#07.個人達成義務法 第30条(ユーメリア法)
その世界では、誰もが三十歳になるまでに夢を一つ叶えなければならない。
法律で定められているのだ。
名は――個人達成義務法 第30条(ユーメリア法)。
人々は親しみを込めて「ユメ法」と呼んでいた。
子どものころから学校ではこう教えられる。
「夢は必ず叶う。ただし一つだけ。三十歳までに、一度だけ叶えなければならない」
叶えなかった者はどうなるのか――誰も知らない。
そんな人間は、この世界には存在しないのだ。
役所には「個人達成課」があり、毎日さまざまな申請が持ち込まれる。
「私は作家になりたい」
「私は空を飛びたい」
「私は死んだ母にもう一度会いたい」
書類は厳かに受理され、職員は判を押す。
そして――本当に夢が叶うのだ。
ただし一度きり。
その後はもう、どんなに望んでも夢は二度と叶わない。
『夢の権利』は失効するのだから。
私は今日、三十歳になる。
周囲は皆、すでに夢を叶えている。
隣人は「宝くじを当てたい」と言って億万長者になったし、同僚は「小説を出版したい」と願って書店の棚に自分の本を並べている。
私はまだ、夢を決められずにいた。
一度きりしか使えない権利。
叶えた瞬間、それは永遠に消える。
ならば何を望むべきなのか。
迷い続けてきた。
夜更け、街の役所の前を通りかかると、閉庁しているはずなのに明かりがついていた。
覗くと、中に一人の老人が座っていた。
灰色の役人服をまとい、机に積み上がった申請書をめくっている。
私は勇気を出して声をかけた。
「……すみません。もし夢を叶えられなかったら、どうなるんですか」
老人は顔を上げ、しわだらけの目を細めて笑った。
「ご安心を。叶えなかった者など、一人もおりませんよ」
「……本当に?」
「ええ。三十歳の誕生日を迎えた瞬間、必ず叶うのです。ただし――あなたが選ばなかった夢が」
老人の机の上には、私がこれまで一瞬でも思い描いた夢が、申請書の形で山積みになっていた。
作家になりたい夢。
愛した人と暮らしたい夢。
誰かを救いたい夢。
そして、誰にも言えなかった暗い夢。
「三十歳までに、自ら一つを選びなさい。さもなくば――夢に選ばれます」
老人の声は、不思議に優しく、それでいて冷たかった。
老人の机の上には、私が忘れていたはずの申請書が一枚混じっていた。
震える手で拾い上げ、目を走らせる。
そこには、子どものころに書いた、ぞっとする一文があった。
――夢なんて叶えたくない、という夢。
その瞬間、背後の時計の針が音を立てて逆戻りを始めた。
外の世界から、同じ朝のざわめきが響いてきた。
ついさっき迎えたばかりの、三十歳の誕生日の朝が。
老人は微笑んでいた。
「さあ……あなたの夢は、もう叶いましたよ」




