表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

短編

婚約破棄された悪役令嬢は、契約した帝国最強の暗殺者と共に甘く残酷な復讐を始めます

作者: 九葉

「アリシア・ヴァンローゼには国王を毒殺しようとした証拠がある」


エドワード・レイノルズ王子がそう言った瞬間、パーティー会場が静かになった。私の婚約を祝うはずのパーティーなのに。


赤いドレスを着た私は、体が固まってしまった。王子の冷酷な青い目が私を見ていた。


「陛下、これがアリシアの部屋から見つかった証拠です」


王子のそばにいる人が小さな箱を差し出した。中から出てきたのは見たことのない小瓶と、私の家の紋章が付いたペンだった。それは私のものではなかった。だが、魔法使いがすぐに「これは強い毒だ」と言った。


「違いまー」


私が話そうとすると、王子が「黙りなさい、悪魔の子孫」と言って止めた。


悪魔の子孫。その言葉を聞いて、会場中が凍りついたようになった。私は前の人生の記憶から、この物語を知っていた。「時の紋章を持つヴァンローゼ家の娘は悪魔の子孫と呼ばれ、殺される」—そう、これから私は破滅に向かう道を歩み始めるのだ。


「アリシア・ヴァンローゼとの婚約を今すぐ解消する。彼女との関係をすべて断ち、ヴァンローゼ家の財産の半分を王家に渡してもらう」


王子の言葉に、誰も反対しなかった。むしろ、昨日まで私に優しかった貴族たちは、今は嫌な顔で見ていた。中には笑っている人もいた。


「陛下、この者の罰はいかがいたしましょう?」


「調査の後で正式な裁判で決める。それまでヴァンローゼの家で外出禁止にする」


私の体は震えていた。この世界があの本と同じなら—私の最後は火あぶりだ。


***


「もう私の娘ではない」


家に帰ると、父がそう冷たく言った。


「家の恥になった娘はもう守れない。明日から東の離れに移りなさい。使用人もつけない」


ヴァンローゼ伯爵である父は、私の顔も見てくれなかった。たった一晩で私は「悪魔の子孫である裏切り者」になり、誰からも見捨てられたのだ。


使用人たちの目も変わっていた。怖がったり、バカにしたり、かわいそうに思ったり。だが助けてくれる人はいない。明日には多くが辞めていくだろう。


部屋に戻って扉を閉めると、やっと涙があふれた。窓の外には満月が光っていた。


「本当の悪い人は私じゃなくて、あの王子なのに」


一人でつぶやいた言葉は空しく消えた。この世界で私は悪役として作られた存在だ。前の人生の記憶から分かるのは、アリシア・ヴァンローゼという人物が王家への反逆罪で殺される運命にあるということだけだ。


「だが、そのまま受け入れるわけにはいかない」


絶望の中から、静かな決意が湧いてきた。私はアリシアという悪役のために生まれてきたのではない。前の人生の記憶を持つ私には、未来を変える可能性がある。


「時の紋章」—私の左腕の内側にある不思議な模様だ。小さい頃から隠すように言われ、その力の使い方も教えてもらわなかった。だが時々、未来の短い映像が見えることがある。それは呪いではなく、この状況を抜け出す鍵かもしれない。


引き出しの奥から、祖母からこっそり受け継いだ日記を取り出した。そこには「時の紋章」を持つ人の記録と、王家の恐ろしい秘密が書かれていた。王子が私を婚約者に選んだのは、この力を手に入れるためだったのだ。


「もう一つの方法がある」


日記の最後のページに、かすかな希望を見つけた。「危ない時には、暗闇に隠れている影を頼りなさい。彼らも王家に恨みを持っている」


暗い鏡の前で、私は決心した。明日から始まる外出禁止の前に、最後の賭けをしよう。


「氷の暗殺者」—裏社会でそう呼ばれる男を探して、契約を結ぶことにした。


***


王都の裏通りは、貴族の娘の私が決して行ってはいけない場所だった。雨風で傷んだ看板がゆれる古い酒場。「月影亭」は裏社会の情報が集まる場所として、祖母の日記に書かれていた。


シンプルな茶色の服を着て、フードで顔を隠した私は、以前使用人から聞いた噂を頼りに、暗い酒場の一番奥のテーブルへ向かった。


そこには一人の男が座っていた。氷の彫刻のような鋭い横顔。銀色の髪は肩で切りそろえられ、深い青い目は冷たく光っていた。「氷の暗殺者」ギルバート・フロスト。噂以上に美しく、そして危険な人物だった。


