、潜入の最終確認に現れた。


「明日の晩餐会。マリア、影爪ともに配置を終えました」 エレンは、一着の衣装を差し出した。 「ロラン。あなたは、この侍女服を着て潜入します」 「……承知しました」


女装。 屈辱など感じない。目的を果たすための最短距離であれば、何でも利用するだけだ。


「ロラン、必ず……無事で」 エレンが、ロランの手を強く握る。 その歪んだ、感情の抜け落ちた笑顔を見て、彼女は唇を噛んで涙を堪えた。


その夜。 ロランは一人、静寂に包まれた地下水道を歩いていた。


嗅覚は、もう消失に近い。 色も、味も、匂いも失った。


だが――。 リーナの手の熱。 ガルドの料理の感触。 エレンがくれた信頼の温度。


それだけが、今のロランを「人間」に繋ぎ止める、最後のいかりだった。


(もう少しだけ……。この計画が終わるまでだけでいい)


脳を冷却し、感情を削り、それでもロランは祈る。


(もう少しだけ……人間でいさせてください)


灰色の世界の中で。 救世主は、たった一人の「個」としての尊厳を握りしめ、戦場へと足を踏み出す。





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