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喰ってはいけない 第4話「揺れる視界」
誰かの顔が、思い出せなかった。
いや、「誰かがいた気がする」のは確かだ。
けれど、その人の姿も、声も、記憶の輪郭さえ曖昧だった。
僕の頭の中では、何かが霞の中に隠れている。
喉元まで出かかったはずの名前が、舌先でほどけて消えていく。
「……とうま?」
久遠の声で、現実に引き戻された。
振り返ると、久遠が立っていた。
まるでずっとそこにいたように、自然に。
「おまえ、最近よく“遠く”を見るな」
不意に言われて、戸惑う。
「……そう、かな」
「うん。まるで、何かが見えてるみたいだ」
それは、僕自身も気づいていたことだった。
ふとした瞬間に視線が逸れ、視界の端に“何か”の気配を感じる。
風に揺れる白い布のようなもの。
誰かがそこに立っていたような、立っていなかったような――そんなあやふやな存在。
「……なんでもないよ」
僕はそう言って、笑ってみせた。
久遠はそれ以上何も言わなかった。
静かな時間が流れた。
けれど、そのあと――
ほんの一瞬、振り返った視界の端に、“仮面の影”が立っていた気がした。