「何の用だ」


低くて静かな声。それは春の氷解ける水のように冷たく、同時に不思議な強さを持っていた。


私はフードを下げて、まっすぐに彼の目を見た。


「契約をお願いしたい」


私の声は驚くほど落ち着いていた。恐怖や絶望の中で、むしろ心がすっきりしていた。


「ヴァンローゼ家のお嬢様が、暗殺者に頼みごとか」彼の唇に薄い笑みが浮かんだ。「誰を殺したいんだ」


「エドワード・レイノルズ王子だ」


その名前を言った瞬間、周りの空気が凍ったように感じた。だが彼の表情は変わらなかった。


「王族の暗殺依頼は受けない。それが私のルールだ」


立ち去ろうとする彼を、私は最後の賭けの言葉で引き止めた。


「暗殺ではなく、復讐だ。彼の犯罪を明らかにして、みんなの前で罰を与えたい。そして...あなたには偽の婚約者になってほしい」


彼が振り返り、初めて興味を持ったように私を見つめた。


「貴族のお嬢様が偽の婚約?冗談か」


「冗談ではない」私は左腕の袖をまくって、小さく浮かび上がる「時の紋章」を見せた。「王子が私を狙ったのは、この紋章の力のためだ。彼は過去にも同じ血筋の人たちを実験の材料にした」


彼の目がわずかに細くなった。私は祖母の日記から知った真実をすべて話した。王家の残酷な実験、行方不明になった「時の紋章」の持ち主たち、そして王子の本当の計画—私を社会から追い出し、最終的には「王家への反逆」の罪で捕まえて、秘密の施設で力を無理やり取り出すという恐ろしい計画。


「契約条件は?」彼の声がついに柔らかくなった。


「私が持っているすべての宝物の半分と、将来取り戻す財産の一部だ。そして」私は深く息を吸い込んだ。「もしあなたが望むなら、私の力もあげる」


彼は長い沈黙の後、ゆっくりと言った。


「面白い。だが、私にも条件がある」


暗闇の中で彼の目が不思議に光った。私の運命を決める契約は、こうして始まろうとしていた。彼の手が私のあごを優しく持ち上げた時、思わず息を飲んだ。


「偽の婚約者として振る舞うなら、本当の婚約者らしく見せなければならない」彼の声は氷のように冷たいままだったが、指先は不思議と温かかった。「アリシア・ヴァンローゼ、怖がらずに私を信じることができるか?」


その瞬間、紋章がわずかに熱くなり、私の目の前にほんの一瞬、未来の映像が流れた—雪のような銀髪の男が、私を守るために剣を抜く姿。


「できる」私は声を震わせずに答えた。「あなたを信じる、ギルバート・フロスト」


彼は私の手を取り、それに唇を軽く触れた。「契約成立だ」


こうして、悪役令嬢の甘くて残酷な復讐の物語が、静かに始まったのだ。


## 第2幕:展開部


朝の光が東の離れに差し込んだとき、私はようやく現実を受け入れていた。一夜にして変わってしまった運命。だが、昨夜の酒場での契約が、私にわずかな希望をもたらしていた。


「お帰りですか、お嬢様」


扉を開けると、そこには見知らぬ使用人が何人か立っていた。皆、昨日までここにいた顔ではない。


「父上の命令で新しい使用人を連れてきました。実は…」


執事のアーサーが私に近づき、小声で続けた。


「全員、ギルバート・フロスト様の部下です。表向きは使用人ですが、お嬢様の身を守るために配置されました」


驚きで言葉を失った私の肩に、アーサーは優しく手を置いた。


「私はお嬢様が悪いことをするとは信じておりません。この屋敷にいる限り、あなたを守ります」


ほんの一日前まで当たり前だった温かさが、今は涙が出るほど有難かった。


***


「来客です、アリシア様」


それから三日後、ギルバート・フロストが正式に邸を訪れた。彼は完璧な貴族の装いで現れ、黒と銀の洗練された服装は彼の銀灰色の髪と青い瞳を引き立てていた。裏社会の暗殺者の面影はどこにもなく、まるで生粋の貴族のようだった。


