第30話:重力の壁
アイアンテイルを出発して、三日。 王都ルミナスを、ついにあと二日の距離にまで捉えた。
街道沿いには、かつて見慣れた風景が広がっている。 ロランにとっては、望まぬ故郷への帰還。 だが――それは凱旋などではなく、過去と決別するための行軍だった。
灰色の空。灰色の大地。 視界のすべてが鈍色に沈む世界で、ロランはただ前だけを見つめていた。
「ロラン、あと少しだね」
アルベルトが馬を並べてくる。
「ええ。王都まで、あとわずかです」 「緊張、してるかい?」 「……正直に言えば、はい。父と刃を交えることになるかもしれませんから」
ロランは、偽らざる本音を漏らした。 その時――。
「主様ッ!」
斥候に出ていたリーナが、切迫した表情で駆け戻ってきた。
「匂い。鉄、たくさん。……兵士。前方、一キロ!」
リーナの鋭い警告に、ロランの思考が即座に戦時モードへと切り替わる。
「全員、停止! グレンさん、偵察をお願いします」
十分後。戻ってきたグレンの顔は、苦虫を噛み潰したように歪んでいた。
「先生、まずいぜ。前方に五百の軍勢だ。街道を完全に封鎖してやがる」 「旗印は?」 「黒地に銀の双頭鷲。……アシュベル家の紋章だ」
その名を聞いた瞬間、ロランの心臓が大きく跳ねた。 ついに、来たか。
「ロラン、無謀ですわ。相手は五百、こちらは百十。しかもアシュベル家直属の精鋭……。勝ち目がありません」
エレンが冷静に撤退を進言するが、ロランの瞳に迷いはなかった。
「……いいえ、行きます。逃げれば、永遠に追われ続けるだけだ。ここで決着をつけます」
*
一時間後。 独立連隊の前方に、アシュベル軍の陣容が姿を現した。 街道を埋め尽くす重装歩兵。その中央に、圧倒的な威圧感を放つ一人の男が立っていた。
黒い鎧。銀の紋章。 ヴァルター・フォン・グライゼル。 アシュベル公爵に次ぐ実力者であり、王国最強と謳われる「重力魔法」の使い手。
「止まれ」
ヴァルターの低く、重い声が空気を震わせる。 ロランは馬を降り、ただ一人でヴァルターへと歩み寄った。
「久しぶりですね、ヴァルター殿」 「……ロランか。貴様、まだ生きていたのだな」
ヴァルターの冷徹な瞳がロランを射抜く。
「アーサー様のご命令だ。貴様を、ここで始末する」 「それは――できない相談です」
ロランは静かに答え、『タクティカル・ビュー』を部分起動した。 視界に青いグリッドが走り、空間のデータが展開される。
その瞬間、凄まじい「重圧」がロランを襲った。
「ぐっ……!」
重力魔法。 膝が震え、肺から空気が絞り出される。目に見えない巨人の手に押し潰されるような感覚。 『警告。周囲の重力加速度、標準の1.5倍に増加』 視界にエラーログが流れる。
背後の兵士たちが次々と膝をつき、リーナさえも地面に手をついて喘いでいる。
「これがアシュベルの力だ。魔力なき者が、我らに挑むなど――愚かなり」
だが、ロランは折れなかった。 血の気の引いた顔でヴァルターを見据え、薄く笑みさえ浮かべる。
「……物理法則、ですね」 「何だと?」 「重力加速度1.5倍。周囲の空間を歪めているようですが、魔法には範囲と維持の限界がある。……地面がわずかに沈んでいる。つまり、土壌が柔らかければその圧力は分散され、減衰する」
ヴァルターの眉がぴくりと動いた。
「……魔力なき者が、魔法を理屈で語るか」
さらに増す重圧。ロランの視界が火花を散らす。 だが、その時。
「主様ッ! 一人にはさせない!」 「先生を守るッ!」
リーナが、ガルドが、ハンスが。 重力に抗い、一人、また一人と立ち上がり、ロランの背後へ集う。
「ロラン。僕も、君と共に戦うよ」
アルベルトが前に出た瞬間、金色の魔力が爆発的に溢れ出した。 王子の放つ波動が、ヴァルターの重力場を強引に押し戻していく。
「……王子! 貴様の魔力、これほどまでか……!」 「皆、下がってください」
ロランは仲間を制し、ヴァルターを見据えた。
「ヴァルター殿、提案があります。……一対一で戦いましょう。僕と、あなたで」
場が凍りついた。
「正気か? 無能の貴様が、この私と?」 「ええ。僕が勝てば道を開けてもらう。負ければ――僕の首を、父上に差し出してください」 「ロラン、何を……!」
アルベルトの制止を、ロランは静かに手で遮る。
「僕を、信じてください」
ヴァルターはしばらくロランの「濁った瞳」を覗き込んでいたが、やがて不敵に剣を抜いた。
「良かろう。その蛮勇、冥土の土産にしてやる」
ロランは、素人同然の剣をゆっくりと引き抜いた。 魔法も魔力もない。 あるのは、脳を焼き切るほどの演算能力と、灰色の世界で掴み取った絆。
決戦の火蓋が、今、切られた。




