喰ってはいけない 第7話「記されないもの」
久遠は、ときどき思う。
とうまは、何を見ているのだろう。
教室の窓から外を見つめていることが多い。
視線の先に“何があるのか”までは分からない。
けれど、とうまの眼差しは、誰かを追っているように見える。
俺は、それをずっと見てきた。
入学のころから、とうまには妙な“欠落”があった。
記憶の話ではない。
もっと深い、“抜け落ちた部分”がある。
たとえば昨日のこと。
放課後の旧校舎の裏手で呼びかけたとき、とうまはこっちを見ていた。
目が合った。けれど──返事はなかった。
俺の声は、届いていなかった。
目の焦点も、ほんの少しズレていた。
まるで、別の場所に存在しているものを見ていたようだった。
(またか)
と思った。
そして、確信した。
とうまは、ときどき“記されていない空白”に触れている。
誰の記憶にも残っていない。
名前も、顔も、言葉も、すべてが“なかったこと”になっている存在たち。
普通なら、そんなものには気づけない。
でもとうまは、そこに触れてしまう。
引き寄せられるように。
あるいは──自分のなかに、それがあるかのように。
俺は思う。
とうまは、おそらく“記憶”というものに対して、普通の人間とは違う位置にいる。
彼の周囲では、ときどき妙な“ずれ”が起こる。
人の名前を忘れる。物の配置が変わる。会話の内容が失われる。
そのすべてが偶然とは思えなかった。
でも、問いただすつもりはない。
まだ、何も確証がないから。
ただ、俺はずっと“観て”いる。
とうまが何を見て、何を“知らずに触れているのか”を。
──その日も。とうまはまた、誰もいないはずの方向に目を向けていた。
少し、怯えたような顔をして。
俺には見えない。
でも、とうまには、何かが見えている。
それだけは確かだった。