「ヴァンローゼ伯爵閣下、お嬢様の婚約者として正式にご挨拶申し上げます」


彼の流暢な貴族言葉と完璧な礼儀に、父は明らかに戸惑いを隠せなかった。


「フロスト子爵、突然のことで…」


「私はエルミア王国の辺境にある領地の子爵です。アリシア嬢とは文通を通じて知り合い、彼女の聡明さに心惹かれておりました」


彼の嘘は実に滑らかで、思わず私も信じてしまいそうになった。ギルバートは私の手を取り、そっと唇を近づけた。


「許可をいただければ、アリシア嬢を妻として迎えたいと思います」


父の困惑した表情を見て、ギルバートはさらに畳みかけた。


「もちろん、彼女が今どのような立場にあるかは存じております。しかし、それでも私の気持ちは変わりません。むしろ、このような時だからこそ、私の誠意をお示ししたいと思うのです」


わずか一時間の面会で、父は完全にギルバートの虜になっていた。父は私を呼び、意外な言葉を告げた。


「アリシア、フロスト子爵との縁談を進めることを許可する。身の潔白が証明されるまでの間、彼の庇護の下で過ごすのもよいだろう」


父の目には複雑な感情が浮かんでいた。娘を守れない自分への悔しさと、突然現れた救い主への感謝か。


そして、すべてが驚くほど速く進んだ。


***


「社交界へ戻りましょう」


それから一週間後、ギルバートは私の部屋を訪れ、そう言った。彼は既に私の屋敷の一室に移り住み、「婚約者」としての役割を見事に演じていた。


「まだ早いのではないか?」


「いいえ、今が絶好のタイミングです。あなたが隠れるほど、王子の思うつぼです」


彼の冷静な分析は正しかった。隠れるだけでは状況は変わらない。


二人で出席した夜会では、予想通り冷ややかな視線が私たちを迎えた。だが、ギルバートの存在が状況を一変させた。


「あれがヴァンローゼ令嬢の新しい婚約者ですって?」

「エルミア王国の子爵だというわ」

「王子様の婚約破棄から一週間も経たないのに、次の婚約者がいるなんて…」


噂話が飛び交う中、ギルバートは私の手をしっかりと握り、堂々と振る舞った。彼が私に向ける優しい眼差しは、完璧な演技だと分かっていながらも、私の心に奇妙な温かさをもたらした。


