喰ってはいけない 第5話「触れかけた影」
最近、とうまは“気配”に過敏になっていた。
背中に誰かの視線を感じる。
曲がり角に、誰かが立っていた気がする。
でも、振り返っても何もいない。
(……いる。絶対、いる)
そう思っても、証拠も記憶も残らない。
ただ、自分だけが何かを見て、何かを忘れている。
その確信だけが残っていた。
ある日、久遠がとうまに問うた。
「……この前、声かけたのに無視しただろ」
「……え?」
「旧校舎の裏手。何回も呼んだ。こっち見てたのに、目が合って、でも──全然反応なかった」
「そんなの……覚えてない」
とうまの声は震えていた。
でも、久遠の声なんて聞いていない。
いや、それ以前に──その時間帯の記憶がほとんど抜け落ちていた。
「……なんか変だよな、最近の俺」
「いや、“最近の”って言い方が変だよ。
おまえさ……もうずっと、変だったのかもな」
久遠の声は静かだった。
その言葉が、とうまの胸にひっかかった。
──その夜。
とうまは夢を見た。
濃い霧の中。何もない空間。
遠くから、足音が近づいてくる。
ぺたん、ぺたん、と。
裸足のような、その音。
音が響くたび、胸の奥が苦しくなった。
目の前に、仮面の影が立っていた。
口元は見えない。でも──たしかに、動いていた。
声はないのに、“何か”を言おうとしている。
(ち……)
喉の奥で止まった声。
とうまは目を覚ました。
汗でぐっしょりになったシーツの上、
手のひらには赤い傷がひとつあった。
まるで何かを掴もうとして、
爪が皮膚を割ったような跡。
「……なんだよ、これ」
誰にも説明できない“証拠”だけが、とうまの手元に残っていた。