第27話:王都への道
独立連隊がエモンを出発したのは、雲一つない快晴の朝だった。 もっとも、ロランにとっては、その「快晴」もただの無機質な灰色の広がりでしかなかったが。
百名の兵士、十台の荷馬車、そして数頭の軍馬。 一行はエモンの南門を抜け、王都ルミナスへと続く長い街道を歩み始めた。
「先生、本当に王都へ行くのか?」
隣で馬を並べるハンスが、不安を隠せない様子で聞いてきた。
「無謀じゃないのか? あそこは敵の本拠地だぜ」 「ええ、危険です」
ロランは、前方の灰色の地平線を見つめたまま答えた。
「王都には、僕を追討する正規軍がいます。見つかれば、まず命はないでしょう」 「なら、なんで……」 「行かなければならないからです。アルベルト様を、正当なる王にするために」
ロランの横顔には、揺るぎない決意が刻まれていた。 その瞳に色がなくても、見据える先は決してブレない。
「……わかった。俺たちは、先生についていくぜ」
ハンスは後方の兵士たちを振り返り、力強く吠えた。
「野郎ども、覚悟はいいか!」 「「「おうッ!!!」」」
その怒号のような返答が、静かな街道に響き渡った。
*
馬車の中では、アルベルトとエレンが地図を囲んでいた。
「王都までは、どれほどかかりますか?」 「順調にいけば、二週間といったところですわ」
エレンの指が地図上の経路をなぞる。
「いくつかの街を経由しますが……どこに敵の目が光っているかわかりません。アシュベル公爵が各地に正式な追討令を出していますから」
アルベルトの表情が曇る。
「ロランは……大丈夫なんだろうか」 「彼の能力のことですか?」 「体だよ。色が見えず、匂いも味もわからない……。そんな過酷な状態で、彼はまた戦おうとしている」
エレンは窓の外、馬に揺られるロランの背中を見つめた。
「彼は強い人ですわ。ですが――」 「ああ、わかっている。僕たちが、彼の足りない部分を支えなければならないんだ」
*
その夜。一行は街道沿いの小さな村に宿を取った。 夕食の時間、ガルドが村人から借りた厨房で大鍋を振るう。
「今夜は特別だぜ! 村の連中が新鮮な野菜を分けてくれたんだ!」
配られた温かいシチュー。兵士たちは歓声を上げ、むさぼるように食べている。 だが、ロランは椀を持ったまま、立ち上る湯気を無表情で見つめていた。
熱い。それだけは、指先から伝わる。 だが、そこにあるはずの芳醇な香りは、もうロランの鼻には届かない。
「主様」
隣に座ったリーナが、ロランの顔を覗き込んだ。
「食べて」 「……ええ」
スプーンを口に運ぶ。 温かな液体が喉を通り、胃に落ちる。 しかし、それが何の味なのか、どんなスパイスが効いているのか――今のロランには、石を噛んでいるのと大差なかった。
「……美味しい?」
リーナの問いに、ロランはいつものように微笑もうとした。
「ええ、とても美味しいですよ」 「嘘、ダメ」
リーナの小さな手が、ロランの手首を掴んだ。 その瞳には、隠しきれない悲しみがにじんでいる。
「主様、また嘘ついた。私に……隠し事、しないで」 「……すみません。ごめんなさい、リーナ」
ロランは正直に告白した。 「味が、まったくわからないんです」
「わかってる」
リーナはロランから椀を取り上げると、自分のスプーンで一口すくい、ロランの唇に寄せた。
「私が、味を教える」 「リーナ……?」 「これは、ニンジン。お日様の匂いがして、甘い」
リーナの声が、ロランの脳内でイメージを形作っていく。
「これは、ジャガイモ。ほくほくして、土の温かさがする」 「これは、お肉。噛むと旨味がじゅわって広がって、美味しい」
リーナの言葉に導かれ、ロランの記憶の中にある「色彩」と「味」が蘇る。 味覚そのものは戻らなくても、リーナの温かさは、確かに魂に染み渡っていった。
「……ありがとう、リーナ。ご馳走様でした」 「……ん。いいの」
*
食後。村の外れで夜風に当たっていると、アルベルトがやってきた。
「ロラン。君は……後悔していないか?」
唐突な問いだった。 色彩を失い、味を失い、それでも茨の道を進もうとする友へ、アルベルトは痛ましさを堪えきれない様子だった。
「後悔、ですか」
ロランは灰色の夜空を見上げた。
「確かに、失ったものは大きいです。これから先、もっと多くのものが失われるかもしれない」 「だったら――」 「ですが、得たものはそれ以上に大きいですよ」
ロランは、隣に立つ最高の友を真っ直ぐに見つめた。
「あなたとの友情。リーナの献身。仲間たちの信頼。……これらは、色や味よりも、ずっと大切なものです。僕は今、人生で一番、満たされています」
アルベルトは絶句し、やがて涙を浮かべて笑った。
「……君には敵わないな。ありがとう、ロラン。君は、僕の自慢の親友だ」
*
翌朝。独立連隊は再び、灰色の地平線へと歩みを始めた。 しかし、昼過ぎにエレンがもたらした情報は、平和な旅路に冷や水を浴びせるものだった。
「ロラン、緊急報告ですわ。王都近郊に、帝国軍の別動隊が潜入しています」
地図を広げるエレンの指先。
「おそらく王都への主要街道を封鎖し、私たちを袋のネズミにするつもりでしょう。彼らの動き、あまりに迅速ですわ」
ロランの瞳の奥で、冷徹な計算が始まった。 敵の数、移動速度、地形の優位――。 『タクティカル・ビュー』を本格稼働させるまでもなく、戦略の糸口が脳内で編み上げられていく。
「わかりました。……正面からぶつかる必要はありません。最短で、かつ彼らの裏をかくルートを算定します」
灰色の世界の中で。 軍師ロランの思考だけが、鮮やかな死線を鮮明に描き出していた。




