第94話:警告の言葉
グライゼル領、戦後。
灰色の陣営。
勝利という「結果」は出たが、歓声はどこにもない。
高輝度の熱源を囲む兵士たちの動きは緩慢で、一様に沈んでいる。
僕は天幕の中で、外部メモの文字を走査していた。
『次:王都ルミナスへ帰還』
了解。
明日、この座標から移動を開始する。
その時、天幕の外から音響信号が届いた。
「ロラン様、捕虜の中にヴァルター・グライゼルがおります。彼が、貴殿への面会を……」
外部メモ、およびTV内のログを検索。
『ヴァルター・フォン・グライゼル:重力魔法使い。過去に二回の交戦記録あり』
エピソード記憶は、存在しない。
ただ、戦術データ上の「重要人物」と判定。
「……受諾。面会を許可します」
数分後。
灰色の男が、兵士に連れられて入ってきた。
黒い鎧。両手に繋がれた重い鎖。
ヴァルター・フォン・グライゼル。
「久しぶりだな、ロラン」
……久しぶり。
その単語に対応する記憶ディレクトリは、すでに物理的に削除されている。
「……覚えていないのか?」
ヴァルターの顔面筋が、歪んだ。
悲嘆。あるいは、憐憫。
「お前は変わったな。初めて会った時、その瞳には確かに光があった」
「二度目の時も、まだお前は『人間』だった」
「だが、今のお前はどうだ――。何も、感じていないのではないか?」
感じているか、否か。
センサーによる熱量や輝度の検知は正常だ。だが、ヴァルターが言う「感じる」は別の定義を指していると推測される。
「ロラン、聞け」
ヴァルターが、捕虜とは思えぬ鋭い視線を向けてくる。
「お前は、このまま進めば人間でなくなる。……いや、もうなりかけている」
「ただの演算装置だ。数値を管理し、命をただの『数』として処理する機械」
「そんなものは――人ではない」
定義の不一致。
演算能力の向上は、戦術的最適解を導くために不可欠だ。
「お前の仲間たちの熱源を見たか? 皆、恐れている。……お前という怪物を」
恐怖――。
彼らが僕に対して「回避・警戒」の信号を発している理由は、算出できない。
「お前の目は、もう死んでいるんだ。何も映していない。ただ、数式だけを見ている」
「ロラン、最後に一つだけ言わせてくれ」
ヴァルターが鎖を鳴らし、一歩前へ出た。
「止まれ」
「このまま進めば、お前は勝つだろう。すべての敵を倒し、すべての戦いに勝利する。だが――」
ヴァルターの瞳が、一瞬だけ強く発光したように見えた。
「勝った時、お前の隣には誰もいない」
「仲間も、友も、すべてを失っている」
「それでも……お前は、戦い続けるのか?」
問いに対する、解が出ない。
なぜ戦うのか。誰のために。
TVには、その「目的」を規定するプログラムが存在しない。
「……判別不能。回答を持ち合わせていません」
ヴァルターは、重く、長い吐息を漏らした。
「そうか……。もう、手遅れというわけか……」
男は、そのまま兵士に連れられて天幕を去った。
(勝った時、隣には誰もいない――)
反芻される音声ログ。
意味は、理解できない。
夜。天幕の外から、兵士たちの低い会話がノイズのように入り込む。
「……ロラン様、本当に大丈夫なのか?」
「死んでもいい、なんて。あんなの、もう……」
「ああ……。あれはもう、『人間』じゃないよ」
人間、ではない。
外部メモを再確認。
『個体識別名:ロラン・フォン・アシュベル/種族:人間』
記録には、人間と書いてある。
ならば、僕は人間であるはずだ。
「ロラン……。少し、話せるかな?」
高輝度の熱源が、許可なく天幕へ入ってきた。
検索。
個体名:『アルベルト』。
「……肯定。どうぞ」
「ロラン、君は……本当に、何も感じていないのかい?」
「判別不能。質問の意図が理解できません。『感じる』とは、具体的にどの感覚器の反応を指しますか?」
アルベルトの顔(熱源)が、激しく歪んだ。
「感じるっていうのは……喜びとか、悲しみとか、そういう感情のことだよ!」
「喜び――」
メモを検索。
『喜び:望ましい事象の発生に伴う、報酬系回路の反応』
「僕には、喜びは検出されません。同様に、悲しみも。怒りも。感情に分類される信号は、一切確認できません」
淡々と、事実のみを報告する。
アルベルトの瞳から、高熱の液体が溢れ出した。
「そんな……。そんなことが、あっていいはずがない……」
「……ですが、問題ありません」
僕は、彼を安心させるために、外部メモを提示した。
「僕には、このメモがあります。記録された情報を、僕は『絶対』として処理します」
「メモには、『アルベルト:友人』と記述されています」
「だから、あなたは僕にとっての友人です。間違いありません」
アルベルトが、顔を覆って声を上げた。
「それは……。それは、友情なんて呼ばないんだよ……ッ!!」
「……そうですか」
なぜ彼が激しく排熱し、水分を流すのか。
僕には、もはや理解する術がない。
――翌朝。
独立連隊は、王都に向けて出発した。
『帰還ルート:最短経路を選択/所要時間:七十二時間』
灰色の馬に跨り、一糸乱れぬ行軍を先導する。
ヴァルターの警告が、ノイズのように脳内を明滅した。
(勝った時、隣には誰もいない――)
意味は、不明。
隣を見れば、リーナと呼ばれる個体が、馬を並べている。
彼女の表情は、暗い。
なぜか。……わからない。
灰色の空。灰色の大地。
すべてが、輝度と彩度の低い無機質な記号。
勝利という「結果」の後。
僕は、ただ、メモと数値の奴隷として、灰色の世界を進み続ける。




