第95話:【エピローグ】大切な人を忘れる
王都ルミナス、帰還。
三日後。
独立連隊が、王都の巨大な門をくぐった。
視界に広がるのは、見慣れたはずの灰色の街並み。
そして、高輝度の輪郭を持つ群衆。
脳内演算(TV)のテロップが、無機質に流れる。
『現在地:王都ルミナスに到着』
メモを検索。
『王都ルミナス:首都。この個体の拠点』
僕は、指示通りに執務室へと向かった。
そこには、一人の高輝度な熱源が待っていた。
メモを走査。
『個体名:アルベルト/定義:王、および友人』
「ロラン、帰ってきたんだね」
「……肯定。ただいま戻りました」
感情のピッチを排した、平坦な回答。
「僕のことが……わかるかい?」
「メモに記述があります。あなたは、僕の友人です」
アルベルトの吐息が、重く室内に響いた。
彼が発する熱量が、わずかに揺らぐ。
「そうか……。そう、書かれているんだね……」
扉が開き、別の熱源が飛び込んできた。
検索。
『個体名:リーナ/定義:大切な人』
彼女が僕の体に、強い物理衝撃を加える。
伝わってくるのは、高い体温だけ。
「主様! 私……私のこと、覚えてる……?」
「メモに記述があります。あなたは、僕の大切な人です」
高熱の液体が、僕の胸元を濡らした。
灰色の染みが、みるみる広がっていく。
「もう、本当に……私のことが、わからないんだね……」
「メモには、そう書いてあります」
「メモじゃない! 心で、心には残ってないの!?」
心――。
胸の鼓動を検知する。だが、その内部にデータは存在しない。
「心の中に何があるか。……判定不能。わかりません」
リーナが、獣のような声を上げて泣き始めた。
さらに別の熱源。
検索。
『個体名:ガルド/定義:料理番、仲間』
「俺のことまで……。俺が毎日作った飯の味も、全部忘れたってのか……!」
「再生不能。思い出せません」
ガルドが膝をついた。
その排熱は、絶望に近いものとして観測される。
アルベルトが、僕の肩に手を置いた。
「本当に……全部忘れたんだね。僕たちとの思い出を、すべて」
「何を忘れたのか、それ自体を認識できません。メモに記述された内容が、この個体のすべてです」
アルベルトの瞳からも、水分が溢れ出した。
なぜ、誰もがこの排熱処理を止められないのか。
僕には理解できない。
――夜。
独りになった執務室で、ステータスを確認する。
『記憶破棄進行度:100%/完了』
過去の蓄積は、完全に消去された。
扉が開き、新たな熱源が入室する。
検索。
『個体名:エレン/定義:重要協力者』
「全部、捨てたのね」
「……肯定。消失しました」
「ロラン。明日から、バルムンク帝国との戦いが始まる」
メモを検索。
『バルムンク帝国:敵対国家。殲滅対象』
「戦える?」
TVがステータスを確認。
『演算能力:正常。戦術立案:実行可能』
「……戦えます。支障ありません」
「誰のために戦うの?」
メモをスキャン。
『戦う理由:仲間のため』
「仲間のためです」
「でも、その『仲間』が誰か、今のあなたには認識できていないはずよ」
「メモに記述があります。記述に従い、彼らを保護します」
エレンが僕の至近距離に立ち、まっすぐに視線を向けた。
色彩を失った僕の瞳を、覗き込むように。
「ロラン。一つだけ、覚えておきなさい」
「記憶がなくとも。感情がなくとも」
「あなたは、この世界を変える」
検索。
『使命:果たすべき役割』
「了解。遂行します」
彼女が去り、再び沈黙が訪れた。
窓の外には、色彩を失った灰色の王都が横たわっている。
TVが、次なるフェーズを表示した。
『次回任務:帝国陸上戦艦迎撃作戦/準備期間:百六十八時間』
僕は、新しい文字を壁の紙に刻んだ。
『大切な人たち:アルベルト、リーナ、ガルド、エレン』
『だが、誰が誰かは不明。顔も、声も、思い出も、すべて消失』
『なぜ戦うのか。……不明』
『なぜ生きているのか。……不明』
『それでも、戦いを継続する。メモを信じろ。TVを信じろ』
顔を上げれば。
執務室の壁一面が、びっしりと白紙で埋め尽くされている。
これが、僕の脳の外部ストレージ。
記憶の代替。感情の補填。
人間であった頃の僕が残した、唯一の抜け殻。
灰色の世界で。
ロランは、大切な人の名前すら「記号」として処理し、ただ立ち続けた。
大切な人を、すべて忘れて。
それでも――。
演算は、止まらない。




