めまいよ めまい
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
こーちゃんは、身体のこりなどはここのところ平気かい?
最近は、仕事でもパソコンとにらめっこして、同じような姿勢でいることが多くなったためか、これらの辛さを訴える人の数は増え続けているようなのさ。
そうなると、凝りを解消するために身体を動かしたり、刺激をくわえたりするだろう。
体操をしてみたり、マッサージを試してみたり、なんとかパフォーマンスを維持したい。なにより自分が心地よくならないことにはね。
しかし、体操の中でも少し気をつけないといけないことがある。
首を回すときのことだ。昔から体操の一環の流れに組み込まれがちな動きだが、人によってはこいつがやっかいな事態に巻き込まれている可能性を見出すこともあるようなんだ。
私の以前の話なんだけど、聞いてみないかい?
この流れでなんだけど、私は体操というか身体を動かすのが、なんとも苦手だった。
運動神経そのものは悪くない。ふとした拍子にやってくるめまいが、個人的に嫌だったのさ。
なにも、もろに衝撃を受けたときばかりじゃない。
座り姿勢から、立ち上がったときのくらみに始まり、走っている途中、ジャンプして着地する瞬間、そして体操で首を回す際。
いずれのタイミングでも、しばしば世界の上下が分からなくなった。それにつられるまま足ももつれ、ひどいときにはその場に膝を折ってしまう。
わずかな時間で回復するとはいえ、はた目には緊急事態だろうな。私はしばしば保健室へ運ばれたよ。
保健の先生ともすっかり顔なじみになって、横になるよう言われるが、先も話したように回復は早い。ものの数分で平常と変わりない状態になれる。
前々からこの調子なものだから、何度か病院にいったことはあるものの、そのたびに特に異状は見られないということだった。
聞いた中で有力なのが、耳の中の耳石が身体の揺れとともにはがれ、三半規管に落ち込み、リンパ液が妙な動きをしてしまうため、とのことだったが、正直なところ私にはよく分からない。
そしてここのところ、このめまいの頻度は多くなっているような気がしてね。
冬のさなかだったし、血管系の問題があるんじゃないかと自分なりに考えだしていたんだ。
その日も、見慣れた保健室のベッドに腰かけていると、不意に保健の先生が顔を見せる。
私の症状について、少し前から医療関係者以外にも先生の伝手で知り合いにいろいろ尋ねてみたところ、似たような経験をした人がいたらしい。
その聞いた話をひとつ、試してみないかとのことだったんだ。
何とも、童話めいた話だが、と先生は前置いて語ってくれる。
もし科学的に説明のつかないめまいに襲われたとき、それはその人の耳、ひいては頭の中で妖精たちが遊び場を求めていることがあるのだとか。
悠久の時を持つ彼らにとって、人の限りある命の長さはひとときの余興に過ぎない。たとえその生涯を使い果たしたとしても、遊ぶ時間の長さとしてたいした問題ではないのだそうだ。
ゆえに、彼らの遊具あつかいをよしとしないならば、追い出してやる必要がある。
遊具として自分が役に立たないほど、危うい状態であるのだと彼らに誤認させて出ていってもらうのだと。
やり方はそこまで複雑じゃないとのこと。
先生は洗面器を私の足下へ置いた上で、まずは首を回してほしいという。
幾度もめまいを経験している身。抵抗がないといえばウソになるが、これで不快から解放されるかもと思うと、期待が上回った。
首をゆっくり、時計回りに回していく。3回目に達したところで、つい横になってしまいたくなるほどのめまいを覚える。
だが、先生はそこをどうにか耐えて欲しいとの指示。くわえて、どちら向きに視界が回ろうとしているか尋ねてきた。
そりゃ、首を回した時計回り……じゃなかった。
私のめまいは反時計回りに来ていたんだ。放っておけば、自然と目線のみがその向きへの回転を望み出してしまう。
それどころか、上下にのけぞりやうなずきを促すかのような、不規則な動きまで混ざってくる。こいつは一体……。
先生にそのことを告げると、ビンゴだという。
近くの棚の中から、先生がピンセットをひとつ手に持ってくる。そのU字に曲がる金属部分を額に押し当て、私に手でしっかり握るようにいう。
二つの先端が虚空へ伸び、その真下に洗面器を配置したうえで新たな指示が飛んだ。
身体が動こうとする方向、それらのことごとく反対へ意識して動かしなさいとね。
結果が出るまで続けろというお達しに、私は従う。
何もしない状態でさえしんどいのに、あえて逆らえというのだから、苦しさは二倍。いや二乗にもなっていたんじゃないか。
のども鼻も奥の方がつんとなって、涙がにじんでくるのを感じた。けれども私の鼻や口は、想像しているものを吐き出してはくれなかったんだ。
代わりに出してくれるのが、あのピンセットの先。
つんと顔の前方へ伸びる一対の先端から、ぽたりぽたりと汗を思わせるしずくが垂れていく。先生はそれが垂れる洗面器を興味深げな顔で見ていたが、当の私は絶え間ないめまいの欲求に、あべこべに答えていくので精一杯だ。
チャイムが鳴るまで続いたから、ざっと20分は行っていたと思う。
ふと私の中のめまいが落ち着いたんだ。先生に目配せしたうえで、ピンセットを外すと、どっと疲れが襲ってきて、ベッドに寝転んでしまう。
数分後、いくらか回復して身体を起こすと先生が洗面器の中身を見せてくれる。
白をベースに、ところどころ風邪気味の鼻水が見せる黄色をまぶしたような液体が、底に薄い膜を張っている。
見間違いでなければ、その膜の下を細いミミズのような影が、何本か這っているのも見えたのだが……。
それ以来、私が首まわしによって、一緒に目を回すことはなくなったんだ。
先生の言の通りなら、あのとき、ようやく私は遊具から独立した人になれたといえよう。