#06α.嘘の回収日
この町では、毎週木曜が「嘘の回収日」だ。
燃えないゴミの隣に、透明な袋が並ぶ。
中には紙切れが詰め込まれている。
自分がついた嘘を一枚ずつ書いて封じる決まりだ。
回収車が来ると軽やかなメロディが流れる。
『ごめんねの歌』と呼ばれているが、作曲者は誰も知らない。
最初は反発もあったが、慣れれば便利だ。
小さな嘘は軽い。
「今向かってる」「大丈夫」――レシートほどの紙片にそう書くだけで、胸の奥が少し軽くなる。
袋の口を縛って置けば、夕方には道路まで軽くなるような気がした。
嘘は町の重力を増す、と誰かが言った。市役所は否定しなかった。
ある木曜の朝、隣の老人がずしりとした袋を抱えていた。中身は真っ白で、線香の匂いがまとわりついていた。
「手伝いましょうか」
声をかけると、老人は首を振り、笑った。
「これは軽いんだよ。袋が大きいから、重そうに見えるだけだ」
袋の表にはマジックで「すまなかった」と書いてあった。
その日の回収車は遅れてきた。
作業員は袋の重さを確かめる癖がある。
重い嘘は、持ち主が立ち会わねばならない。だが老人は呼ばれなかった。袋は軽かったのだろう。私はほっとした。
夜になり、机に向かった。
ずっと後回しにしてきた嘘がある。
「いつでも相談して」と言ってから、誰の電話にも出なかった半年間。
それを書くと決めた途端、胸が冷えた。
紙に「いつでも」と一文字ずつ書き、袋に落とす。音がした。乾いた紙の音ではない。
濡れた石のような鈍い音。袋の底がわずかに沈んだ。
翌週、袋はさらに重くなっていた。
とうとう回収場所まで持てず、玄関先でへたり込んだ。
『ごめんねの歌』が近づいてくる。小窓越しに橙色の回転灯が波のように揺れた。
ノックがあった。
「分別の確認です」
扉を開けると作業員が立っていた。
帽子のつばの下に、薄い笑み。見覚えのある顔だった。
彼は袋を持ち上げようとして、持ち上がらないことを確認し、うなずいた。
「同意が必要です。重量超過の嘘には、手数料がかかります」
「手数料?」
「思い出をひとつ。交換です」
作業員は胸ポケットから小さな箱を出した。中には空の引き出しが並んでいる。
「選んでいただければ、こちらで処理します」
私は目を閉じた。すぐに浮かんだのは海だった。
砂に指をうずめ、あなたが笑った午後。
あれを差し出せば、嘘は軽くなるのだろうか。私の嘘は、その笑顔の上に乗っているのだから。
「単価とか、あるんですか?」
「安い嘘なら、味や匂いの断片でも結構です。夕焼けの赤、最初のコーヒーの苦み……」
私は首を振った。
「……じゃあ、鍵でお願いします」
「鍵?」
「玄関の鍵を開ける音。夜遅く、彼が帰ってきた音。あれを渡します」
作業員は短くうなずき、空の引き出しに何かを収める仕草をした。
玄関の床下で、かすかなクリック音がした気がした。
嘘の袋は軽くなった。片手で持てるほどに。
作業員はそれを回収車へ運んだ。
橙色の光に白い紙がゆらぎ、『ごめんねの歌』が少し速くなった。
作業員が戻ってきて帽子を直した。顔がよく見えた。
やはり、見覚えがある。
私が名前を呼ぶ前に、彼が先に言った。
「同じ時間に、同じ曲が流れるのが好きでした。あなたが『いつでも』と言った夜のことも、覚えています」
息を飲んだ。
彼はそれ以上言わず去っていった。
回収車の灯りが遠ざかり、道路が軽くなる。
その夜、玄関に鍵を差し込んだ。
だが音がしない。音は消えていた。
扉は静かに開き、居間は広く感じられた。
ひとつ抜け落ちた音のぶん、空気が薄かった。
机に戻ると、小袋が残っていた。
底には「忘れた」と書かれた紙片が貼り付いている。
字は私のものだ。回収し損ねた小さな嘘は、自己紹介のように重い。
翌週の木曜、また袋を用意した。
「また今度」「間に合ってる」「平気」――書いていくと袋はすぐ膨らんだ。軽い。
だが部屋は広がり、音が減っていく。
湯が沸く音、目覚ましの電子音、あなたの笑い声。
『ごめんねの歌』が近づき、ノックがあった。作業員が立っていた。今日も優しい目で。
「今日も、交換でよろしいですか」
「……はい」
私はもう選び方を知っている。
重い嘘には、大事な音がよく効く。
代価は正確で、欠落も正確だ。作業員が引き出しを開ける。
私は今日、何を渡すのか考え、気づいた。
――私はこの人の名前を知らない。
どんな嘘をついたのか。
いつ「いつでも」と言って、いつそれを裏切ったのか。
彼は毎週、私の袋を軽くしていく。誰のために?
喉の奥で、鍵の音がした。音はしないはずなのに。
「ありがとうございました」
作業員はそう言って、少しだけ笑って去った。
私は誰に礼を言ったのか、もう思い出せない。
町は軽い。
夜風が紙の音を運んでくる。
橙色の光が遠ざかる。
玄関を閉めると、静かだ。とても静かだ。
私は紙を一枚取り出して、なんとなく書いた。
「また今度、話そう」
途端にそれは重くなり、袋の底に落ちて床板が軋んだ。
笑おうとしたが、声が出ない。
どんな声だったか思い出せず、諦めて、机に一枚の紙を残した。
「いつでも」
それは袋に入らなかった。
貼りついたまま、部屋の重力を増やしていく。
来週の木曜まで、町は軽い。私だけが、少し重い。




