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『神の視点 ~零式創世戦記~』  作者: noanoa
第6章:灰色の王都潜入

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第38話:影の牙


王都潜入、三日目。


ロランは、地下水道の奥深くで地図を広げていた。 サイラスが持ち帰った鮮度の高い情報を、一つずつ脳内のグリッドへ上書きしていく。


「王宮の警備は、通常の三倍以上に膨れ上がっています」


サイラスの声が、湿った大気に静かに溶け込む。 「街中を巡回しているのは、正規軍ではありません。『黒犬部隊』です」


「……黒犬部隊」


ロランはその悪名を知っていた。 アシュベル家が裏で飼いならす、非公式の暗殺集団。 慈悲を知らず、標的を仕留めるまで決して足を止めない「猟犬」たちだ。


「リーダーは?」


「『影爪えいそう』と呼ばれる男です。影の中に潜む魔法を操るとか」


「影の中に、か……」


厄介な魔法だ。 光と闇の境界を自在に行き来する能力は、物理的な隠れ場所を無意味にする。


「気をつけてください、ロラン様。彼らはあなたの『首』を、執念深く求めています」


「分かっています。ですが、猟犬に怯えていては、王都の心臓部へは届かない」


その時――。 地下水道の奥から、複数の足音が反響してきた。 不規則なリズム。そして、鎧が擦れる不吉な金属音。


「……隠れましょう」


ロランとサイラスは、即座に呼吸を殺し、壁のくぼみにある深い闇へと身を沈めた。


現れたのは、五人の黒い装束の男たち。 全員が顔を覆面で隠し、腰には一目で特注と分かる黒塗りの短剣。 黒犬部隊。


「このあたりに、獣人の匂いが残っているな」


先頭の男が、獣のように鼻を鳴らした。 「つい先刻だ。誰かがここを通った」


「独立連隊の残党か?」


「おそらく。ねずみを追い詰めるのは、私の得意分野だ」


男たちは周囲をなめるように警戒しながら、一歩ずつロランたちの潜伏地点へ近づいてくる。


ロランは、限界まで息を止めた。 鼓動の音さえも演算のノイズに思えるほどの緊張感。


だが、先頭の男が不意に足を止めた。 その双眸が、ロランたちが潜む暗がりに向けられる。


「待て。そこに――」


見つかった。 ロランが次の行動を演算しようとした刹那、サイラスが動いた。 指先で弾いた小石が、反対側の通路の奥で「カラン」と乾いた音を立てる。


「あっちだ! 追え!」


黒犬たちが一斉に音の方向へ駆け出していく。 そのわずかな隙を突き、ロランとサイラスは音もなく逆方向の通路へと脱出した。


ゾフィアの工房に戻ると、リーナが待っていた。


「主様、無事?」


「ええ。サイラスの機転に助けられました」


影のように部屋の隅へ消えていくサイラスを一瞥し、ロランは椅子に腰を下ろした。 リーナが、申し訳なさそうに小さな包みを差し出す。


「主様、ごはん。……地下、これしかない」


中身は、石のように固くなったパンと、乾燥しきった干し肉。


「……いただきます」


ロランはパンを一口かじった。 「固い」という感触はある。顎に伝わる抵抗感で、それが食べ物であることは分かる。


だが――。 味が、しない。 小麦の香ばしさも、塩気の刺激も、もはや微塵も感じられない。 ただの「無味乾燥な固形物」を胃に流し込むだけの作業。


「……美味しい?」


リーナの問いに、ロランは言葉を失った。 これまでは嘘をついてきた。彼女を悲しませたくなかったからだ。 だが、味覚の消失はもはや、誤魔化せる段階を超えていた。


「……分かりません」


「味……?」


「ええ。色覚を失ったように、今度は味覚が……霧の中に消えてしまったようです」


ロランの声が、わずかに震える。 「僕は、また一つ、人間としての欠片を失いつつあります」


リーナは何も言わなかった。 ただ、ロランの手をそっと握りしめた。 体温だけは、まだ感じられる。 その確かな温もりだけが、今のロランを「こちら側」に繋ぎ止めていた。


