第15話:最初の依頼
自由都市エモンに到着してから、三日が経過した。
ロランたちは、迷路のように入り組んだ街の構造を把握し、当面の物資を調達。 兵士たちの訓練場所の確保に奔走していた。 エレンが提供してくれた拠点は、独立連隊が腰を据えるには十分すぎるほど立派だったが――。
その一方で、資金は確実に、そして恐ろしい速さで減っていく。
百名の兵士の食費、装備の維持費、巨大な建物の管理費。 すべてはエレンの商会が立て替えてくれているが、それはあくまで「借金」だ。
ロランは、エレンの執務室で積み上がった帳簿を前に、吐息を漏らした。
「現在の支出は、一日あたり銀貨三十五枚。…… このペースだと、一ヶ月で銀貨千枚を軽く超えますね」
エレンが涼しい顔で、パチパチと手際よく算盤を弾く。
「申し訳、ありません……。想像以上の負担です」
「いいえ。投資ですから。 ですが――」
エレンは算盤を止め、眼鏡越しに鋭い視線をロランへ向けた。
「そろそろ、最初の『リターン』を見せていただかないと。投資家としては、不安になってしまいます」
「わかっています。何か、我々に適した仕事はありますか?」
「ええ。ちょうど、面白い依頼が舞い込みました」
エレンが差し出したのは、一通の高級な封書。 『倉庫街オレスの警備。報酬、銀貨五百枚。 期間は一週間』 依頼主は、エモンでも屈指の勢力を誇る「グレゴール商会」だ。
「倉庫街の警備……。なぜ、新参者の僕たちに?」
「商人という生き物は、噂に敏感ですから。……『アイギス砦を百人で守った死神軍師』。 その力が、単なる警備兵より役に立つかどうか、試したいのでしょう」
エレンは地図を広げ、運河沿いの巨大な倉庫群を指差した。
「今、倉庫街では『幽霊』による盗難事件が多発しています。衛兵すら尻尾を掴めない組織的な窃盗団。 …… ロラン、あなたの演算で、この幽霊を暴いてみせなさい」
◇
翌日。 ロランはハンス、ガルド、リーナを連れ、倉庫街オレスへと向かった。 運河を小舟で進むと、城壁のような巨大な石造りの建物群が見えてくる。
「でけえな……。王国の穀倉地帯を全部詰め込んだみたいだ」
ハンスが呆れたように呟く。 そこには大陸中の富が、静かに眠っていた。
依頼主のグレゴール・マクスウェルは、その巨体に似つかわしくない、神経質そうな目でロランたちを迎えた。
「…… 君が例の軍師か? ずいぶんと細身だな。 本当に幽霊を捕まえられるのか?」
「全力を尽くします。まずは、現場を見せていただけますか」
ロランはグレゴールの不信感を無視し、被害に遭った倉庫の内部へと入った。 山積みにされた小麦の麻袋。 そこには何の荒らされた形跡もない。
「二週間前から三日に一回。深夜二時から四時の間に、小麦が十袋ずつ消える。 …… 警備員は、誰も犯人を見ていない。 そうですね?」
「ああ。戸締まりは完璧、鍵も壊されていない。 まるで幽霊が壁を通り抜けているようだと、連中は怯えてやがる」
ロランは静かに目を閉じ、集中力を高める。 横ではリーナが、小さく鼻をひくつかせていた。
「リーナ、何か『違和感』はありますか?」
「…… ある。 匂い。 普通じゃない」
リーナは床を這うようにして、隅々まで匂いを嗅ぐ。
「煤けた、油の匂い。機械油? それと…… 冷たい鉄」
彼女が指差したのは、天井付近にある換気用の小さな高窓だった。 そこには、言われなければ気づかないほどの、僅かな「擦り傷」が残っている。
「なるほど。…… 幽霊の正体が見えました」
ロランの瞳に、青い演算の光――『タクティカル・ビュー』が宿る。 窓の高さ、滑車の位置、麻袋を運び出すための死角。 青いグリッドが倉庫内を埋め尽くし、犯人の動線が一本の線となって浮かび上がる。
