第4話:死神の演算
帝国軍が一時撤退してから、二時間が経った。
砦の兵士たちは、死に物狂いで防備を固めていた。 崩落した城壁の破壊口を、瓦礫や木材で強引に塞ぎ、矢や石を積み上げる。
誰もが極限の疲労の中にいたが、その瞳には、先ほどまでなかった「光」が宿っていた。
「あの新兵…… ロランって奴、何者なんだ?」 「魔法も使わねえで、帝国軍を追い返しちまったぞ」 「もしかしたら…… 俺たち、本当に生き残れるんじゃねえか?」
兵士たちのささやきが、城壁の上に流れる。 ロランはそれを聞き流しながら、ただ一点、北の地平線を凝視していた。
――ズキズキと、脳が脈打つ。 額に触れると、驚くほどの熱を持っていた。
(脳が、焼けている……)
タクティカル・ビューの代償だ。 超並列演算のために脳細胞がフル回転し、物理的に発熱している。 これを使い続ければ、いずれ自分はどうなるのか。 ロランはその答えを、あえて思考の外へと追いやった。
「ロラン、大丈夫かい?」
アルベルトが、心配そうに歩み寄ってきた。 「顔色がひどい。少しでも横になった方がいい」
「大丈夫です」 ロランは短く、突き放すように答えた。 「すぐ、次が来ます。休んでいる暇はありません」
「でも――」
「アルベルト様」
不意に、ロランが敬称をつけて呼んだ。 アルベルトが、あからさまに目を見開く。
「…… あなたは、この砦で最も強いマナを秘めている。 あなたが倒れれば、ここの士気は瓦解します」
「…… 君は、知っているんだね」 アルベルトは、寂しげな笑みを浮かべた。 「僕が、レガリアの王子だということを」
「噂は耳にしていました。毒殺未遂で倒れ、王位継承権を剥奪された『呪われた王子』がいると」
ロランの言葉に、アルベルトは何も答えなかった。 ただ、遠い空を見つめている。
「僕は弱いんだ。魔力はあっても、毒の後遺症で制御できない。 剣だって、まともに振れない出来損ないさ」
「それでも、あなたは立っている」 ロランの声が、静かに響く。 「あなたがそこにいるだけで、兵士たちには希望になる。…… 今は、それで十分です」
アルベルトは、ロランをじっと見つめた。 やがて、小さく、だが確かな微笑を浮かべる。
「君は、優しいんだね」
「…… そうでしょうか」
「優しくなければ、『お前たちを死なせるわけにはいかない』なんて言えないよ」
ロランは答えなかった。 ただ、胸の奥に、演算では説明できない温かな何かが灯るのを感じた。
その時。 見張り台から、裂帛の叫びが上がった。
「敵襲ッ! 北から、また来るぞ!」
空気が一変する。 ロランは北を向き――わずかに目を細めた。
今度の帝国軍は、先ほどまでとは「格」が違った。 整然とした隊列の中央に、三基の巨大な「攻城櫓」が鎮座している。 その周囲を、盾を構えた重装歩兵が隙間なく固めていた。
「やべえ…… 本気で潰しに来やがった」 ハンスが声を震わせる。 「あの櫓が城壁に取り付かれたら、おしまいだ……!」
周囲に、再び絶望が伝染していく。 だが、ロランの世界は、すでに青く染まっていた。
――タクティカル・ビュー、再起動。
攻城櫓の構造、材質、移動速度、重量配分。 すべてがグリッド状の数値となり、弱点を浮き彫りにする。
「ハンスさん、油はありますか」
「油? ああ、調理用なら少しあるが……」
「すべて持ってきてください。それと、布と矢を」 ロランは、冷徹な機械のように指示を飛ばした。 「矢の先端に油を染み込ませた布を巻き、火矢にして撃ちます」
「火矢か! だが、あの櫓は濡れた革で防護されてる。 火は効かねえぞ!」
「櫓自体は狙いません」 ロランは、攻城櫓の底部――巨大な車輪を指差した。
「あの車輪の軸。あそこだけは木製です。 そこに火矢を収束させれば、軸が焼け落ち、櫓は自重で崩壊します」
「だが、あんな小さな狙い所を、この距離で……」
「僕が、座標を指示します。…… 信じてください」
火矢の準備が整う。 帝国軍の攻城櫓が、死の境界線へと踏み込んでくる。
ロランの脳内では、もはや人間業とは思えない密度の演算が展開されていた。
風速:北西より秒速4.2メートル。 櫓の移動速度:秒速0.8メートル。 重力加速度、空気抵抗、マナの揺らぎによる偏り。 すべてを統合し、唯一の「正解」を導き出す。
「ケント!」 ロランは、新兵の中でもっとも弓の筋が良い若者を呼んだ。
「は、はいッ!」
「これから僕が言う通りに、撃ってください。…… いきますよ」 ロランは、震えるケントの隣にぴたりと立った。 視界に映る青い軌道を、言葉に変換する。
「仰角、28度。狙点は櫓の左前輪、地面から30センチの位置。 …… 風が止むまで待って」
――今だ。
「放て!」
シュッ、と鋭い音を立てて矢が放たれた。 炎の尾を引く一筋の光が、吸い込まれるように飛んでいき――。
ガキィィンッ!
