#08.さかさまのかみさま
村はずれの山道に、小さな祠がある。
子どものころから口を酸っぱくして言われてきた。
「祠の中を覗くな。そこには『さかさまのかみさま』がいる」
理由を尋ねても、大人たちは決まって黙り込んだ。
ただ、祠のそばで遊んでいた子が、ある日を境に性格が変わったり、数日後に姿を消したりする。
それでも村人は、あたかも最初からそんな子はいなかったかのように暮らし続けた。
私の姉もそうだった。
ある夏の夕方、友達と祠の前で遊んで、その夜から様子がおかしくなった。
食事のとき、箸を逆手に握っていた。
布団に入ると、必ず天井を見つめ、口をぱくぱくと動かしていた。
一週間後、姿が消えた。
家族は泣きもしなかった。
母は「そんな子はいなかった」と言い、父は黙々と田畑を耕し続けた。
姉の部屋は、その翌日には物置に変わっていた。
私は恐ろしくて、祠のことを忘れようとした。
けれど年月が経つうちに、どうしても確かめたくなった。
姉は本当にいなかったのか。
あの祠の奥には何がいたのか。
二十九歳の夏、私は夜中に懐中電灯を持って祠へ向かった。
御簾の隙間から光を差し込む。
そこにいたのは――逆さまの姉だった。
天井に張りつき、干からびたような顔で、じっと私を見下ろしている。
次の瞬間、その顔が歪んで、私自身に変わった。
『かわれ』
声は響かなかった。
それでも意味は脳に焼きついた。
慌てて逃げ帰ったが、それから日常が少しずつ崩れた。
鏡に映る口が遅れて動く。
箸がうまく持てない。
文字が裏返しに書かれる。
母に相談すると、淡々と「もうすぐだね」と答えた。
父は「祠を覗くからだ」とだけ言い、再び口を閉ざした。
弟は、私をまるで他人のように避けた。
そして三十歳の誕生日の夜。
目を覚ますと、私は天井に張りついていた。
下には布団から起き上がる『もう一人の私』がいて、こちらを見上げていた。
声を出そうとしたが、喉が動かない。
代わりに、下の『私』がにやりと笑った。
「やっと交代だな」
窓の外、闇に沈んだ村では、どの家の天井にも、逆さまに貼りついた『誰か』が揺れていた。
それを見ても、誰一人として騒ぎはしない。
――この村では、ずっと昔から当たり前のことだから。




