喰ってはいけない第3話「空白の続き」
とうまは、鏡を見るのが少し怖くなっていた。
朝の洗面台。
顔を洗って、水を払う動作のなかで、ふと視線を上げた自分の顔に、どこか他人のような違和感を覚えた。
(……こんな顔、してたっけ)
目の位置も、輪郭も、いつも通りのはずなのに、妙に“空っぽ”に見えた。
中身が、どこかに落ちてしまったような感じ。
「なんか最近、元気ねえな、おまえ」
登校中、肩を並べて歩く友人が笑いながら言った。
とうまは「そうか?」と返すだけで、それ以上の言葉が出なかった。
何かを話そうとすると、言葉が舌の上で崩れる。
まるで、誰かの言葉を自分の中で“模倣”してるだけのような違和感。
教室の席に着いても、その感覚は晴れなかった。
黒板の文字は、どこかに置き忘れてきた記憶のように、頭に入ってこない。
昼休み。久遠が言った。
「なあ、昨日のこと、覚えてるか?」
「……昨日?」
「おまえ、帰り道。途中で、いなくなっただろ」
とうまは返答に詰まった。
家に帰った記憶が、どうしても曖昧だった。
いや、正確には──“何かを見た”記憶だけが、空白の中に残っている。
それが何か、思い出そうとすると、喉の奥が締めつけられるように苦しくなった。
(白……)
ワンピース。仮面。揺れていた裾。
でもそれは、本当に“見た”のだろうか?
夢の中の映像が、現実と混ざっているだけでは?
放課後、帰り道を歩く足が、ふと別の道へそれていた。
何を探しているわけでもないのに、まるで“誰か”に呼ばれるように。
誰もいないはずの公園。
ブランコが、音もなく、わずかに揺れていた。
とうまは、そこに“誰か”がいた気がして、目を凝らす。
でも、何もいない。ただ──
背後から、冷たい風のような気配だけが、肩を撫でていった。
振り返っても、誰もいなかった。
けれど、胸の奥にはたしかに──“見られていた”という感触が残っていた。