第17話:見えざる刃
ボルドーとの面会から、三日が経過した。 その日から――独立連隊への依頼が、ぴたりと止まった。
「おかしいわ……。不自然すぎる」
エレンは執務室で、真っ白なままの受付帳を睨みつけていた。 昨日まで十件以上あった新規の問い合わせが、今日は一通も届いていない。
「偶然の偏り、ではありませんね?」
「ええ。これは人為的な介入よ。……ボルドーが、本気で私たちを潰しに来たわ」
その予測は、最悪の形で的中した。 翌日、商会の従業員が血相を変えて飛び込んできた。
「エレン様、大変です! 街中に、独立連隊の悪評が流されています!」
「悪評……? 具体的に言いなさい」
「はい……。彼らは山賊と裏で繋がっているとか、依頼主の荷物を横領して私腹を肥やしているとか。中には『亡命王子が帝国に情報を売っている』なんていう、とんでもないデマまで……」
「荒唐無稽ね」
エレンは吐き捨てるように言った。 だが、事態は「真実かどうか」ではなく、「どう見えるか」で動いていた。 疑心暗鬼に陥った商人たちは、『あんな危ない連中に仕事を頼むな』と口々に囁き始めている。
これが、経済戦。 血は流れない。だが、見えない刃が確実に独立連隊の首を絞め始めていた。
追い打ちは続く。 その日の午後、先日報酬をくれたはずのグレゴール商会から使者が訪れた。
「申し訳ない……。今後の警備契約、すべて白紙に戻していただきたい」
「理由を伺っても?」
エレンの問いに、使者は震える声で答えた。
「中央銀行から圧力がかかったのです。『独立連隊と取引を続けるなら、即刻融資を打ち切る』と……。我らのような商売人にとって、それは死刑宣告に等しい……」
「……分かりました。お引き取りを」
使者が逃げるように去った後、エレンは重いため息をついた。 ボルドーの「経済封鎖」が完成しつつあった。
◇
一週間後。 独立連隊の仕事は、完全にゼロになった。
収入が途絶えても、支出は一秒たりとも止まらない。 百名の兵士の食費。装備の維持費。拠点の管理費。 金庫の銀貨は、みるみるうちに底を見せ始めていた。
「このままでは、あと二週間で資金が尽きるわ」
「尽きたら……どうなりますか」
「解散よ。給料を払えなくなった組織に、未来はない。それがこの街の、いえ、現実のルール」
ロランは奥歯を噛み締めた。 戦場なら、敵の配置を読み、物理法則でねじ伏せることができた。 だが、この「目に見えない包囲網」はどうすればいい。
兵士たちの間にも、重苦しい不安が広がっていた。
「おい、今日も仕事がないって本当かよ……」 「このままじゃ、次の給料は出ないんじゃねえか……?」
ハンスが声を張り上げ、必死に彼らを鼓舞している。
「心配すんな! 先生が考えてくださってる。あの人が俺たちを見捨てるわけねえだろ!」
その言葉に兵士たちは頷くが、不安の影を完全に拭い去ることはできなかった。
◇
その夜。ロランはエレンの執務室を訪ねた。
「エレンさん。僕に、経済という戦場のルールを教えてください」
「経済、を?」
「ええ。僕は戦術や物理なら理解できます。でも、この『金』という変数はまだ演算できません」
ロランの真剣な瞳に、エレンは微かに微笑んだ。 彼女は巨大な帳簿を開き、夜通しの講義を始めた。
供給と需要。価格決定のメカニズム。 そして――「貨幣」の本質。
「つまり――経済とは、『信用』という実体のない流れのことなんですね」
「……ええ。理解が早いわね」
ロランは一枚の紙幣を手に取った。 ただの紙切れに価値があるのは、「いつでも金貨と交換できる」という銀行への信用があるからだ。
「ならば、その信用に『誤差』があれば――それは致命的な欠陥になる」
ロランの瞳が、冷徹な光を放ち始めた。 彼はエレンが密かに入手していた中央銀行の取引記録――無数の数字が並ぶ帳簿に、自身の能力を適用した。
「タクティカル・ビュー……全面起動」
視界が青いグリッドに染まる。 融資額、返済履歴、金利、そして紙幣の発行枚数。 数万のデータが数式として展開され、ロランの脳内で猛烈に演算される。
そして――ロランは、その「綻び」を見つけた。
「これは……ありえない。計算が合いません」
「何を見つけたの、ロラン?」
「ボルドーの銀行。……紙幣の発行枚数に対して、保管庫にあるはずの金貨の裏付けが、圧倒的に足りていない」
ロランが導き出した数字に、エレンは目を見開いた。
「裏付けがない紙幣を、大量に刷っているというの……!? それは、詐欺よ。もし明るみに出れば、中央銀行は一夜で崩壊するわ」
「ええ。ボルドーは『空っぽの信用』をエモンにバラまいている。それが、彼の力の正体だ」
◇
だが、問題はそれをどう証明するかだった。 中央銀行の地下金庫は、魔法の結界と重武装の警備員に守られている。
「金貨の匂いなら、私が……」
協力しようとしたリーナも、銀行の真上から地面に耳を当て、悔しそうに首を振った。
「わからない。深すぎる。魔法の遮断壁もある……」
「……そうか。物理的な『証拠』を外から掴むのは不可能なのか」
夜の中央銀行の周囲を調査していた三人に、背後から無機質な声が響く。
「おい、そこで何をしている」
振り返ると、中央銀行の警備員が数名、槍を構えて立っていた。
「……道に迷っただけです」
「道だと? ここはアシュベル独立連隊の連中がうろついていい場所じゃない。ボルドー様からは、怪しい動きがあれば即座に拘束しろと言われているんだ」
警備員の嘲笑。ロランは冷静に、彼らを視界に入れた。 力づくで突破しても、証拠がなければ意味がない。
結局、三人は何の手がかりも得られぬまま、拠点へと戻るしかなかった。
「……ごめん、主様。役に立てなかった」
うなだれるリーナ。ロランは彼女の頭を優しく撫でた。
「いいんだ、リーナ。物理的に見えないのなら――『数字』で追い詰めればいい」
ロランは窓の外、闇の中に聳え立つ中央銀行を見据えた。 資金が尽きるまで、あと二週間。
「エレンさん。ボルドーの『偽りの信用』を、内部から崩壊させるための罠を仕掛けましょう。……経済戦の、次の一手です」
絶体絶命の窮地。 だが、ロランの脳内ではすでに、傲慢な頭取を破滅させるための逆転の数式が動き始めていた。




