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『神の視点 ~零式創世戦記~』  作者: noanoa
第13章:グライゼル家の反逆

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閑話:銀の絶望 〜リーナ・忘れられた七日間〜


一日目――。


朝。リーナは主様の部屋を訪れた。

 指先を震わせ、静かにノックをする。


「主様、おはようございます」


「……どうぞ」


返ってきたのは、抑揚を削ぎ落とした平坦な声。


リーナが扉を開けた。

 色彩を失い、灰色に沈んだ部屋。

 その中央で、ロランは机に向かい、ただひたすらにメモを走らせていた。


「主様、今日の訓練の件ですが――」


ロランが、ゆっくりと顔を上げた。

 そして――。

 手元のメモへと、視線を落とす。


「あなたは……どなたですか?」


心臓を、鋭い刃で突き刺されたような感覚。

 リーナの喉が、熱く締め付けられる。


「……リーナです。主様の従者です」


「ああ」


ロランは、無機質にメモを指でなぞった。


『リーナ:従者/大切な人』


「メモに記述がありますね。了解しました」


リーナは、溢れそうになる涙を必死にこらえた。

 主様の瞳は、確かに私を捉えている。

 けれど、その奥に「私」は存在しない。


「訓練の、準備ができました」


「わかりました。移動します」


椅子から立ち上がったロランが、横を通り過ぎる。

 リーナは、その背中をじっと見つめた。


アイギス砦で。王都で。戦場で。

 何百回、何千回と追いかけてきた、頼もしい背中。


けれど、今のこの背中は――。

 後ろを歩く私の名を、自分では思い出せない。


訓練場で、リーナは一心不乱に剣を振るった。

 ロランはただ、その軌道を数値として処理するように見つめている。


「フォームが安定していますね。優れた技量です」


「……ありがとうございます」


「メモによれば、あなたは私の訓練相手を務めてきたとのこと」


握りしめた剣が、小刻みに震えた。

 訓練、相手――。


私は、ただの練習台ですか。

 剣を教え合った時間も。

 傍らで笑い合った日々も。

 主様にとっての「大切な人」は、もうインクの染みでしかないのですか。


「リーナさん」


ロランが、感情の消えた声で呼ぶ。


「はい」


「次は、どの術式を再現すればいいですか?」


「……連続斬撃です」


「了解。実行します」


構えを取るロラン。

 その姿は、かつての主様と何も変わらない。

 真面目に、直向きに、最適解を求める。


けれど、中身が空っぽだった。

 心がない。

 感情がない。

 私への想いなど、微塵も残っていない。


すべて――。

 あの熱量の中に、溶けて消えてしまった。


二日目――。


朝。リーナは、昨日と同じように部屋を訪れた。


「主様、おはようございます」


「おはようございます」


ロランは、やはり手元のメモを確認してから口を開く。


「あなたは……リーナ、ですね。……間違いありませんか?」


リーナは、精一杯の笑顔を作った。


「はい。覚えていてくださって……嬉しいです」


「メモに、そう書いてあります」


作ったはずの笑顔が、音を立てて崩れ落ちた。


メモ。

 どこまでも、メモ。

 今の私は、紙の上にしか存在を許されない。

 主様の脳内からは、跡形もなく消え去っている。


三日目――。


食事の時間。

 リーナは、主様の隣に腰を下ろした。


ガルドが丹精込めて作った、温かいスープ。

 香ばしく焼き上がったパン。


主様はそれを、燃料を補給するように機械的に口へと運ぶ。


「美味しいですか……?」


「熱量は感じられます。摂取に支障はありません」


リーナの胸が、また痛んだ。

 味も、匂いも、主様にはもう届かない。

 それでも、生きるために「燃料」を飲み込み続けている。


「リーナさん」


「はい」


「あなたと私は、どの程度の期間、行動を共にしてきましたか?」


問いかけに、リーナは言葉を詰まらせた。


「……とても、長いです。数えきれないほど」


「そうですか」


ロランは、無造作にメモを繰った。


『リーナ:アイギス砦から共に戦った仲間』


「アイギス砦。……記録にはありますが、想起できません」


リーナの目から、一筋の雫が零れ落ちた。


思い出せない。

 二人のすべてを。


出会ったあの日。

 初めて主様を守ると誓った日。

 主様が私に、優しい微笑みを向けてくれた日。


そのすべてが、灰色の虚無に呑み込まれた。


「リーナさん。頬から水分が流出しています。……泣いているのですか?」


「いいえ。……何でもありません」


リーナは、乱暴に袖で顔を拭った。


「大丈夫、ですから」


「了解しました」


ロランは、興味を失ったように食事を再開する。

 リーナは、その横顔を見つめ続けた。


主様。

 私は、どうすればあなたを取り戻せるのですか。


四日目――。


深夜。

 リーナは、主様の部屋の前に立っていた。

 扉の隙間から、青白い光が漏れている。


主様は、まだ眠っていない。


リーナは、吸い込まれるように扉を開けた。

 ロランは机に向かい、一心不乱に筆を走らせている。


ふと見渡せば、壁一面がメモで埋め尽くされていた。


『アルベルト:王/友人』

『リーナ:従者/大切な人』

『ガルド:料理人/仲間』

『次の任務:帝国陸上戦艦迎撃』


文字、文字、文字。

 主様の記憶は、物理的な紙へと形を変えて、部屋を埋め尽くしている。


「主様……」


震える声。

