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『神の視点 ~零式創世戦記~』  作者: noanoa
第5章:帝国の影

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第35話:色彩の消失


あの日から、三日が経った。


宿敵、アーサー・フォン・アシュベルとの死闘。 独立連隊は現在、エレンが手配した王都下層の隠れ家に身を寄せ、傷を癒やしていた。


ロランは、割り当てられた質素な部屋の窓辺に座り、外を眺めていた。 そこには、王都の喧騒がある。 白亜の石造りの街並み。高く広がる空。揺れる街路樹。


だが――ロランの瞳に映るのは、ただの「灰色の濃淡」に過ぎない。


色彩を失った世界。 それが、過剰な演算の代償としてロランに突きつけられた現実だった。


コンコン、と控えめなノック音が響く。


「主様。入っても……いい?」


聞き慣れた、少し舌足らずな声。リーナだ。


「ああ、構わないよ」


扉が開き、リーナがトレイを運んでくる。 その上には、湯気を立てるスープと焼きたてのパンがあった。


「ガルド、作った。食べて」


「ありがとう。……いただきます」


ロランはさじを手に取り、スープを口に運ぶ。 温かい。喉を通る熱だけは、確かに感じられた。


だが、味はない。 どれほど丹念に煮込まれた料理も、今の彼にとっては単なる「熱量」というデータでしかなかった。


リーナはロランの隣に腰を下ろし、その横顔をじっと見つめていた。 金色の瞳に、不安の色が混じる。


「主様。……色、見える?」


不意の問いに、ロランの手が止まった。 やはり、彼女には隠し通せない。


「……少しだけね。ほとんどは灰色だけど」


「そう……」


リーナが俯き、悲しげに眉を寄せる。 彼女は知っているのだ。ロランが『タクティカル・ビュー』を使うたび、彼の中から何かが削り取られていくことを。


「主様、頑張りすぎ。……もう、いいのに」


「大丈夫だよ。これは僕が選んだ対価だ」


ロランはリーナの頭に手を置き、その柔らかい髪をなでた。 視覚も味覚も失われつつあるが、この確かな「触感」だけはまだ、彼の指先に残っている。


「でも――」


リーナが顔を上げた。その瞳には、今にもこぼれそうな涙が溜まっていた。


「主様。世界、きれい。色、いっぱいある。……主様に、見せたい。伝えたい」


胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。 リーナはいつだって、ロランが欠落させてしまった世界の断片を、必死に言葉で補おうとしてくれる。


「ありがとう、リーナ。君がいてくれるから、僕はまだ、世界を信じられる」


ロランは、無理に作ったのではない、心からの微笑みを彼女に向けた。


その日の夕方。 ロランは仲間に促され、宿の食堂へと足を運んだ。


テーブルには、ガルドが腕によりをかけた料理が並んでいる。 独立連隊の面々が、賑やかに笑い合いながら食事を囲んでいた。


「軍師どの! 今日のは自信作だぜ!」


ガルドが、大皿を誇らしげに叩く。


「肉をじっくり煮込んで、秘蔵の香辛料も効かせた。スタミナつけなきゃ戦えねえからな!」


「美味しそうですね。ありがとうございます」


ロランは、周囲に合わせて口角を上げる。 何も味がしない。匂いすら、ほとんど感じられない。 それでも、仲間たちが自分を気遣ってくれるその「熱」だけは、無下にしたくなかった。


アルベルトが、エール(酒)の入った杯を置き、ロランに語りかける。


「ロラン。父上との一戦……あんな戦い方、僕には想像もつかなかった」


「いえ、あれは賭けでしたから」


「謙遜しないでくれ。君の『演算』は、間違いなく魔法ということわりを超えていた。……誇りに思うよ。君が僕の隣にいてくれることを」


第三王子の瞳に宿る、偽りのない尊敬と信頼。 それだけで、今のロランには十分だった。


「光栄です。ですが、まだ父上には届いていない。次こそは、完全に打ち破ります」


「ああ。僕も背中を預けられるよう、もっと強くならなきゃな」


アルベルトが力強く拳を握る。 新しい秩序、新しい国。その夢を共有する友の言葉が、ロランの冷えた思考をわずかに温めた。


食後、ロランは一人で宿の屋上へと上がった。 かつて見た、王都の夕焼けを思い出す。


オレンジ色に焼ける空。真っ赤に染まった雲。 すべてを黄金に染め上げながら沈んでいく太陽。 その美しさを、脳はまだ記憶している。


だが――。


(ああ、ついに……)


まばたきをした、その瞬間だった。 わずかに残っていた「色の名残」が、潮が引くように消えていった。


薄い灰色だった空は、ただの「白」へ。 濃い灰色だった雲は、ただの「黒」へ。


色彩が、完全に死んだ。


もはや、濃淡のグラデーションですらない。 二階調のデジタルデータのように、世界が平坦なモノクロームへと変貌する。


ロランは、その沈黙の瞬間を、静かに受け入れた。 『タクティカル・ビュー』。 その代償の支払いが、ひとつの段階フェーズを完了したのだ。


「ロラン?」


背後から、衣擦れの音と共に声がした。エレンだ。


「一人でどうしたの? みんな、あなたのことを心配していたわよ」


「……少し、空を見ていました」


「空?」


エレンがロランの隣に並び、手すりに身を預ける。 彼女の視線の先には、美しい夕焼けがあるはずだった。


「きれいな夕景ね。今日は一段と赤が深いわ」


「……エレンさん」


ロランは、モノクロの虚空を見つめたまま、静かに問いかけた。


「夕焼けって……今、どんな色をしていますか?」


エレンが、息を呑む気配がした。 彼女の聡明な頭脳が、その問いの意味を瞬時に理解する。


「ロラン、あなた……まさか」


「ええ。完全に、消えました」


ロランは自分の手を見つめる。 そこには、白と黒の境界線があるだけだ。 肉の赤みも、血の通う色も、何ひとつ存在しない。


エレンの顔が、見る間に蒼白に染まる。 彼女の瞳が揺れ、大粒の涙が頬を伝った。


「……ごめんなさい。私が、あなたに無理な計略ばかり押し付けたから……」


「いいえ。これは、僕が自分自身で選んだ道です」


ロランは静かに首を振った。


「魔力を持たない僕が、あの化け物たちと対等に渡り合うための……正当な対価ですよ。誰も悪くない」


エレンは、絞り出すような声で泣いた。 戦略家として冷徹に振る舞ってきた彼女が、初めて、一人の女性として感情を溢れさせている。


「エレンさん。教えてください。……その夕焼けの色を」


ロランは微笑んだ。 色が見えなくても、彼にはまだ「言葉」がある。


エレンは震える手で涙を拭い、嗚咽を堪えながら、必死に空を、言葉に変えていく。


「夕焼けは……とても、温かいオレンジ色よ。まるで、火が灯ったみたいに」


「……オレンジ」


「ええ。空全体が、金色の海みたいに輝いていて……。雲は、熟した果実のような、深い赤。それが混じり合って、明日への希望を歌っているような……そんな光よ」


ロランは、その言葉を一つずつ、脳内の空白のキャンバスに置いていった。


目は、もう機能していない。 だが、仲間の言葉が、彼の中に「新しい色彩」を描いてくれる。


「ありがとうございます。……美しいですね」


モノクロの世界の真ん中で、ロランは確かにその光を感じていた。


五感を失うほどに、絆は強く、鮮やかになっていく。 代償を払った先に何が待っていようとも、この歩みを止めるつもりはなかった。


たとえ、いつか暗闇に閉ざされる日が来ようとも。





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