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『神の視点 ~零式創世戦記~』  作者: noanoa
第2章:絶望の砦防衛戦

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第11話:男爵の逃走


 魔導砲が爆発し、戦場を揺るがした轟音が止んでから一時間が過ぎた。


 帝国軍は、未曾有の損害に動揺していた。  頼みの綱である城壁破壊用の破城槌は砕かれ、最大火力の魔導砲も失った。  さらには、指揮官たちが次々と「見えない弾丸」によって狙撃され、軍の統制はガタガタだ。


だが――それでも敵軍は撤退していない。 数的な優位は依然として帝国側にある。 彼らはまだ、この砦を飲み込めるだけの牙を残していた。


 一方、アイギス砦の一室。  ロランは、冷たい水で濡らした布を額に当てられ、横になっていた。


「先生、無理すんなって……」


 巨漢の料理人ガルドが、大きな手を震わせながら心配そうに声をかける。


「あんた、もう限界だろ。顔が真っ赤だ。 脳みそが沸騰しちまってるんじゃねえのか」


「大丈夫、です……。まだ、計算は……」


 ロランはふらつく体で起き上がろうとするが、ガルドの太い腕に優しく、けれど断固として押さえ込まれた。


「だめだ。今は休め。 これ以上はあんたが死んじまう」


「でも、みんなが戦っているのに、僕だけ……」


「みんなは、あんたが教えてくれた通りに戦ってる。あんたの『知略』が、みんなに勇気を分けたんだ」


 ガルドは窓の外、松明の光に照らされた城壁を指差した。


「ハンスが現場を回し、アルベルト様が兵たちを鼓舞してる。…… あんたが繋いだ希望だ。 無駄にするような連中じゃねえよ」


 ロランはその言葉を聞き、ゆっくりと視線を落とした。  視界はまだチカチカと点滅し、世界から色が失われたような感覚が残っている。


「…… 少しだけ、休みます」


「ああ。そうしてくれ」


 ガルドの安堵したような吐息を子守唄に、ロランは深く、熱い意識の底へと沈んでいった。



 その頃、城壁の上では、全く異なる光景が広がっていた。


「急げ! 荷物をまとめろ! 馬車を、一番速い馬車を用意しろ!」


 ギルマー男爵が、引きつった顔で兵士たちに怒鳴り散らしている。  その目は泳ぎ、額からは卑屈な汗が流れていた。


「男爵、どうされたのですか? 戦闘はまだ続いておりますが……」


 怪訝そうな顔で問いかけた兵士を、ギルマーは血走った眼で睨みつける。


「決まっている! この砦はもうおしまいだ! あの『零級者』の小細工など、いつまで持つものか!」


 ギルマーは震える手で宝飾品の詰まった鞄を抱え込んだ。


「私は王都へ戻る! 援軍を要請するという大任があるのだ! 貴様らのような平民と、ここで心中するつもりはない!」


「ですが、今指揮官が離脱すれば士気が――」


「黙れ! 黙れ黙れ! 貴様ら家畜が、私の行動に口を出すな!」


 ギルマーは兵士を突き飛ばし、足早に執務室へと消えていった。  残された兵士たちは、冷めた視線をその背中に向ける。


「あの野郎…… 逃げる気だな」


「援軍なんて建前だ。自分だけ助かろうとしてやがる……」


 そんなやり取りを、少し離れた場所でハンスが聞いていた。  彼は深く、忌々しそうに舌打ちをする。


「やっぱりな。あの腐れ貴族、しっぽを巻いて逃げ出しやがった」


「どうします、ハンスさん。止めますか?」


 近くの兵士が問いかけるが、ハンスは首を振った。


「いや、放っておけ。あんなゴミ屑、いても戦力にならねえ。 むしろいない方が清々するってもんだ」


 ハンスは城壁の端まで歩くと、眼下の兵士たちを見下ろした。  その声は、かつてないほど野太く、力強く響く。


「野郎ども、聞いてくれ!」


 兵士たちの視線が、ハンスに集まる。


「悲報だ! ギルマー男爵が、この砦を見捨ててお逃げあそばされるそうだ!」


 兵士たちの間に、嘲笑と怒りが混じったどよめきが広がる。


「だがな! 俺たちは逃げねえ。 逃げる必要もねえ!」


 ハンスは剣を抜き、夜空を指した。


「俺たちにはロラン先生がいる! アルベルト様がいる! そして、隣でお前を支えてくれる戦友がいる! あの腰抜け貴族がいなくたって、俺たちは負けねえ!」


 その言葉は、兵士たちの心に火をつけた。  絶望ではなく、解放感に近い高揚。


「応よ! 守り抜いてやろうじゃねえか!」