 ロランが、ゆっくりと振り返った。


「リーナさん」


メモを目で追い、確認する。


「従者、ですね」


「はい……そうです」


リーナは、痛む心を引きずりながら、部屋へと踏み込んだ。


「もう、お休みになってください。脳の熱が上がりすぎてしまいます」


「ですが、まだ情報の整理が完了していません」


「主様」


リーナの声が、涙混じりに震えた。


「お願いです。少しだけでいいから……休んでください。あなたが壊れてしまう」


ロランは――。

 じっとリーナを見つめた。


色彩のない、灰色の瞳。

 何の感情も宿さない、硝子のような瞳。


けれどその瞳は、確かに今、リーナを捉えていた。


「……了解。休息に移行します」


ロランは椅子から立ち上がり、ベッドへと横たわった。

 リーナは、その寝顔をいつまでも守るように見守り続けた。


主様。

 私は、どうすればあなたを救えるのですか。


五日目――。


リーナは、一人で物思いに耽っていた。

 窓の外、灰色に閉ざされた景色。


本当は、空はこんなに青いのに。

 主様には、それさえも見えない。


リーナは、遠い過去を思い出していた。


十年前。

 北の最果て、凍土ノーディア。

 そこが、銀狼族ぎんろうぞくの里だった。


寒風が吹き荒れる、厳しくも美しい土地。

 そこでリーナは生まれた。


銀の髪。銀の瞳。

 獣人の血。


里の人々は皆、優しかった。

 けれど、リーナはいつも孤独の影を抱えていた。


なぜなら、彼女の心は常に「外」を向いていたから。

 広い世界を知りたい。

 自由に、自分の足で生きたい。


そして。

 いつか、心から尊敬できる主に仕えたい。

 その人を、命懸けで守りたい。


それが、少女だったリーナの、たった一つの願いだった。


十五歳の冬。リーナは里を出た。

 たった一人、凍てつく大地を南へと歩んだ。


そして――。

 アイギス砦で、運命の主に出会った。


ロラン・フォン・アシュベル。

 魔力ゼロ。追放された、頼りなげな青年。


けれど、その瞳の奥には。

 何者にも屈しない、強靭な意志の炎が灯っていた。


リーナは、その輝きに魅せられた。

 この人に、すべてを捧げたい。

 この人を、最後まで守り抜きたい。


あの日から、それがリーナの「すべて」になった。


なのに、今。

 主様は、リーナの存在を忘れてしまった。


六日目――。


リーナは、決意した。


たとえ、主様が私を忘れても。

 たとえ、主様が私を「記号」としてしか認識できなくても。


私は、ここにいる。

 主様の隣が、私の生きる場所。


リーナは、ロランの部屋を訪れた。


「主様」


「リーナさん」


いつものように、メモを確認する動作。


「従者、ですね」


「はい。あなたの、従者です」


リーナは、主様の前に膝をついた。


「主様。明日から、戦いが始まります」


「ええ。バルムンク帝国との決戦です」


「私は、必ず主様をお守りします。たとえ何があっても」


ロランが、ふと不思議そうに目を細めた。


「……なぜですか?」


「え?」


「なぜ、あなたはそこまでして私を守るのですか。論理的なメリットが見当たりません」


リーナは、微笑んだ。

 溢れ出す涙を、隠そうともせずに。


「それが、私の生きる意味だからです」


「主様を守ること。主様の側にいること」

「それが――私のすべてなんです」


ロランは、その言葉を反芻するように黙り込み、ペンを取った。

 そして、メモの余白に書き記した。


『リーナ:従者/大切な人/生きる意味を懸けて私を護る存在』


リーナは、その文字が滲んで見えなくなった。

 紙の上にしか、私の居場所はない。


けれど。

 それでもいい。

 主様が、私を「必要」だと定義してくれるのなら。


七日目――。


出陣の朝。

 リーナは、主様の部屋を訪れた。


「主様。準備が整いました」


「了解しました」


ロランは立ち上がり、最後にもう一度、壁のメモを確認した。


「リーナさん」


「はい」


「メモには、あなたが大切な人だと記述されています」


その一言で、冷え切っていたリーナの胸が、微かに温かくなった。


「ですので――」


ロランは、リーナを真っ直ぐに見据えた。


「戦場では、あなたが欠損しないよう、私がお守りします」


リーナは、また泣きそうになった。


主様。

 あなたは、私のことを覚えていない。

 でも。

 自分自身のメモを信じて、私を守ろうとしてくれる。


「ありがとうございます……」


リーナは、深く頭を下げた。


「でも、主様を守るのは私の役目ですから」


「……そうですか。ならば、互いに保護対象と設定します」


ロランは、さらりとメモに書き足した。


『リーナ:私を護る存在/私もまた護るべき存在』


二人は、部屋を出た。

 硝煙と熱量が渦巻く、戦場へ。


リーナは、主様の背中を追い続ける。


主様。

 私は、絶対にあなたを死なせません。

 たとえ、あなたが私を知らなくても。

 たとえ、その瞳に私の姿が映らなくても。


私は、永遠にあなたの傍らに。

 それが、私の選んだ運命さだめ


銀の髪が、戦場の風になびく。

 灰色の空の下。

 リーナは、主様と共に歩み出した。


忘れられた七日間。

 それは、地獄よりも過酷な孤独の日々だった。


けれど、リーナは決して諦めない。

 主様を、守り続ける。

 それが、彼女の魂のすべてだから。


北方平原へ――。

 二人は、激動の戦場へと消えていった。





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