「演じる必要はありません」私は彼に小声で言った。


「演じてはいない」彼の声は静かだった。「契約は契約だ。私はあなたの婚約者という役を完璧に演じる」


夜会の最中、ギルバートは社交界の重要人物たちと次々に会話を交わしていった。さりげない会話の中に、王子に関する情報収集を忍ばせる様子が見て取れた。


「彼は単なる暗殺者ではない」


私はその時、初めて彼の本当の凄さを理解した気がした。暗殺者としての技術だけでなく、貴族社会で生きる術も完全に身につけていた。まるで生まれながらの貴族のように。


夜会の帰り道、馬車の中で彼は私に言った。


「王子の周りには、不自然なほど多くの若い貴族女性が出入りしています。そして、その何人かが突然姿を消しています」


「消えた女性たち…」


「そうです。彼女たちには共通点があります。皆、何らかの珍しい魔法の才能を持っていたこと」


私の血が凍るような感覚があった。「時の紋章」を持つ私への王子の関心も、そういうことだったのか。


***


次の二週間、私たちは表向きは幸せな婚約者を演じながら、裏では王子の過去と計画について調査を続けた。


ギルバートの情報網は予想以上に広く、王宮の中にまで協力者がいるようだった。夜になると彼は姿を消し、朝方に戻ってくることも多くなった。


ある夜、彼が帰ってきたとき、その表情は今まで見たことがないほど険しかった。


「王家の秘密の地下室で見つけました」


彼が差し出した古い文書には、「時の紋章」の持ち主に対する実験の記録が残されていた。想像を絶する残酷な実験。心臓を掴まれるような恐怖を感じた。


「王子は当初、あなたと結婚することで『時の紋章』の力を合法的に手に入れようとしていました。だが、あなたが力を隠していることに気づき、計画を変更したのです」


ギルバートの解説を聞きながら、私は王子の真の恐ろしさを理解し始めた。


「婚約破棄による社会的抹殺は、あなたを弱らせるための第一段階。最終的には『王家への謀反』の罪で逮捕し、研究施設に幽閉し、力を強制的に引き出そうとしていたのです」


私は震える手で文書をめくった。そこには過去の「時の紋章」の持ち主たちの悲惨な末路が記されていた。


「今までにも…何人も」


「はい。あなただけではありません」


ギルバートの声には珍しく感情が混じっていた。彼の手が私の肩に置かれ、その温かさが恐怖に凍りついた私の心を少しだけ溶かした。


「怖いのか?」


「ええ、でも…」私は目を閉じた。「もう逃げることはしない」


その夜、彼は珍しく私の側を離れなかった。窓辺に座り、夜明けまで静かに私の寝息を見守っていた。


***


王子の動きが活発になったのは、その直後だった。


私たちの調査が王子の耳に入ったのか、突然の襲撃が始まった。まず、私の乗る馬車が「暴走した」と見せかけての事故。次に、贈り物に仕込まれた毒。どちらもギルバートの警戒のおかげで難を逃れた。


「彼らはあなたの命までは狙っていない。あなたの力が欲しいのだから」ギルバートは分析した。「だが、動けなくすることは厭わない」


三度目の危機は、夜中に屋敷に忍び込んだ刺客だった。


寝室で本を読んでいた私の耳に、廊下の微かな物音が届いた。その時、不思議な感覚が全身を包み込んだ。左腕の「時の紋章」がわずかに熱を持ち、次の瞬間に起こることが見えた―黒装束の男が、私の部屋に押し入る光景。


私は本能的に動いた。寝台の下に隠れ、息を殺した。戸が静かに開き、刺客が忍び込んできた。その瞬間、窓から黒い影が飛び込み、刺客の首に腕を回した。


「動くな」


ギルバートの氷のような声。無音の格闘の末、刺客は床に倒れた。


「無事か、アリシア」


彼の声には珍しく焦りが混じっていた。


「ええ…私、見えたの。彼が来るのが」


ギルバートの瞳が鋭く光った。「時の紋章」の力だ。彼は何も言わなかったが、その視線が多くを語っていた。


「これ以上、あなたを一人にするわけにはいかない」彼は決意を固めたように言った。「私の部屋を隣に移す」


次の日から、彼の部屋は私の隣になった。表向きは婚約者としての自然な行動だが、実際は私を守るための策だった。


しかし、日に日に私は疑問を抱くようになった。これはもう単なる契約だろうか?彼の優しさは演技なのか?そして私自身の心の動きは?