「独立連隊の意地を見せてやる!」


 怒号のような勝鬨かちどきが、夜の砦に響き渡った。



 その夜更け。  ギルマー男爵は、こっそりと砦の裏門から抜け出そうとしていた。


 金目のものを詰め込んだ馬車に乗り、数名の護衛を従えている。


「ふん、無能どもめ。ここで帝国軍に蹂躙されるがいい……」


 ギルマーは歪んだ笑みを浮かべ、御者に合図を送ろうとした。  だが――。


 裏門の前に、一人の少女が立ちはだかっていた。


「…… どこへ行くの?」


 銀狼族の少女、リーナ。  その静かな声が、夜の冷気に溶け込む。


「き、貴様! 獣人風情が、私の道を塞ぐか!」


 ギルマーは顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。


「どけ! さもないと、王都に戻った後に貴様の同胞を皆殺しにしてくれるぞ!」


脅迫。 けれど、リーナの瞳は揺るがない。 ただ、ゴミを見るような冷徹な視線が、ギルマーを射抜く。


主様あるじさまは、脳を焼きながら…… 死ぬ思いで、みんなを守ってる」


 リーナの一歩。  その殺気に、馬が怯えていなないた。


「あなたは、逃げる。…… 卑怯者」


「な、何だと…… ッ!」


 ギルマーは屈辱に震え、護衛の兵士たちに命令を飛ばす。


「何を突っ立っている! その獣人を斬れ! 排除しろと言っているんだ!」


…… しかし、護衛たちは動かない。 それどころか、彼らは手にしていた松明を、地面に投げ捨てた。


「貴様ら! なぜ動かぬ! 反逆か!?」


「…… すみません、男爵」


 護衛の一人が、静かに剣を鞘に収めた。


「俺たち、もうあんたの命令を聞くのが嫌になったんですわ」


「な、何……?」


「俺たちは『アシュベル独立連隊』として、ロラン先生とアルベルト様のために戦います。あんたみたいな背中を見せて逃げる奴のために、命を捨てる気はありません」


 護衛たちはギルマーを無視し、砦の中へと戻っていく。  暗闇の中、一人馬車に残されたギルマーは、絶望に顔を歪めた。


「く、くそ……! どいつもこいつも狂ってやがる!」


 ギルマーは震える手で手綱を握り、闇雲に馬を走らせた。  その背中を見送る者は、一人もいなかった。



 翌朝。  ロランは、ようやく意識を浮上させた。


 頭を割るような痛みは引いたが、鉛を飲んだように体が重い。


「先生、目が覚めたか」


 部屋に入ってきたハンスが、明るい声を出す。


「ギルマー男爵が、昨夜のうちに逃げ出しましたよ」


「…… そうですか」


ロランは驚かなかった。 むしろ、計算通りだ。 あの男がいれば、今後の「独立」の障害になるだけだった。


「困りましたか? 王家への報告が面倒になるかもしれませんが」


「いや、むしろ清々した。あんな重石がない方が、よっぽど自由に戦えます」


 ロランは窓の外を見やった。  地平線には、依然として帝国軍の陣営がある。


「敵は、まだ諦めていませんね」


「ああ。だが、昨日までのような勢いはねえな。 本国からの指示を待ってるのか、あるいは……」


「…… 攻めあぐねている。 ならば、その隙を突き(・・)ましょう」


 ロランの瞳に、演算の青い光が僅かに宿る。


「反撃の準備を始めます」



 その日の午後。  ロランは砦に生き残った全兵士、約百名を中庭に集めた。


 誰もが泥に汚れ、傷ついている。  けれど、その目には「無能の使い捨て」だった頃にはなかった、強い光が宿っていた。


「みなさん」


 ロランは静かに、けれど全員に届く声で話し始めた。


「ギルマー男爵は、この砦を捨てて逃げました。レガリア王国も、僕たちを助けるつもりはないでしょう」


 兵士たちの間に緊張が走る。


「ですが、僕は逃げません。ここを僕たちの『居場所』にするために、守り抜きます」


「サー!」


 一人の若い兵士が叫ぶように言った。


「俺たち、本当に…… 勝てるんですか? あんな大軍相手に」


「…… 正直に言いましょう。 勝てる保証はありません。 確率は、まだ五分と言ったところです」


 ロランは嘘をつかなかった。  甘い言葉ではなく、真実を告げることで、彼は信頼を築いてきた。


「でも――僕は、みなさんを信じています」


 ロランは兵士たち一人一人の顔を見つめる。


「みなさんは強い。勇気がある。 そして何より…… 隣にいる仲間を見捨てない心を持っている。 それは、どんな魔法よりも、どんな大軍よりも、僕の演算を狂わせる(・・・・)大きな力です」


