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間違いない。彼女はエリザヴェッタ・ペトロヴァだ。
例えるなら、敵国の大将が自ら首を差し出しに来たようなものだろう。
生憎、私は忘却のための体術も装備も、拷問器具すらも持ち合わせていない。
彼女にはいくつかの異名がある。
――『赤雪姫』
――『悪魔の薔薇』
――『氷の女帝』
などなど、実に多い。
聞くところによれば、北海沿岸の都市セントラルグランドの出身だという。
褐色の肌が印象的だが、それは日焼けサロンで焼いたものらしい。
年齢は二十七歳。
ちらちらとこちらを見ているが、気にしない。
ただ、少しでも視線を下に向けようものなら、鋭く睨まれる。
なぜだ? 私は事実上、女のはずだが?
不届き者はそちらだろう。
それにしても、彼女を「エルザ」と呼ぶと何故か怒られる。
「ペティと呼べ」と言われたが、そう呼ぶとどこかへ連れていかれそうな気がする。
――あら? どういうことだ?
看守が何も言わない。むしろ、敬礼している?
ますますわからん。
おい、ベンゼル。
看守にチョコレートバーを渡すな。
なぜ看守が嬉しそうに食べている。勤務中だろう?
「ご苦労」
おい、ベンゼル。
お前は反逆者だろう。何を言っているんだ。
「ご苦労ですって? ずいぶん偉くなったじゃない。
――彗國元司令官、ベンゼルさん」
皮肉のこもったその一言を、彼女は静かに放った。
ベンゼルは動揺を隠せず、「チーム」だの「新ソサエティ」だのという言葉を口走っていた。
私にはさっぱり意味がわからない。
つまるところ、要領を得ない。
私も話に加わり、ペティ――ペトロヴァにいくつか質問を投げた。
彼女は嫌そうな顔をしたが、仕方なさそうに答えてくれた。
一応、私の素性――事実上は女であり、殺戮者であるということも知っているようだ。
「少人数で傭兵団か、浮浪者のチームを作りたいんだけど、一人足りないの」
そう彼女は言った。
一人足りない――とは、どういう意味だ?
私はしばらく考えたが、結論が出なかった。
その「一人」とは私のことなのか?
それとも、私を除いた話なのか?
考えれば考えるほど疑問ばかりが増える。
物事の本質とは、疑問そのものよりも、それをどう解釈するかにある――誰かがそう言っていた気がする。
ペティが小さなデバイスを渡してきた。
私はそれを腕に装着する。
表示には『U』の文字。『UNITED』の略だろうか?
そんなことを考えながら、出口なのか入口なのかわからない大門まで歩くと、そこにはヘリが待っていた。
ベンゼルが高笑いしている。「そういうことか」と呟いたのが気になった。
どういう意味だ。
ペトロヴァが私にシャシリクを差し出した。
北の國――雨國の串焼き料理だ。