吸い付くような精度で、車軸に突き刺さった。 乾燥した木材に、一気に炎が燃え広がる。
「次は右前輪だ! 仰角27度!」
ロランの指示が飛ぶ。 ケントはもはや考えるのをやめ、言われた通りに弦を引き、指を離す。
二発目も、見事に命中。 車軸が激しい炎を上げ、メキメキと不吉な音を立て始める。
そして――。
ドォォォォォンッ!
悲鳴を上げながら、巨大な攻城櫓が前のめりに倒壊した。 内部にいた帝国兵たちが、なす術なく地面へ叩きつけられる。
「やったぁぁ! 倒したぞッ!」 城壁に歓声が爆発した。
「次、二基目! 狙いを変えるな!」
ロランの猛攻は止まらない。 二基目、三基目の攻城櫓も、吸い込まれるような火矢の雨によって、次々と燃え盛る瓦礫へと成り果てた。
帝国軍の陣形が、目に見えて混乱し始める。 だが、その時だった。
――グニャリ、と。 ロランの視界が歪んだ。
割れるような頭痛。 額から、熱い何かが一筋、流れ落ちる。 拭うと、それはどす黒い鼻血だった。
「ロラン!」 アルベルトが駆け寄り、彼を抱きとめる。 「もういい! 無理をするな!」
「いえ…… まだ……」
ロランは歯を食いしばる。 脳内の温度が、限界を突破しつつある。 だが、まだ敵の本隊は沈黙している。 指揮官が何かを狙っているはずだ。
霞む視界で、敵陣を、魔導砲の動きを追う。 そして――戦慄した。
魔導砲の砲口が、城壁ではなく「砦の内部」――兵舎を向いている。
「全員、兵舎から離れろッ! 今すぐ逃げろッ!」
ロランの絶叫に、兵士たちが弾かれたように走り出す。
三秒後。 ドガァァァァァンッ!
兵舎が、爆発と共に粉々に砕け散った。 避難がわずかでも遅れていれば、数十人が一瞬で肉塊に変わっていただろう。
「ロラン…… お前、化け物か……?」 ハンスが、震える声で呟いた。
だが、ロランには答える余裕などなかった。 意識の端が、煤けるように消えていく。
視界が、暗転する。 膝から力が抜け、倒れ込むロランを、アルベルトが必死に支えていた。
「ロランッ! ロラン!」
最後に耳に届いたのは、自分を呼ぶ友の叫びと。 そして、遠ざかっていく帝国軍の足音だった。
(勝った…… のか? )
その答えを見つける前に、ロランの意識は深い闇へと沈んだ。
――どれほど、眠っていたのだろうか。
ロランが目を覚ましたとき、彼は砦の簡素なベッドに横たえられていた。 薄暗い部屋に、微かなランプの光。 枕元には、祈るように座り込むアルベルトの姿があった。
「…… 気がついた?」 アルベルトの顔に、劇的な安堵が広がる。 「良かった……。もう、三時間も眠っていたんだよ」
「敵は……」
「退いた。完全にね。 君のおかげだよ、ロラン」 アルベルトが、そっとロランの額に手を置く。 「…… まだ、ひどい熱だ」
「大丈夫です。これくらい……」
起き上がろうとするが、体が鉛のように重い。 脳が、まだ酷使された熱を排出しきれていないのだ。
「休むんだ。それが今の君にできる、唯一の『正しい選択』だよ」
アルベルトの言葉に従い、ロランは再び枕に頭を沈めた。
「ロラン」 アルベルトは、真剣な眼差しで言った。 「君の力は、奇跡だ。でも、それは君自身を削り取ってしまう。 …… 一人で抱え込まないでくれ。 僕がいる。 ハンスさんもいる。 みんなで、一緒に戦おう」
ロランは、アルベルトをじっと見つめた。 この王子は、どこまでも青臭く、優しい。 だが――その優しさこそが、今の自分にはどんな演算よりも必要だった。
「…… ありがとうございます」
ロランの唇から、小さな、本当に小さな微笑みがこぼれた。 追放されてから、初めて浮かべた心からの笑み。
この瞬間。 ロラン・フォン・アシュベルと、アルベルト・フォン・レガリア。 二人の魂は、分かちがたく結びついた。
後に大陸全土を揺るがすことになる、伝説の「軍師と王」の物語。 その真の序章が、ここから始まったのである。




