第13話:独立への誓い
エレンが物資を届けてから、一週間が経過した。
アイギス砦は、見違えるほど活気づいている。 城壁の修復は完了し、支給された最新の武器が鈍い光を放ち、兵士たちのボロボロだった装備も一新された。
そして――砦の頂には、新しい旗が風にたなびいている。 黄金の双頭鷲と、青い剣を組み合わせた紋章。 『アシュベル独立連隊』の誕生を告げる旗印だ。
ロランは、執務室でエレンと向き合っていた。 テーブルの上には、山のような帳簿と地図が広げられている。
「…… さて、ロランさん。 現実の話をしましょう」
エレンがパチパチと小気味よい音を立てて算盤を弾く。
「この砦の維持費、兵士百名の給与、そして食費。これらを合計すると、最低でも月に銀貨千枚が必要です」
「銀貨、千枚……」
ロランは思わず額を押さえた。 一介の「零級者」として蔑まれてきた彼にとって、それは天文学的な数字に感じられた。
「当面は我が商会が立て替えますが、これはあくまで『投資』。いずれは自立していただかないと、私も株主に示しがつきません」
「自立……。自分たちで稼ぐ、ということですね」
「ええ。幸い、あなたたちには『武力』がある。 街道の警備を請け負うもよし、商会の護衛を引き受けるもよし。 …… まずは、この立地の悪い砦を出て、経済の網の目に入る必要があります」
エレンは眼鏡のブリッジを押し上げ、地図上の一点を指差した。 自由都市エモン。 そこが彼らの、次なる戦場になる。
◇
その日の午後。 ロランは全兵士を中庭に集めた。
百名の兵士たちが、一糸乱れぬ動きで整列する。 その顔に、かつての絶望はない。 あるのは、自分たちが歴史を塗り替えたという誇りと、未来への決意だ。
「みなさん」
ロランが前に出ると、中庭が静まり返る。
「この砦で、僕たちは共に死線を越えました。ですが、ここがゴールではありません。 これからが本当の戦いです」
「サー!」
一人の兵士が声を上げた。
「俺たちは、これからどこへ向かうんですか?」
「この砦を出ます。自由都市エモンへ。 そこで僕たちの拠点を築き、力を蓄えます」
兵士たちがざわめく中、アルベルトが静かに一歩前に出た。 彼は腰の剣を抜き、高く掲げる。
「みんな、聞いてくれ。我々はもはや、王国の駒ではない」
アルベルトの声は、以前よりも深く、王としての威厳を帯び始めていた。
「我々は独立連隊だ。誰にも縛られず、己の意志で戦う。 だが、我らには果たすべき大義がある」
アルベルトは兵士たち一人一人の目を射抜くように見つめた。
「血統や魔力で人を踏みにじる、この歪んだ国を変える。人としての価値で評価される、新しい国を作る。 …… それが、我ら独立連隊の戦いだ!」
静寂。 そして――。
「応よッ!」
ハンスが拳を突き出し、叫んだ。
「俺はどこまでもついていくぜ、アルベルト様!」
「俺たちもだ! 独立連隊、万歳ッ!」
怒号のような歓声が、アイギス砦の空を震わせた。
◇
その夜。 ロランは城壁の上で、一人星空を見上げていた。
「主様」
影から溶け出すように、リーナが現れた。
「また、一人で考えてる」
「ええ。明日のこと、これからのことをね」
ロランは隣に並んだ少女を見つめる。
「リーナ。エモンに行けば、今まで以上に危険な目に遭うかもしれない。 …… それでも、ついてきてくれますか?」
「主様が行くなら、どこへでも行く」
リーナは迷いなく、けれど慈しむような声で言った。
「主様がいない場所に、私の居場所はないから」
「ありがとう、リーナ」
「…… 主様」
ふいに、リーナの手がロランの頬に触れた。 その指先は微かに震えている。
「最近、顔色がずっと悪い。目の色も…… 少し、透けてるみたい(・・・・・・・・)」
ロランは心臓が跳ねるのを感じた。 確かに、最近視界の端が欠けることがある。 世界から色彩が抜け落ち、モノクロの数式だけが浮かび上がる瞬間が増えている。
『タクティカル・ビュー』による脳への負荷。 それは、確実に彼の「人間としての機能」を削り取っていた。
「大丈夫です。少し、疲れが溜まっているだけですよ」
「…… 嘘。 主様はいつも、そうやって一人で抱える」
リーナはそれ以上追及せず、ロランの肩に頭を預けた。 その温もりだけが、今、自分を現実の世界に繋ぎ止めているような気がした。
◇
翌朝。 独立連隊は、ついにアイギス砦を出発した。
百名の兵士、十台の荷馬車。 規模は小さい。 だが、その足取りは地を踏みしめるたびに力強さを増していく。
「エモンまでは、順調にいけば十日ほどです」
馬車の中で、エレンが地図を広げながら言った。
「道中、いくつかの村を経由します。補給はもちろんですが…… 目的はそれだけではありません」
「『噂』を広めるんですね?」
「ふふ、ご名答」
エレンは愉しげに眼鏡を直した。
「『帝国軍を退けた英雄たち』という名声は、何よりの軍資金になります。民衆の支持という名の、目に見えない力。 それを今のうちに稼いでおきましょう」
三日後。 一行は小さな農村に到着した。 当初は怯えていた村人たちも、ハンスたちの快活な態度と、アルベルトの気品ある振る舞いに、次第に心を開いていく。
「あんたたちが、あの帝国軍を追い払ったって本当かい?」
村長が、信じられないといった様子で問いかける。
「ああ、本当だぜ。…… もっとも、この『軍師様』がいなきゃ、今頃俺たちは土の下だったがな」
ハンスがロランの背中を叩く。 村人たちの視線が、ロランに集まった。
「魔力を持たない者が、帝国を……」
「ありがとうございます。…… ありがとうございます!」
感謝の言葉。 蔑まれることに慣れていたロランにとって、その言葉は重く、そして誇らしかった。
その夜、村ではささやかな宴が開かれた。 ガルドが村の女たちと料理を作り、兵士たちが子供たちと笑い合う。
ロランはその光景を見ながら、エレンに問いかけた。
「…… 変えられるでしょうか。 この国を」
「わかりません。ですが、試す価値はある。 そうでしょう?」
エレンは焚き火の炎を見つめ、静かに、けれど激しい怒りを込めて言った。
「才能があっても、血筋がなければ搾取され、捨てられる。そんな馬鹿げた理は、私たちがここで終わらせるんです。 …… あなたの『タクティカル・ビュー』なら、戦場だけでなく、この腐った国家の仕組みさえも解体できるはずよ」
ロランは、己の中に新たな火が灯るのを感じた。 投資対象として。 あるいは、同志として。
「ええ。エモンに着いたら、全力で計算を始めましょう」
一週間後。 ついに地平線の向こうに、壮大な「水の都」が姿を現した。
巨大な城壁を縫うように走る運河。 無数の船が行き交い、金と情報が絶え間なく流れる巨大都市、エモン。
「あそこが…… エモン」
城門をくぐるロランたちの目に飛び込んできたのは、王都をも凌ぐ熱狂と欲望の渦だった。
アシュベル独立連隊。 彼らの本当の叛逆が、今、この都市から始まろうとしていた。




