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#09.夜をすべる

ある企業が画期的な娯楽装置を開発した。

名を「夜すべりマシン」。


宣伝文句はこうだ。


――「あなたも夜を統べてみませんか?」


乗り込んだ者は、闇を足元に敷き、無重力のような感覚で夜を滑走できる。

暗い空を自由に駆け抜ける爽快感は、誰もが一度で虜になった。


最初は富裕層の道楽だったが、次第に市民にも普及していった。


会社員は「仕事の疲れが吹き飛ぶ」と語り、学生は「受験の不安を忘れられる」と喜び、主婦は「結婚生活を続ける気力が湧いた」と口にした。


「夜をすべれば、悩みもストレスも消える」


その噂は一気に広がった。


政府はすぐに目をつけた。

「国民の幸福度を高め、社会不安を解消できる」として、国を挙げての推奨事業にしたのだ。

通勤定期券に代わり、夜すべり回数券が配られるようになった。


だが、困ったことが起きた。

体験を重ねた人々が、以前の生活に戻らなくなったのだ。


会社員は出勤せず、学生は教科書を投げ捨て、主婦は家事を放棄した。

ただ夜すべりマシンに並び、空を滑ることだけを望む。


工場は止まり、店は閉まり、病院も機能しなくなった。

街の灯は消えていった。


だが、空だけはにぎやかだった。

笑顔の人々が列をなし、夜の上を楽しげにすべっていた。

歓声が風に混じって響く。

地上の沈黙とは対照的に、空は祭りのように明るかった。


やがて最後に残ったのは、マシンを開発した企業の経営陣だけだった。

彼らは豪奢なオフィスに集まり、記者会見を開いた。


「我々は国民を史上最も幸福にしました。不満も格差もなく、皆が夜をすべっているのです」


誇らしげにそう語る彼らの頭上で、轟音が響いた。

見上げると、空をすべる人影があまりに増えすぎて、夜そのものが軋むように揺れていた。

黒い幕が波打ち、ひび割れ、光が漏れ出す。


次の瞬間、夜の底が抜け、人影がぞろぞろと地上に降り注いだ。

笑顔のまま、何千、何万という人々が、音もなく積み重なっていく。


やがて街は静まり返った。

経営陣の姿も消えた。


ただ一つ、巨大な広告板だけが風に揺れていた。

そこには、こう書かれていた。


――「夜をすべる。あなたも、もう滑っています」

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