***


雨の夜、再び刺客が忍び込んだ。今度はさらに多くの人数だった。


「アリシア、私の後ろに」


ギルバートは短剣を抜き、冷静に状況を判断していた。六人の刺客が私たちを取り囲む。


「伯爵令嬢、おとなしく来れば傷つけはしない」一人が言った。


「どこへ連れて行くつもりだ」ギルバートが尋ねた。


「それは貴様に関係のないことだ」


一瞬の静寂の後、刺客たちが一斉に襲いかかった。ギルバートの動きは目にも止まらない速さだった。二人、三人と倒れていく。


だが、彼らの目的は戦いではなかった。一人が私に向かって何かの粉を投げつけた。うっすらと甘い香り。睡眠薬だ。


意識が遠のく中、私の「時の紋章」が再び熱を持った。突然、未来の映像が鮮明に浮かび上がる―ギルバートが重傷を負い、私が連れ去られる光景。


「後ろ!」


私の叫びにギルバートが振り返り、背後からの襲撃をかわした。


「紋章の力か」彼は一瞬で理解したようだった。


混乱の中、私は手探りで机の引き出しから祖母の形見のペンダントを取り出した。それを強く握ると、ペンダントが光を放ち、部屋中に強烈な閃光が走った。


祖母の日記に書かれていた防御の魔法。光が消えると、刺客たちは動けなくなっていた。


「驚いたな」ギルバートが言った。「秘密にしていた力があったようだ」


彼の視線に、私は居場所がなくなったような気がした。


「すべてを話さなければならないわね」


***


刺客たちを取り押さえた後、私たちは深夜の書斎で向かい合った。


「私には前世の記憶があるの」


その言葉に、ギルバートの表情が微かに変化した。


「この世界は、私が前世で読んだ小説の世界。私はその物語の『悪役令嬢』、アリシア・ヴァンローゼとして生まれ変わったの」


私は震える声で続けた。「物語では、時の紋章を持つアリシアは王子に反逆の罪で訴えられ、処刑される運命だった。だけど私は、その結末を変えたいと思った」


彼は黙って聞いていた。判断を下すでもなく、ただ静かに。


「そして、左腕の『時の紋章』。これは未来を垣間見る力を持っている。だけど、使い方も知らず、力もコントロールできない。だから隠していたの」


長い沈黙の後、ギルバートはようやく口を開いた。


「契約の条件だった、『あなたの力』とは、それか」


「ええ。でも私の力が役に立つかどうかも分からなかったから…」


「隠したことは責めない」彼の声は穏やかだった。「誰でも秘密はある」


その言葉に、私は勇気を出して尋ねた。


「あなたにも?」


月明かりの中、彼の表情がほんの少し柔らかくなった。


「そうだ。私にも話すべきことがある」


彼が語り始めたのは、想像もしなかった事実だった。


「私はエルミア王国の王族の血を引いている。正確には、先代国王の甥にあたる」


「王族…」


「十年前、エルミアでクーデターが起き、私の一族はほぼ全滅した。私は辛うじて逃げ出し、暗殺者となって生き延びてきた」


裏社会の「氷の暗殺者」が実は王族だった。彼の完璧な貴族としての振る舞いも、洗練された物腰も、今なら理解できた。


「だから王族の暗殺依頼は受けない。それは…私自身への裏切りのようなものだから」


彼の声には、めったに見せない感情が含まれていた。


「なぜ私に話してくれたの?」


「あなたが真実を明かしたから。そして…」彼はわずかに言葉を切った。「あなたを信頼し始めているからだ」


その言葉に、私の胸に温かいものが広がった。契約で結ばれた二人の間に、新たな絆が生まれ始めていることを感じた。


「これからどうする?」彼が尋ねた。


「王子の計画を暴き、私の汚名を晴らす。そして…」


「そして?」


「この物語の結末を書き換える」


彼は微笑み、私の手を取った。「手伝おう」


その夜、私たちは互いの秘密を知り、共に歩む決意をした。もはや単なる契約関係ではなかった。私たちは同じ目標に向かって進む、本物の協力者になっていた。


そして、私の心の片隅では、それ以上の感情も芽生え始めていた。


## 第3幕:クライマックスと結末


ギルバートとの秘密の共有から一ヶ月が過ぎた頃、王宮から一通の招待状が届いた。エドワード王子の戴冠前祝賀会。王子が父王から正式に王位継承者として認められる儀式の前夜に開かれる晩餐会だった。


招待状を手に、私は複雑な思いに包まれた。これは罠か、それとも運命の導きか。


「行くべきだと思う」


ギルバートの声に振り返ると、彼は窓辺に佇み、遠くを見つめていた。月明かりに照らされた横顔は、まるで古い肖像画のように美しく厳かだった。


「でも、危険すぎるわ」


「どんな場所よりも安全だとも言える」彼は静かに言った。「王族や貴族が集まる公の場で、王子も軽率な行動はできない。そして、何より—」


「最高の復讐の舞台になる」


私の言葉に、彼はわずかに微笑んだ。その笑みには、かつての冷たさはなく、どこか温かいものがあった。


「準備はできている」彼は言った。「証拠は集まった。協力者も確保した。あとは…」


「私の決意だけね」


左腕の「時の紋章」がわずかに熱を持った。この一ヶ月、私はギルバートの助けを借りて力のコントロールを練習してきた。未来の断片的なビジョンは、以前より長く、鮮明になっていた。


「アリシア」


彼が珍しく私の名を呼んだ。


「何かあったら、必ず守る」


その言葉に胸が熱くなった。もはや契約のためではなく、彼の本心からの言葉だと感じられた。


「ありがとう。でも、今度は私も戦うわ」


彼の手を取り、私は決意を告げた。「これは私たち二人の戦いだから」


***


王宮の大広間は、これ以上ないほどの華やかさで彩られていた。シャンデリアの灯りは宝石のように煌めき、豪華な衣装をまとった貴族たちが宝石のように光り輝いていた。


私とギルバートが入場すると、広間に一瞬の静寂が訪れた。かつて「王家への裏切り者」として烙印を押された私の姿に、多くの視線が集まる。


「緊張しているか?」ギルバートが小声で尋ねた。


「いいえ、不思議と落ち着いているわ」


それは本当だった。恐怖や不安よりも、静かな決意が私の心を満たしていた。この場所で全てを終わらせるという覚悟。


エドワード王子は高台の席から私たちを見下ろしていた。表面上は穏やかな笑みを浮かべていたが、その青い瞳には冷たい警戒の色が浮かんでいた。彼の隣には、新たな婚約者と噂される若い貴族の娘が座っていた。


