#13.黒い赤
塗料研究所に勤める技術者が、ある夜、研究室で死亡した。
死因は薬品の誤飲。インクを撒き散らし、自殺か事故か、判断はつかなかった。
机の上には、奇妙な塗料のサンプルが残されていた。
ラベルには『黒い赤』と書かれていた。
捜査にあたった刑事は首をかしげた。
「赤なのに黒い?」
試しに蓋を開けると、どろりとした液体が見えた。
照明の下では漆黒にしか見えない。
だが角度を変えると、わずかに赤みが差す。血液のように。
研究者の同僚によれば、亡くなった彼は「世界で最も人間の目を欺く色」を追い求めていたという。
赤なのに黒、黒なのに赤。
人間の認識の境界を狂わせる色。
それを「黒い赤」と呼んでいたらしい。
刑事は塗料を証拠品として保管した。
だが妙なことが起きた。
調書に文字を記そうとすると、赤いボールペンの線がすべて黒に変わってしまうのだ。
報告書の印鑑も、書類の訂正印も、なぜか黒ずんでいる。
「偶然だろう」
そう思い込もうとしたが、やがて同僚の刑事がぼそりと言った。
「被害者の顔、見たか。真っ黒にしか見えなかった。……でも、あれ、血の色なんだよな」
その言葉をきっかけに、刑事の胸に冷たいものが広がった。
黒くしか見えないのに、実際には赤。
赤いはずなのに、認識は黒。
死体の横に残っていたのは、吐き出された大量の血痕だった。
だが現場写真を見ると、床は黒く濡れているだけにしか見えなかった。
結局、事件は「研究者の自殺」として処理された。
だが、刑事は時折思い出す。
保管庫に眠る『黒い赤』のサンプルを。
そして、その蓋に映った自分の顔が、どす黒い血に塗られていたことを。