その夜。王宮の一角では、それとは対照的な豪華な晩餐会が催されていた。


並べられた贅の極み、談笑する貴族たち。 その中心に座るのは、カイン・フォン・アシュベル。 父アーサーに似た端正な顔立ちだが、その瞳には傲慢さと、隠しきれない焦燥が混じっていた。


「カイン様。あなたの弟君が王都に潜伏しているとか」


「ふん、あの出来損ないがか」


カインは高級なワインを飲み干し、鼻で笑った。 「魔力なき者が、この鉄壁の王都で何をできる。所詮は溝鼠どぶねずみだ。父上の猟犬たちが、すぐに噛み殺すだろう」


だが、カインの指先はわずかに震えていた。 彼は知っているのだ。 無能と蔑んでいた弟が、アイギス砦を守り抜き、今や『灰色の救世主』として民衆に希望を与えていることを。


「ご安心を。捕縛は時間の問題です」


太った体を揺らしながら近づいてきたのは、大臣ダリウスだ。


「黒犬部隊のリーダー『影爪』が自ら指揮を執っています。あの男が標的を定めて、仕留め損なったことは一度もありませんからな」


「そうか……。なら、安心だ」


カインは安堵の息をつく。 だが、胸の奥の不吉な予感は消えない。 ロランはいつも、想定外のことわりで、すべての計算を壊してくるからだ。


同じ頃。ゾフィアの工房で、ロランはアルベルトとエレンに向き合っていた。


「ロラン、このまま潜伏を続けるのか?」


「いいえ。そろそろ、こちらから仕掛けます」


ロランの指が、地図上の一点を叩いた。 「ここに、カインの私邸があります。彼は父とは別に、独自の巨大な資産を運用している」


「兄上の資産を……奪うのか?」


「いいえ、凍結します」


ロランの瞳が、青く、鋭く輝く。 「経済戦エコノミック・ウォーを仕掛けます。カインが投資している王都三大商会の信用を、三日以内に内部から破壊する」


エレンが驚愕に目を見開いた。 「三日!? そんな短期間で商会の信用を落とすなんて、普通は……」


「僕の演算に『普通』は必要ありません」


冷徹なまでの宣言。 だが、その声からは以前のような張り(・・)が失われていることに、アルベルトだけは気づいていた。


その夜更け。 ロランは一人、冷却冠の冷気を浴びながら地下水道を歩いていた。 情報を繋ぎ合わせ、勝利への最短距離を計算し続けるために。


(僕は、どこまで人間でいられるのだろうか……)


自分の手を見つめる。 灰色の肌。味のない口内。


だが、それでも。 まだ、戦わなければならない理由がある。


その時――。 背後から、刺すような殺気が放たれた。


「見つけたぞ、ロラン・フォン・アシュベル」


闇の中から、一人の男が染み出すように現れた。 影爪。黒犬部隊のリーダーだ。


「お前の首は、金貨千枚。あるいは、それ以上の価値がある」


ロランは足を止め、冷静に距離を測った。十メートル。 退路はない。


「どうする? 猟犬に噛み殺されるか、大人しく檻に入るか」


影爪が短剣を抜いた、その瞬間。 彼の背後に、音もなくリーナが舞い降りた。 その刃が、影爪の喉元を正確に捉える。


「……動くな」


リーナの冷たい声。 だが、影爪の口元には嘲笑が浮かんでいた。


「獣人の斥候か。速いな。……だが」


影爪の体が、泥のように足元の影へ溶けて消えた。 リーナの短剣が空を切り、男は数メートル離れた場所から、再び染み出すように現れる。


「私は影そのものだ。影がある限り、私は殺せん」


影爪が再び構え直す。リーナもまた、獣のような闘志を剥き出しにした。


「……待ってください、リーナ」


ロランが二人の間に割って入った。


「影爪。……僕と、取引しませんか?」


「取引だと? 死に損ないの軍師が」


「金貨千枚。……それより遥かに良い条件を、僕なら提示できる」


ロランの瞳が、真っ暗な地下水道の中で青く燃え上がった。 「あなたは、金が欲しいのではない。……『自由』が欲しいのでしょう?」


影爪の動きが、一瞬だけ止まった。 その瞳に、初めて「標的」に対する興味が宿ったのを、ロランは見逃さなかった。





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