私たちの計画は綿密に練られていた。王子の祝辞の後、晩餐が始まり、その後に貴族たちからの祝賀の挨拶。私たちの出番はその時だ。


「彼の幸せそうな顔を見ていると、吐き気がする」


私の呟きに、ギルバートは「もう少しの辛抱だ」と答えた。


時が流れるのが遅く感じられた。エドワード王子の祝辞、乾杯、そして豪華な料理の数々。すべてが終わり、祝賀の挨拶が始まったとき、ギルバートが立ち上がった。


「エルミア王国より参りましたフロスト子爵より、一言ご挨拶を」


司会役が彼を紹介した。ギルバートは高台へと歩み、完璧な礼儀作法で王族たちに挨拶した。


「この栄えある日に、貴国の未来の王様に敬意を表します」


彼の言葉は洗練され、何の疑いも持たれなかった。


「また、私からのささやかな贈り物として、ある真実をご披露させていただきたい」


その言葉に王子の表情がわずかに変わった。


「私の婚約者、アリシア・ヴァンローゼは、不当な罪を着せられました。その真実を明らかにするため、ここに証言者をお連れしました」


ギルバートの合図で、側面の扉から数人の人物が入ってきた。王子の元側近、行方不明と思われていた貴族の娘、そして王宮医師だった。


「陛下、これらの証人たちは、王子様による計画的な陰謀を証言します」


広間に衝撃が走った。私は立ち上がり、ギルバートの隣へと歩み寄った。


「私、アリシア・ヴァンローゼは、『時の紋章』の持ち主です」


左腕を露わにし、紋章を示した。「エドワード王子はこの力を手に入れるために、私と婚約し、その後に偽りの罪で婚約を破棄しました」


王子が立ち上がろうとしたが、国王が静止の手を挙げた。


一人ずつ、証人たちが語り始めた。王子の元側近は、婚約記念パーティーでの証拠の偽造を認めた。行方不明だった貴族の娘は、彼女も特殊な力を持っていたため、王子に目をつけられ、研究施設に連れ去られそうになった経験を語った。


最後に、王宮医師が進み出て、王家の秘密の研究所の存在と、そこで行われていた実験について証言した。


「証拠はこちらに」


ギルバートが国王に一束の文書を差し出した。それは研究所の記録や命令書、実験の詳細が記された文書だった。


広間は完全な沈黙に包まれた。


「これは…」国王が震える声で言った。「本当なのか」


「嘘だ!」王子が叫んだ。「全て捏造だ!」


彼の叫びに応えるように、突然広間の灯りが消えた。一瞬の暗闇と混乱。


「アリシア、危険だ!」


ギルバートの声。それと同時に、私の紋章が強い熱を持ち、未来のビジョンが走った—暗闇から飛んでくる刃。


「右!」


私の警告にギルバートがとっさに身をかわし、闇の中から飛んできた短剣をかわした。灯りが戻ると、広間は混乱に陥っていた。


「捕らえろ!彼らを捕らえろ!」


王子の叫びに応じて、彼の側近たちが武器を抜いた。しかし同時に、王の衛兵たちも動き、場は膠着状態となった。


「やめなさい、エドワード」


国王の声が響いた。「この文書が本物なら、お前こそが裏切り者だ」


「父上、彼らの言うことを信じるのですか?」王子の声は狂気じみていた。「王家の秘密を守るために、私は全てをしたのです!『時の紋章』の力があれば、私たちの王国は無敵になる!」