 兵士たちの胸に、熱いものがこみ上げる。  「無能」と蔑まれた自分たちを、これほどまでに真っ直ぐ肯定してくれた者が、かつていただろうか。


「だから、僕たちは負けません。…… 僕に、力を貸してください」


「先生、万歳ッ!」


「ロラン先生! 俺たちの命、あんたに預けるぜ!」


 爆発的な歓声。  アルベルトがロランの隣に立ち、剣を高く掲げた。


「みんな、ロランの言う通りだ! 我らはもはや、王国の捨て駒ではない! 自由を掴むための軍、アシュベル独立連隊だ!」


「おおおおおッ!」



 その日の夜。  見張り台に立つロランの隣に、影が落ちた。


「主様」


 リーナだ。


「また、考えてる」


「ええ。次の一手を、ね」


 ロランは隣の少女を見つめ、少しだけ照れくさそうに笑った。


「リーナ。昨夜は、その…… 助かった。 ありがとう」


「…… 止めてない。 見送っただけ」


 リーナは素っ気なく答えるが、その耳は微かに赤くなっている。


「あの男、卑怯者。主様とは、全然違う」


「僕は…… 卑怯じゃないですか? 真正面から戦わず、罠にはめて敵を殺している」


「違う」


 リーナが、ロランの手をそっと握った。  小さくて、けれど温かい手だ。


「主様は、みんなを守るために自分を削ってる。それは…… 一番、かっこいい」


「…… ありがとう、リーナ」


 二人はしばらく無言で、星の瞬く夜空を見上げていた。


 その時だった。  遠く北の地平線、帝国軍の陣営でいくつもの火柱が上がった。


「あれは……」


「匂いでわかる」


 リーナが鼻をひくつかせ、鋭く言った。


「火をつけて、荷物を燃やしてる。…… 持っていけないものを、全部」


ロランの脳内の演算回路が、一瞬で答えを導き出した。 重い荷物を捨て、火を放つ。 それは――。


「撤退......」


 勝った。  五千の軍勢を相手に、たった百人で。  歴史に刻まれるべき大金星を、彼らは成し遂げたのだ。


「みんなに、知らせないと…… っ」


 喜びのあまり駆け出そうとしたロランだったが、急激な立ちくらみに視界が暗転した。


「主様!」


 倒れそうになる体を、リーナのしなやかな腕が受け止める。


「大丈夫…… ちょっと、めまいが……」


視界が白黒に染まる。 脳が、悲鳴をあげている。 『タクティカル・ビュー』の代償は、確実に彼の心身を蝕んでいた。


「主様、無理しすぎ」


 リーナはロランを抱きかかえ、そのまま静かに見張り台の床に座らせた。


「休んで。…… 私が、みんなに伝えるから」


「でも……」


「休んで」


 逆らえない強さが、その声にはあった。  ロランは抵抗を諦め、リーナの肩に頭を預けた。


「…… お願いします……」



 翌朝。  帝国軍は完全に撤退し、草原には黒い焦げ跡だけが残されていた。


 砦の中は、爆発的な歓喜に包まれていた。  大人たちが泣きながら抱き合い、空に向けて何度も叫んでいる。


「本当に…… 勝っちまったんだな、おい」


 ハンスが城壁の上で呆然と呟くと、隣のガルドが豪快に笑った。


「ああ、先生のおかげだ。…… で、その先生は?」


「部屋で眠ってるよ。リーナが片時も離れずに、門番みたいに張り付いてやがる」


 二人は顔を見合わせ、苦笑いした。


「あの子、本当に先生のことが好きなんだな」


「まあ、あれだけ命がけで守られたら、無理もねえよ」


 ロランの部屋。  リーナは、眠り続けるロランの手をぎゅっと握りしめていた。


「主様……」


 その寝顔は穏やかだが、時折、苦しそうに眉間に皺が寄る。  ロランの体温はまだ高く、その消耗の激しさを物語っていた。


「もう、無理しないで……」


リーナの瞳から、一雫の涙が溢れ、ロランの手に落ちた。 彼が知略を尽くすたびに、その命が削られていく。 それが彼女には、怖くてたまらなかった。


「私が、守る。次は…… 私が主様を、絶対に守るから」


 その誓いとともに、朝日がアイギス砦を照らし出す。


 アイギス砦を巡る戦いは、幕を閉じた。  しかし、これは「無能」と呼ばれた少年が、世界を書き換える旅の、ほんの序章に過ぎない。


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