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『神の視点 ~零式創世戦記~』  作者: noanoa
第6章:灰色の王都潜入

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第41話:仮面の下


晩餐会まで、あと四日。


ゾフィアの工房に、一人の女性が姿を現した。 地味な侍女服に身を包んだ、マリアだ。


一見すれば、どこにでもいる若い給仕。 だが、その瞳の奥には――鋭い知性が静かに、しかし確かに宿っていた。


「エレン様より、ロラン様への伝言を預かって参りました」


マリアが差し出したのは、小さなメモ。 そこには、緻密な筆致で王宮内部の「裏側」が刻まれていた。


「王宮の見取り図、および警備の配置図です」


ロランは受け取った紙面に、二階調の視界を落とす。 黒と白、その境界線だけで描かれた情報。


晩餐会の会場。警備兵の交代時間。侍女たちの動線――。 網の目のように張り巡らされた王宮のシステムが、丸裸にされていた。


「……素晴らしいな。これほどの情報を、一体どうやって?」


思わず漏れた感嘆に、マリアは表情一つ変えず、静かに答える。


「侍女は、王宮において『透明な存在』です」 「透明?」 「ええ。誰も、私たちの顔など見てはいません。風景の一部と同じ。だからこそ――見えるのです。すべてが」


透明な存在。 その言葉が、ロランの胸に妙に深く突き刺さった。


(……僕と同じ、か)


魔力を持たず、家を追われた自分。 この世界において、ロラン・フォン・アシュベルという存在もまた、透明なのだ。


「マリアさん。晩餐会当日、あなたには……この役割を担ってほしい」


ロランが計画の核心を告げると、マリアの瞳に驚愕の色が走った。 「……それは、あまりにも危険すぎます」 「わかっている。だが、これしか方法がないんだ」 「もしロラン様が捕まってしまえば、二度と――」 「大丈夫だ。僕の影には、影爪シャドウクロウがいる」


ロランの声音には、迷いがない。 「それに、あなたという協力者がいれば――成功する」


沈黙が工房を支配する。 数拍の後、マリアは静かに、深く頷いた。


「……承知いたしました。命を賭してお供します」 「ありがとう、助かるよ」


ロランは、深く頭を下げた。


――その夜。


地下水道の奥、水の流れる音だけが響く静寂の中で。 アルベルトが、ロランを呼び止めた。


「ロラン。少し、話をいいか」


いつもより低い、重みのある声。 ロランは足を止め、主君の顔を見上げた。


「何でしょうか、アルベルト様」 「君……本当に、大丈夫なのか?」


アルベルトの手が、ロランの肩に置かれる。 そこから伝わる温度は温かいはずなのに、今のロランには「圧力」としてしか感じられない。


「最近の君は、変わった。……いや、削れていっているように見える」 「削れて……?」 「ああ。以前はもっと、人間らしい揺らぎがあった。だが今は――まるで、冷徹な機械を見ているようだ」


ドクリ、と心臓が跳ねる。 機械。 それは、今のロランが最も恐れ、同時に逃げ込みたいと思っている領域だった。


「アルベルト様、僕は……」 「いいんだ、説明しなくていい」


アルベルトの微笑みは、悲しげに歪んでいた。 「わかっている。君が僕のために、どれほどの無理を重ねているか。……だが、ロラン」


不意に、アルベルトの声が震えた。 「もういい。もういいんだよ、ロラン」 「え……?」 「もう、僕は王にならなくていい。君が壊れていくのを見てまで、手に入れたい玉座などない!」


アルベルトの瞳に、熱い涙が浮かぶ。 その色彩すら見えないロランは、衝動的に叫びを返していた。


「何を、言っているんですか!」


初めて荒らげた声が、湿った地下壁に反響する。 「あなたは、王にならなければならない。民のため、そして……僕のために!」 「なぜだ!? なぜそこまでして、自分を切り捨てる!」 「僕には、これしかないからだ!」