「ハンスさんは倉庫の外、運河側の屋根に潜伏を。ガルドさんは倉庫内の麻袋の山に。 …… リーナは僕と一緒に、運河の底を監視します」
「運河の底……? 犯人は空から来るんじゃねえのか?」
ハンスの問いに、ロランは不敵に微笑んだ。
「空から入り、水へと消える。…… それが幽霊の仕掛けです」
◇
深夜二時。 倉庫街は深い静寂に包まれていた。 ロランとリーナは、小舟の影に隠れて水面を見つめている。
「主様…… 来る」
リーナの耳がピクリと動く。 直後、倉庫の屋根から、しなやかな影が数人、ロープを伝って高窓へと吸い込まれていった。
数分後。 倉庫内から、ドォォォンッ! という巨大な衝撃音と悲鳴が響き渡る。
「捕まえたぜ! このコソ泥野郎!」
ガルドの怒声。麻袋の陰から飛び出した彼に、侵入者はなす術もなく組み伏せられた。 慌てて屋根へ逃げようとした見張り役も、待ち構えていたハンスの剣によって叩き落とされる。
「詰み(チェックメイト)です。……残りの一人は、水の中ですね?」
ロランが冷たく言い放つと同時に、リーナが水面へ向けて石礫を放った。 水しぶきと共に、潜水用の筒を咥えた男がたまらず顔を出す。
犯人たちは、屋根から侵入し、滑車で小麦を運び出し、待機していた潜水艇へ積み込んで運河を逃げるという、極めて計画的な一団だった。
◇
松明の明かりの下、捕らえられたのは三人の男たちだった。 だが――その姿を見たロランの表情が曇る。
男たちは驚くほど痩せ細り、着ている服はボロ布同然だった。 彼らの瞳にあるのは、凶悪な犯罪者のそれではなく、追い詰められた獣のような「絶望」だ。
「……なぜ、こんなことを」
ロランが問いかけるが、男たちはうつむいたまま震えている。
「決まってんだろ。この街の『影の運河』には、こういう連中が腐るほどいるんだ」
駆けつけたグレゴールが、吐き捨てるように言った。 彼は満足そうに、ロランにずっしりと重い袋を投げ渡す。
「約束の銀貨五百枚だ。いい働きだったぞ、軍師。 …… さあ、衛兵に突き出せ! 絞首刑にでもして見せしめにしろ!」
銀貨の重みが、ロランの手のひらにズシリと響く。 これが、独立連隊が初めて手にした「利益」だった。
◇
その夜。 商会へ戻る道中、ロランは一度も口を開かなかった。 執務室で待っていたエレンに、無言で銀貨の袋を差し出す。
「お疲れ様。初仕事にしては、完璧な成果ですね」
「…… エレンさん。 あの犯人たちは、ただ飢えていただけでした」
「ええ。それがこの街、この世界の『真実』です」
エレンは、一瞥もせずに銀貨を金庫へ収めた。
「金がある者は正義を買い、ない者は命を削って盗む。…… ロラン、あなたが救いたいのは、彼らのような個人ですか? それとも、こんな構造を生み出す世界そのものですか?」
ロランは、答えられなかった。 エレンの言葉は、冷たく、けれど残酷なまでに正しい。
自室へ戻ると、アルベルトが待っていた。 彼は窓際で月を見つめ、静かにロランを振り返る。
「ロラン。君は、自分のしたことを悔やんでいるのかい?」
「…… わかりません。 でも、あんな風に飢える人がいない国を作りたい。 そう思ったのは、本当です」
アルベルトは、ロランの肩にそっと手を置いた。 その手の温もりだけが、今のロランには救いだった。
「なら、行こう。君の知恵で、僕がその国を作る。 …… まずは、このエモンの闇から、変えていこうじゃないか」
ロランは、顔を上げた。 視界の端で、また僅かに色が薄れる。 けれど、アルベルトの真っ直ぐな瞳だけは、鮮やかな輝きを放っていた。