その言葉に、広間全体が凍りついた。王子は自らの罪を認めてしまったのだ。


「衛兵長、王子を連れて行きなさい」国王の声は重々しかった。「調査が終わるまで、城内に幽閉します」


「絶対に許さない!」


突然、王子が剣を抜き、私に向かって突進してきた。とっさに私は身を翻したが、間に合わず—


ギルバートの姿が私の前に立ちはだかり、王子の剣を受け止めた。


「お前の相手は私だ」


二人の剣が交わり、火花が散った。ギルバートの動きは流れるように美しく、一瞬で王子を圧倒した。だが、王子の背後からその側近たちが襲いかかる。


「ギルバート!」


叫びと同時に、私の左腕の紋章が輝き始めた。これまでにない強い光。時が止まったように感じた瞬間、未来のビジョンではなく、過去の記憶が私の中に流れ込んできた。祖母が残した、「時の紋章」の真の力。


言葉が自然と唇から溢れ出る。


「時よ、明らかにせよ。過去の真実を、今この場に」


広間全体に光が広がり、空中に映像が浮かび上がった。それは王子が秘密の研究所で行っていた恐ろしい実験の様子。彼自身の口から出た、私や他の犠牲者たちへの計画。その証拠は否定しようのないものだった。


光が消えると、王子は膝をついていた。彼の目には怒りと恐怖が交錯していた。


「王家の名において、エドワード・レイノルズ王子、あなたを王位継承権剥奪とし、永久幽閉を命じる」


国王の言葉に、衛兵たちが王子を取り囲んだ。


復讐は成し遂げられた。だが、それは終わりではなかった。


***


王宮の庭園で、私はギルバートと静かに並んで歩いていた。晩餐会から一週間。王子は王族としての地位を剥奪され、辺境の城塞に幽閉された。私の名誉は回復し、没収された財産も返還された。


「これで終わったの?」私は空を見上げた。


「あなたの戦いは終わった」ギルバートは静かに答えた。「だが、私の戦いはこれからだ」


「エルミア王国への帰還ね」


彼は頷いた。「失われた祖国を取り戻すために」


風が吹き、桜の花びらが舞い落ちた。美しい光景なのに、なぜか胸が痛んだ。


「では、私たちの契約も…終わり?」


その言葉を口にするのが、こんなにも辛いとは思わなかった。


ギルバートは立ち止まり、私の方を向いた。その目には、初めて会った時には決して見せなかった温かさがあった。


「契約は終わった」


その言葉に心が沈む。だが彼は続けた。


「だが、私たちの物語は終わっていない」


彼は私の手を取り、そっと唇に触れた。


「アリシア・ヴァンローゼ、私と共にエルミアへ来てほしい。私の国を取り戻す戦いに、力を貸してほしい」


「それは…命令?」


「いいえ」彼は微笑んだ。初めて見る、彼の心からの笑顔。「これは私の願い。暗殺者としてではなく、一人の男として」


もはや役割を演じるのではなく、本当の気持ちを語っている。それが分かった。


「ギルバート…」


「愛している、アリシア」


その言葉に、私の涙が溢れた。


「私も、あなたを愛してる」


桜の木の下で、私たちは互いを抱きしめた。かつての暗殺者と悪役令嬢が見つけた、真実の愛。


***


一ヶ月後、私たちはエルミア王国への旅立ちの準備を整えていた。


「本当に行くのね」父は複雑な表情で私を見た。


「ええ」私は頷いた。「ギルバートには私の力が必要なの」


父は長い沈黙の後、ため息をついた。「もう止められないことは分かっている。だが、気をつけろ。そして…幸せになれ」


その言葉に、私は思わず父を抱きしめた。


旅立ちの朝、馬車に乗り込む前に、最後に屋敷の庭を見回した。かつて「悪役令嬢」として定められた運命から解放された今、新たな道が私の前に広がっていた。


馬車の中、ギルバートが私の手を握った。


「怖くないのか?」


「ええ、不思議と」私は微笑んだ。「あなたといる限り、どんな未来も恐れないわ」


左腕の「時の紋章」がわずかに光を放った。もはや呪いではなく、祝福のように感じられた。未来を垣間見る力は、今や希望の光となっていた。


「見えるわ」私はギルバートに告げた。「私たちの未来が」


「どんな未来だ?」


「それは…」私は微笑んだ。「これから二人で作っていくものよ」


馬車は朝日に照らされた道を進み、新たな冒険へと私たちを運んでいった。かつての悪役令嬢とかつての暗殺者が、自らの手で運命を書き換えた物語は、まだ始まったばかり。


そして「時の紋章」は、二人の未来を優しく照らし続けるのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