第19話:五日間の準備
計画の策定から、一日が経過した。
ロランはエレンの執務室で、エモン全域が描かれた詳細な地図を広げていた。
「ここが第一の両替商。ここが第二、第三……」
地図上には、鮮やかな赤のインクで印が付けられていく。 エモンに点在する両替商、全二十三箇所。
「これらの店を、順番に、かつ計画的に回ります」
「順番に? 一気に叩き潰すのではないの?」
エレンの問いに、ロランは淡々と首を振った。
「ええ。いきなり全店舗で不自然な換金を始めれば、ボルドーの耳に即座に届きます。……網を絞るように、少しずつ。市場の不安をじわじわと煽るのが狙いです」
ロランは計算し尽くされたタイムテーブルを書き出す。
一日目、北部。二日目、東部。三日目、南部。四日目、西部。 そして五日目、残りの店舗を掃き出し――そのまま中央銀行本店へ乗り込む。
「完璧なスケジュールね。……けれど、一つだけ計算違いがあるわ」
エレンが厳しい表情で、帳簿をロランへ突き出した。
「決定的な『弾丸』が足りない。今私たちが持っている紙幣は、金貨換算で約五百枚分。これではボルドーの不正を公衆の面前で証明するには、あまりに心もとないわ」
「ええ。最低でも金貨千枚分の紙幣は必要でしょう。……ですから、集めます」
「集める? どこから?」
「エモン中の商人からです。それも、僕たちが金貨を支払うことで」
◇
その日の午後。 ロランはハンスとリーナを引き連れ、活気溢れる商店街へと繰り出した。
「先生、本当にこんな買い物ごっこで上手くいくのかよ?」
ハンスが不安そうに、ずっしりと重い金貨の入った革袋を揺らす。
「大丈夫です。人間は、揺らぐ信用よりも、輝く現物に弱い生き物ですから」
ロランが最初に足を踏み入れたのは、一軒の大型武器屋だった。
「いらっしゃい! 何かお探しで?」
「剣を十本。それと弓を五十張、矢を千本。すべて即金で、最高級品を揃えてください」
店主の目が、一瞬で金貨の形に変わった。 「毎度ありッ!」と威勢の良い声が響き、次々と武具が並べられていく。
「お代は、紙幣で百五十枚になります」
「いえ、金貨で支払いましょう」
ロランが革袋から金貨を取り出し、カウンターに並べる。 チャリン、という硬質な音が店内に響いた。
「……ッ、金貨……! 本物の金貨か!」
「ええ。十五枚、確かに。……ところで」
ロランは、無造作に金貨を片付ける店主へ、ごく自然に問いかけた。
「僕たちは今後も大量の装備を調達する予定なのですが、金貨だけでは重くて不便でしてね。……もしお持ちなら、あなたの手元にある『紙幣』を、僕たちの金貨と交換していただけませんか?」
その提案に、店主は食い気味に頷いた。
「もちろんです! 喜んで! 今、紙幣の価値が不安定で困ってたところなんです。金貨に換えてもらえるなら、いくらでも出しますよ!」
◇
店を出たハンスは、信じられないものを見たという顔をしていた。
「……先生、今の魔法か何かか?」
「魔法? 何のことですか」
「だってよ。剣を山ほど買ったはずなのに、お釣りの紙幣を金貨で買い取った結果、金貨の減りがたった五枚分じゃねえか!」
「ええ。金貨十五枚で武力を買い、金貨二十枚で紙幣二百枚分を手に入れた。結果として、独立連隊の戦力と『ボルドーを撃つ弾丸』が同時に増えたわけです」
ロランは次の店を見据え、薄く微笑んだ。
「これを繰り返します。エモンの商人が、紙幣への不安を抱いている今こそが好機です」
◇
夜、拠点に戻ったロランたちの成果は、エレンを戦慄させた。 金貨三百枚を元手に、独立連隊の全装備を一新し、なおかつ金貨換算で七百枚分の紙幣をかき集めたのだ。
「これで、合計千二百枚……。ボルドーの喉元を掻き切るには十分すぎる量ね」
「明日から、本当の『両替』を始めます」
一日目、二日目、三日目。 ロランの計画は、精密な時計の歯車のように進んだ。 各地区の両替商から、金貨が少しずつ、けれど確実に吸い上げられていく。
四日目が終わる頃には、エモン中に不穏な噂が毒のように回っていた。
「おい、北の両替商で金貨の在庫が切れたらしいぞ!」 「南の港でもだ! 紙幣を持って行っても門前払いだとよ!」 「やばいぞ……。中央銀行、本当に大丈夫なのか!?」
恐怖は伝染する。 両替商の前には、全財産を金貨に換えようとする群衆が殺到し、怒号が飛び交っていた。
「計画通りです。……市場が自ら『パニック』を醸成してくれた」
エレンが隣で囁く。その声には、明日への興奮が滲んでいた。
◇
その日の深夜。 一人執務室に残ったロランは、最後の方程式を解き終えた。
ボルドーが交換を拒否する確率:98.7% 信用崩壊が発生する確率:99.2%
勝利は、すでに数式の先にある。 だが――。
「……ああ、またか」
ロランがふと視線を上げた先。 窓から見えるエモンの夜景は、すでに「色」を失っていた。
鮮やかな街の灯火も、たゆたう運河の青も、すべてが死んだような鉛色に沈んでいる。 まばたきをしても、視界は灰色の世界のままだ。
色彩が戻るまでの時間が、日に日に延びている。 『タクティカル・ビュー』を酷使するたび、脳内の回路が焼き切れ、ロランから世界の色を奪っていく。
「……勝てば、いい」
ロランは灰色の闇の中で、手探りでペンを置いた。 たとえすべての色が消え、数式だけの世界になったとしても。 自分を信じてくれた仲間を、この理不尽な世界の勝者にする。
「明日、すべてを終わらせよう」
ロランは静かに目を閉じた。 夜の静寂の中に、冷徹な秒針の音だけが響いていた。