必死の叫びが、喉を焼く。 「僕には魔力もない! 剣を振るう力もない! 誇れる血統も失った! できるのは、脳を削って考えることだけだ!」


震える拳を握りしめ、ロランは吐き捨てるように続けた。 「だから、あなたを王座に就かせることだけが――僕が生きる、唯一の証明なんです!」


アルベルトは、言葉を失った。 ロランの瞳に宿る、痛々しいまでの決意。それはもはや、忠誠心すら超えた「執念」だった。


「……すみません。感情的になりました」


ふっと毒気が抜けたように、ロランが視線を逸らす。 刹那、柔らかな感覚が彼を包んだ。 アルベルトが、その細い体を力強く抱きしめていた。


「君の気持ちは、わかった。……だが、忘れないでくれ」 「…………」 「君は、僕の友達だ。友達が壊れていくのを見るのは、何よりも辛いんだよ」


アルベルトの温かさが、服を通して伝わる。 涙が零れそうになる感覚はあるのに、瞳は乾いたままだった。 感情の蛇口が、壊れてしまったかのように。


「……ごめんなさい」


小さな謝罪だけが、暗がりに消えた。


翌日。 カイン・フォン・アシュベルは、自室で崩れ落ちていた。


「五百枚……だと?」


目の前の宝石商が提示した金額。 母の形見、アシュベル家の至宝を叩き売って、得られたのは三千枚のたった六分の一だった。


「これでも、かなり色をつけた方でして……。今の市場は冷え込んでおりますから」 「ふざけるな! これは国宝級の……っ!」 「市場価値がすべてでございます」


冷酷な現実。 期限まで、あと二日。 残る二千五百枚を工面する方法など、この世のどこにも存在しない。


「ロラン……あの出来損ないの、ゴミ屑が……っ!」


カインの顔が、憎悪で土気色に歪む。 だが、どれほど呪詛を吐こうとも、過ぎ去る時間は止められなかった。


その夜。 ロランは一人、ガルドの用意したスープを口に運んでいた。


立ち上る湯気は、確かに熱い。 だが――。


(味が、しないな)


どれほど濃厚な出汁を効かせても、舌に触れるのは「熱い液体」という触感だけ。 甘みも、塩気も、旨味も。 すべての情報は、ロランの脳に届く前に消えていた。


カチリ、とスプーンを皿に置く。


「主様……食べないの?」


いつの間にか、リーナが隣に座っていた。 「……味が、わからないんだ」 「……え?」 「何も感じない。ただ、熱いものを胃に流し込んでいる感覚しかない」


リーナの手が、そっとロランの手を包み込む。 「私……何もできなくて、ごめんなさい」 「いいんだ、リーナ。君がそばにいてくれるだけで、僕はまだ、人間としての形を保てている」


ロランはリーナの頭を撫でる。 微笑もうとしたが、頬の筋肉がうまく動かない。 鏡を見ずともわかる。今の自分は、きっと酷く歪な顔をしているだろう。


その直後、リーナはキッチンへ走り、ガルドを捕まえた。 「ガルド! 主様、もう味がわからないって……!」 「……そうか。ついにそこまで来たか」


ガルドは、太い腕を組み、厳かにつぶやいた。 そして、まな板の上にある食材を鋭い目で見つめる。


「せめて、食感で楽しんでもらうしかねえな」 「食感?」 「ああ。カリッとした歯ごたえ、トロリとした舌触り、冷たさと熱さの対比。味が見えねえなら、舌で感じる『景色』を増やしてやる」


ガルドの目に、料理人としての矜持が宿る。 「恩人のために、できることは全部やる。それが俺の流儀だ」


リーナは、その言葉に救われたように、何度も涙を拭った。


晩餐会、三日前。 ロランはエレンと最終確認を行っていた。


「準備は、すべて整いました」 エレンの報告に、ロランは淡々と頷く。 「マリアの配置、影爪の二重契約……懸念点はありません」


「……ロラン、本当に大丈夫ですか?」 エレンが、不安げに覗き込んできた。 「最近のあなた……まるで、感情の糸が切れてしまったみたいで」


ロランは、答えなかった。 いや、答えが見つからなかった。 喜びも、悲しみも、エレンへの親愛も。 すべてが薄い霧の向こう側にあり、手が届かない。


「エレンさん。もし、僕が人間でなくなっても――」 「何を言っているんです!」


エレンが、ロランの両手を強く握りしめた。 「あなたは人間です! ここに心があって、私たちを救ってくれた優しさがある!」 「エレン、さん……」 「自分を否定しないでください。私たちが、それを許しません」


その瞳に浮かぶ涙。 それすら、ロランの視界では、白と黒の混じった無機質な滴にしか見えなかった。


その夜。 ロランは一人、冷却冠の冷気に思考を預け、地下水道を歩く。


五感の消失。 感情の麻痺。


(晩餐会が終わったら……すべてを話そう)


自分という装置が、壊れかけていることを。 それでも、この灰色の世界を、彼らの未来のために守り抜くことを。


ロランは静かに、決意を固める。 絶望的な喪失の果てに、なお消えぬ「救済」という光を求めて。





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