第16話:金の亡者たち
アイギス砦での激闘、そして倉庫街での鮮やかな解決。 それから一週間。 独立連隊の評判は、驚くべき速さで水の都エモンを駆け巡っていた。
「聞いたか? あの『零級者』の若造、実はとんでもない策士らしいぞ」 「倉庫街の『幽霊』を一晩で暴いたんだとよ。衛兵も真っ青だ」 「アイギス砦を守ったってのも、どうやら本当らしい……」
商人たちの噂話は運河を流れ、酒場の喧騒に混じり、街の隅々まで染み渡っていく。 それに伴い、独立連隊の拠点には依頼が殺到していた。
ロランは、エレンの執務室で積み上げられた依頼書の山を眺めていた。
「商隊の護衛が五件、倉庫の警備が三件…… それから、密輸団の摘発が二件ですか」
「ええ。あなたたちの『相場』は今、エモンで最も高騰しています。 これなら、当初の予定より早く自立できそうですね」
エレンは満足げに眼鏡のブリッジを押し上げた。 彼女は手際よく依頼書を三つの山に分け、最も効率よく利益を出せるものを選別していく。
◇
その日の午後。 ロランは商隊護衛の任務で、エモン近郊の街道を歩いていた。 ハンス率いる二十名の兵士が、商人の荷馬車を前後から固めている。
「先生、この仕事は楽勝ですな。道は平坦、山賊の影もねえ」
若手兵士のケントが、弓を肩に担いで緊張感のない声を漏らす。
「油断しないでください。平和な時こそ、変数は隠れているものです」
「はいはい。先生は心配性だなぁ」
ケントが笑った、その瞬間。 隣を歩いていたリーナが、急に足を止め、耳をそばだてた。
「…… 主様。 匂い」
「リーナ、何が?」
「血。 …… それと、火薬の焦げた匂い」
ロランの背筋に冷たいものが走る。
「ハンスさん、停止! 全員、警戒態勢!」
兵士たちが瞬時に武器を構える。 ロランはリーナと共に前方へ走り――街道の脇、茂みに放り出された「それ」を見つけた。
「…… 負傷者です。 応急処置を!」
倒れていたのは、商人風の服を着た若い男だった。 体中を鋭い刃物で切り刻まれ、意識はない。
「ひでえ傷だ……。街道のすぐそばで、これほどの襲撃を受けるなんて」
ハンスが苦々しく毒づく。 ガルドが即座に駆け寄り、慣れた手つきで止血を始めた。
「エモン近郊で山賊、ですか。おかしいですね」
ロランは周囲の状況を『タクティカル・ビュー』で走査する。 地面に残された足跡、馬の轍、そして血痕の飛び散り方。
「これは、単なる山賊の仕業じゃありません」
「どういうことだ、先生?」
「襲撃に一切の無駄がない。…… 目的は略奪ではなく、特定の『荷』の強奪です」
◇
エモンに戻ったロランたちは、救出した男を商会の医務室へ運び込んだ。 翌日、意識を取り戻した男――小さな商会の使いだという青年は、震える声で事実を語った。
「奪われたのは…… 最高級の香辛料です。 あれがないと、うちの商会は潰れてしまう……」
医務室を出たロランを、エレンが待ち構えていた。 彼女の表情は、いつになく冷徹な輝きを帯びている。
「ロラン。この件、どう思いますか?」
「組織的、かつ計画的です。エモン近郊の警備状況を熟知している者の犯行でしょう」
「ええ。そしてこれは、大きな『釣り針』でもあります」
エレンは一枚の肖像画をデスクに置いた。 そこに描かれていたのは、重厚な椅子に踏ん反り返る、肥満体で傲慢そうな中年男性。
「九商会長の一人。エモン中央銀行頭取、ボルドー・フォン・グラント。 …… 彼に会いに行きましょう」
◇
エモン中央銀行。 そこは、王都の宮殿さえ凌ぐほど、金と権力を誇示する装飾に満ちていた。 大理石の柱、金箔の彫刻、そして壁一面に飾られた「ボルドー」の肖像画。
応接室で待っていたのは、肖像画以上に不遜な男だった。 ボルドーは葉巻をくゆらせ、ロランたちを「商品」でも見るような目で眺める。
「ほう。貴様らが噂の『独立連隊』か。 …… で、そっちの出来損ないが、王都を追われた亡命王子、アルベルトだな?」
「…… ボルドー卿。 ご健勝のようで」
アルベルトが拳を握りしめ、静かに答える。
「哀れなものだ。王位を奪われ、毒を盛られ、最後は傭兵紛いのドブネズミ掃除か。 クク、レガリア王家の血も安くなったものだ」
ボルドーの嘲笑が、豪華な部屋に響く。 彼はロランに向き直り、灰を絨毯の上に落とした。
「いいか。私は優秀な『道具』には投資を惜しまない。 貴様らのような泥臭い連中でも、私の犬になれば、金貨の山の上で寝かせてやろう」
「…… 犬に、なれと?」
「そうだ。私の署名一つで、エモンの物流は止まり、貴様らの命の価値さえ決まる。 逆らう愚かさは理解できるな?」
ロランは静かに一歩前へ出た。 その瞳は、ボルドーの肥大した自尊心という「変数」を、冷徹に解析していた。
「申し訳ありませんが、ボルドー卿」
ロランの声が、室内の空気を一瞬で氷つかせる。
「僕たちが守っているのは、あなたの金ではなく、僕たちの『意志』です。…… 不純物の混じったあなたの金には、一価の価値も感じません」
「…… 何だと?」
「お断りします。あなたの所有物になるつもりはありません」
ロランはアルベルトを促し、呆然とするボルドーを置き去りにして背を向けた。
「ま、待て! この無礼者め! 私を敵に回して、このエモンで生きていけると思うなよッ!」
◇
中央銀行を出て、馬車に乗り込んだ瞬間。 エレンはこらえきれず、クスクスと笑い声を漏らした。
「最高でしたよ、ロラン。あのボルドーが、あんなに真っ赤になるなんて」
「…… エレンさん。 これはあなたの狙い通り、ですね?」
「ええ。傲慢な独裁者は、怒りに駆られると判断を誤る。 彼は必ず、あなたたちを『排除』しようと強引な手段に出てくるでしょう」
エレンは窓の外、夕日に染まるエモンの街を見つめた。
「その強引さこそが、彼の破滅を招く隙になります。…… さあ、始めましょう」
エレンがロランを見つめ、不敵に微笑む。
「血を流す戦場は終わり。ここからは、一滴の血も流さず、相手の『価値』をゼロにする――経済戦の始まりです」




