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『神の視点 ~零式創世戦記~』  作者: noanoa
第6章:灰色の王都潜入

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第39話:黄金の糸


地下水道の湿った空気が、ぴんと張り詰める。


影爪えいそうは短剣を構えたまま、獲物を値踏みするようにロランを凝視していた。 リーナもまた、指先に魔力を込め、いつでも飛びかかれるよう膝を沈めている。


だが――ロランだけは、死の淵にあっても驚くほど冷静だった。


「影爪さん。あなたは賞金稼ぎ、あるいは利に聡い傭兵だ」


「そうだ」 影爪の声が、暗がりに低く響く。 「金貨千枚。それがお前の首の値段。裏切る理由はない」


「では、私はその一・五倍を提示しましょう」


ロランの瞳が、真っ直ぐに影爪を捉えた。


「金貨千五百枚。私を捕らえるのではなく、私を『守って』いただきたい」


影爪の眉が、わずかに動いた。 「守る……だと?」


「ええ。私たちが王都で目的を果たす間、黒犬部隊の追撃から私を、そして仲間を護衛してほしい。いわば、二重契約ダブルブッキングです」


「……正気か? 俺は黒犬部隊の長だ。仲間を売れと言うのか」


「裏切りではありません。より条件の良い『取引』に乗り換えるだけのことです」


ロランは淡々と、事務的に告げた。 「あなたは金が欲しい。私は安全が欲しい。これ以上に簡潔な式はないはずだ」


影爪は沈黙した。 地下水道を流れる水の音だけが、数秒の静寂を埋める。 やがて、影爪はふっと肩の力を抜き、短剣を鞘に収めた。


「……面白い」


男の口元に、愉悦の笑みが浮かぶ。 「だが、どうやって千五百枚もの大金を用意する? 今の貴様は、ただの逃亡者のはずだ」


「今はありません。ですが――三日後、あなたの手元に届くよう『演算』しました」


「三日……。いいだろう、乗ったよ」


影爪の体が、足元の闇へ泥のように溶けていく。 「お前は面白い。そのハッタリ、最後まで突き通してみせろ」


気配が完全に消えた。 リーナがようやく短剣を下ろすが、その顔には不安が隠せない。


「主様、本当に大丈夫……?」


「ええ。何とか『時間』は買えました。……さて、次は『資金』を調達しましょう」


翌朝。 ロランはエレンを呼び、王都の心臓部を突くためのデータを求めた。


「エレンさん。カイン・フォン・アシュベルの個人資産について、詳細を」


「カイン様の……?」 エレンは驚きに目を見開く。「お兄様の財布を狙うのですか?」


「ええ。彼は王都の『三大商会』に莫大な投資を行っている。その生命線を、三日で断ち切ります」


数時間後、エレンが持参した資料は、カインの「慢心」を如実に物語っていた。


一つ、高級織物の『ゴールドリーフ商会』。 二つ、宝飾品製造の『シルバーウイング商会』。 三つ、新鋭魔導具の『クリムゾンフレイム商会』。


「カインの投資額は、金貨換算で約三千枚。……そしてここが急所です」


ロランは資料の一点を指差した。 「この三社、すべてが王都中央銀行からの『短期融資』で首が回らなくなっている」


「その通りです。季節ごとの仕入れに、莫大な運転資金を必要とする商売ですから」


「……ならば、その『信用』を内部から腐らせましょう」


ロランは、タクティカル・ビューを部分起動させた。 視界が青く染まり、商会の帳簿データが空中へ展開されていく。 流動資産、負債比率、不渡りの確率――。


「デマを流します。……いえ、半分は真実を混ぜた『毒』を」


ロランの指が、チェスの駒を動かすように地図をなぞる。


「ゴールドリーフの織物に有毒染料の疑い。シルバーウイングの宝石に贋作がんさくの混入。クリムゾンフレイムの魔導具による爆発事故。……サイラス。街のネズミたちを使い、この噂を『貴族の社交場』から順に広めてください」


「承知いたしました。……お手の物です」


影の中から、サイラスの冷淡な声が応えた。


作戦は、面白いほどに「演算」通りに進んだ。


噂は下層から上層へ、まるで疫病のように駆け巡った。 一度「疑念」という種が植えられれば、大衆は自らそれを育て、肥大化させる。


二日目には商会の前に怒号が飛び交い、三日目には中央銀行が融資の回収を宣言した。 信用の崩壊。 カインが投じた金貨三千枚は、文字通り「紙屑」へと変わった。


その夜。 カイン・フォン・アシュベルは、自室で頭を抱え、絶叫していた。


「なぜだ! なぜこんな、あり得ないことが同時に起きる!?」


父から預かった軍資金。それが、一夜にして消失した。 弟を「無能」と見下していた彼は、まだ気づいていない。 自分を破滅させたのが、魔力も持たぬ「鼠」の仕業であることを。


同じ頃。ゾフィアの工房。 エレンが、誇らしげに羊皮紙を広げた。


「商会の資産、安値ですべて買い叩けました。換算して金貨二千枚相当です」


「十分です。そこから影爪へ千五百枚を。これで私たちの背後は守られます」


ロランは短く答え、椅子に深く身を沈めた。 ……頭が、焼けるように熱い。 タクティカル・ビューの酷使が、限界を超えようとしていた。


「ロラン、顔色が悪いわ。少し休みなさい」


「ええ……。少し、横になります」


リーナが差し出したコップの水を、ロランは一口飲んだ。 ……冷たい。 氷のように冷えた感覚だけが、喉を通っていく。


だが。 水の清涼感も、喉を潤す喜びも、そこにはなかった。 味覚。 その最後の残滓ざんしさえ、今の演算で削り落とされてしまった。


(ああ……水が、ただの『冷たい液体』になった……)


「主様、ごはん。チーズ、食べる……?」


リーナが差し出した食事を、ロランは黙って受け取った。 噛み締めても、そこにあるのは「固形物」という質感だけ。 香ばしさも、コクも、もはや遠い記憶の中だけのものだ。


「……味、わかる?」


リーナの震える声。 彼女の鋭い五感は、あるじの異変を正確に捉えていた。


「……いいえ」 ロランは正直に、だが優しく答えた。 「もう、何も感じません。ですが――」


ロランは、リーナの小さな手を握った。 味も色もない世界。 それでも、手のひらから伝わるこの「温もり」だけは、確かに数式を超えて届いている。


「この温かさだけは、まだ、覚えています」


「主様……」


リーナが、ロランの腕にしがみついた。 失われていく感覚。 削られていく命。 それでも、軍師の瞳は、灰色の世界の向こう側にある「勝利」だけを、冷徹に見据えていた。





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