#10.広告禁止の看板
山間の村に、一枚の古い看板が立っている。
煤けた板に、白く大きくこう記されている。
『広告禁止』
初めて訪れた者は皆、奇妙に思う。
観光地でもなければ、商業施設もない。
そのような場所で「広告」を禁ずる必要があるのか、と。
村人に尋ねても、明確な答えは返ってこない。
「昔からそう決まっている」
「理由は知らない」
あるいは「触れない方がいい」と、口を閉ざす。
だが、こういうものは大抵、言葉そのものに意味があるのだ。
――広告。
これは「広く告げる」と書く。
つまり人に知らせること。
しかし古語の中には、「告ぐ」は人にだけ向けるものではなかった。
神に、あるいは異界に向けての「告げ」も含まれていた。
祭礼の祝詞は「告文」とも呼ばれる。
つまり「告げる」ことはすなわち「呼ぶ」ことであり、「告げられたもの」は必ず「応える」存在を前提としていた。
村の古老はぽつりと語った。
「昔、欲深い者がいてな。村に人を呼ぼうと、やたらに『来い来い』と札を貼ったんだ。そうしたら、本当に『来た』んだよ。人ではない何かが」
それが何であったか、誰も語らない。
ただ、その夜を境に家ごと消えた家族があるという。
跡地は更地になり、誰もその家を思い出そうとしなかった。
以降、村では「広告」を出すことを禁じるようになった。
それは商売の宣伝だけではない。
声高に叫ぶことも、外に広く知らせることも。
「広く告げる」行為そのものが、呼んではならないものを呼び寄せるからだ。
だから――村に残る唯一の看板は、禁忌を明示するためだけのものとなった。
「広告禁止」。
それ自体が一種の護符だった。
ただ、妙なことがある。
私は実際にその看板を目にしたが、文字の縁がどこか湿って滲んでいた。
まるで内側から滲み出ているかのように。
そして不意に気づいたのだ。
――その文字は、誰に向けて書かれているのか。
村人にではない。
外から来た旅人にでもない。
では、看板を見上げる『何か』に向けてなのではないか。
「広告禁止」――告げるな、呼ぶな。
それは人への警告ではなく、異界に向けた『拒絶の文』なのかもしれない。
だとすれば、なぜわざわざ看板に書く必要があるのか。
異界のものが文字を読むとでもいうのか。
そんなはずはない。
だが、その夜、宿で夢を見た。
闇の中で、何かがこちらを見上げていた。
白目のように濁った瞳が、看板の文字をなぞるように動いていた。
翌朝、もう一度あの看板を見に行った。
だが、そこには何も立っていなかった。
村人に尋ねても、そんな看板は初めからなかったと言う。
――ならば、私が見たあの文字は何だったのか。
「広告禁止」。
あの言葉そのものが、私に『告げられた』のだとしたら。




