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『神の視点 ~零式創世戦記~』  作者: noanoa
第6章:灰色の王都潜入

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第40話:崩れゆく黄金


翌朝。 アシュベル家の本拠地『鉄黒城』には、肌を刺すような緊張感が漂っていた。


執務室に呼び出されたカインは、父アーサーの前で無様に震えていた。 王を凌ぐ権威を持つアシュベル公爵。その静かな怒りは、物理的な質量となって室内を圧迫している。


「説明しろ、カイン」


アーサーの声は、深海のように低く、冷たい。 その一言だけで周囲の重力が跳ね上がり、調度品がミシミシと悲鳴を上げた。


「……投資していた三つの商会が、すべて同時に破綻した。これはどういうことだ?」


「そ、それは……」 カインは必死に言葉を絞り出す。 「突然の不祥事やデマが重なり……誰も、このような事態は予想できませんでした」


「誰も、だと?」


アーサーの瞳が、凍てつくような光を宿す。 「リスクを予測し、先手を打つ。それが投資家の価値ではないのか」


「ですが父上、あれはあまりに不自然で――」


「黙れ」


その瞬間、部屋の重力が爆発的に増大した。 カインの体は、抵抗する術もなく冷たい床へと叩きつけられる。


「ぐっ……あ……っ」


「お前に貸し与えた軍資金、金貨三千枚。すべてがちりとなった」


アーサーは立ち上がり、這いつくばる息子を冷徹に見下ろした。 「あの『出来損ない』は、アイギス砦を死守し、自由都市エモンで経済戦に勝利した。……そして今、この王都に潜伏している」


カインの顔が、恐怖で引きつる。


「お前の投資が連鎖的に崩壊したのは、果たして偶然か?」


カインは答えられない。 自分の喉を塞いでいるのが、父の重力魔法なのか、弟への拭いがたい恐怖なのかさえ分からなかった。


「三日以内に、失った金貨三千枚を補填せよ」


アーサーは最後通告を突きつけ、振り返ることなく部屋を去った。 「できねば――アシュベルの姓を捨て、野垂れ死ね」


後に残されたのは、汗と屈辱にまみれたカイン一人。 床に爪を立て、血の滲むような憎悪を吐き出した。


(ロラン……あの、ゴミめが……!)


同じ頃。王宮の厨房では、一人の侍女が淡々と働いていた。


マリア。 地味な容姿に、隙のない所作。 王宮という伏魔殿で、彼女は風景の一部として完全に溶け込んでいた。 エレン・ローウェルが放った、潜入工作員の一人である。


彼女は貴族たちのテーブルに料理を運びながら、その耳を極限まで澄ませていた。


「カイン様、窮地らしいわよ」 「ええ、投資に失敗して公爵閣下に勘当寸前だとか……」


情報の欠片を、脳内の地図に嵌め込んでいく。 厨房の片隅に戻った彼女は、食材の検品を装い、小さな羊皮紙に素早く暗号を走らせた。


『カイン、三日以内に三千枚の返済を命じられる。失敗=廃嫡の公算大』


その夜、マリアは王宮のゴミ捨て場近くで影のように待っていたサイラスに、その紙を託した。 言葉は交わさない。 影から影へと、情報という名の刃が渡された。


一時間後。ゾフィアの工房で、ロランはその報告を受け取った。


「カイン、完全に追い詰められましたね」 エレンが、毒を含んだ蜜のような笑みを浮かべる。「三日で三千枚。今の彼には、逆立ちしても不可能です」


「ええ。資産はすべて僕が買い叩きましたから」


ロランは淡々と頷く。 実の兄が破滅する。 その事実は、数式上の正解としてロランの胸に落ちた。 だが――。


(僕は、自分の家族を、自らの手で解体している……)


微かな胸の痛み。 それを「不要なノイズ」として演算の彼方へ追いやる。 今は、感傷に浸っている余裕などない。


「エレンさん。近衛騎士団長レオナードの状況は?」


「芳しくありません。大臣ダリウスの手によって、王宮の地下牢に拘束されています」


レオナード。 アルベルトが幼き頃、剣の手解きを受けた高潔な騎士だ。 彼を救い出せば、独立連隊にとって大きな大義名分と戦力になる。


「……五日後、ダリウスが主催する晩餐会がありますね」


ロランは、頭部の『零式冷却冠』の冷気を感じながら、地図の一点を叩いた。 「その場で、ダリウスの不正を全貴族の前で暴露します。混乱に乗じて、レオナード卿を救出する」


「晩餐会への乱入!? 警備が厳重すぎますわ!」


「大丈夫です。そのための『仕掛け』は、既に済ませてあります」


ロランの瞳が、青く冷たく燃え上がった。


その夜。 ロランはリーナを連れ、地下水道の偵察を行っていた。 体調は、日に日に泥沼へ沈むように悪化している。


「主様、休む?」


リーナが、心配そうにロランの顔を覗き込む。


「大丈夫です。……少し、風に当たりたいだけですよ」


ロランは無理に口角を上げた。 だが、その視界は完全に彩りを失い、ただの灰色の濃淡で構成されている。


「主様……匂い、わからない?」


リーナが、不意に足を止めて言った。


「え?」


「私、さっき『月花』の香油を髪につけた。主様が、好きな匂い」


ロランは、言葉を失った。 鼻をくのは、地下水道の湿ったカビの臭気だけだ。 可憐で、甘いはずの彼女の香りは、どこを探しても見当たらない。


(嗅覚も……か)


味覚が消え、今度は嗅覚までもが、演算の炎に焼かれて消え去った。


「……気づきませんでした。ごめんなさい、リーナ」


「謝らないで」 リーナはロランの冷えた手を、両手で包み込んだ。 「主様、悪くない。……私が、主様の鼻になる。だから、大丈夫」


その手の温もり。 それだけが、ロランが世界と繋がっている、唯一の証明だった。


一方、カインは狂ったように街を駆けずり回っていた。 かつてびを売ってきた貴族たちに頭を下げ、融資を乞う。 だが、返ってくるのは冷笑と拒絶ばかりだ。


「申し訳ない、カイン様。今は、こちらも余裕がなくて」 「沈む船に貸す金は、我が家にはありませんよ」


絶望。 あと二日で、三千枚。 不可能だ。


カインの脳裏に、極限の闇が広がる。 その時、汚れた手配書が目に留まった。 ロランの首。金貨千枚。


(そうだ……あのゴミを……あいつさえ捕らえれば、父上も!)


カインは震える手で『黒犬部隊』への通信石を起動した。


影爪えいそう! ロランだ! ロランを今すぐ捕らえろ! 場所はわかっているはずだ!」


「……」 通信の向こうから、冷たい沈黙が返る。


「どうした、影爪! 返事をしろ!」


「カイン様。残念ですが、そちらの依頼は既にキャンセルされています」


影爪の、嘲笑を含んだ声。


「な、何だと……?」


「私は既に、ロラン・フォン・アシュベルと契約を交わした。……彼は『誠実』なクライアントでね。あなたの首を狙わぬよう、私にたっぷりと金を払ってくれたよ」


「お前……裏切ったのか!? 卑賎な傭兵風ぜがッ!」


「裏切り? いいえ、『取引』ですよ。……さようなら、無一文の元貴族様」


通信が途切れた。 カインの手から通信石が滑り落ち、石畳で粉々に砕けた。


すべてを失った。 灰色の世界で、一人の男が静かに崩れ落ちた。





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