来訪者
七星市は東京都心から快速列車で15分のところに位置するのどかな丘陵地帯だ。その中心部に位置する七星駅から車やバスで約20分、標高235mほどの山の中腹に巨大な施設がある。
聖シダス騎士学院。
中高一貫教育を行う一方で、13月の脅威から国土を防衛する騎士や戦闘に関わる専門職を育成するために設立された養成校である。
「ふうん、ここが『神徒の座』大和国支部か。もっと和風建築物を想像してたんだけど」
白い制帽のつばを少し押し上げ、青年は目の前の巨大な鉄門を仰いだ。
沈黙を守るようにぴたりと閉じられた門扉には、七芒星の意匠――青年が纏うスタンド・カラーの白いナポレオンコートの金ボタンの装飾と同じものが掲げられている。今や世界中に支部を置く祓魔騎士組織『神徒の座』の紋章だ。
高くそびえたつ堅牢な外壁に守られた敷地内には、噴水や幾何学模様のトピアリーや花壇が美しい風光明媚な前庭が広がっているのが見える。その向こうには、コの字型のバロック様式の西洋宮殿風の建物。他にも、室内競技場や大聖堂や図書館、学生寮のあるエリアにはレストランやカフェテリア、様々な商業施設なども備えていると聞く。まるで小さな街のようである。
「対13月の訓練校も兼ねてるんでしょう? ほんと、フランスの貴方の実家のお城みたいですわね。もうずいぶん帰ってないから懐かしいんじゃなくて?」
背後に停まる黒塗りのSUVから、同じ白いコートにベレー帽姿の美少女が長い脚を石畳に降ろす。少女に「まあね」と返し、青年は優美なサファイア色の双眸を細めた。
少し癖のある艶やかな金色の髪に、甘く整った魅力的な顔立ち。均整のとれた長身がみせる佇まいには気品があり、彼が高貴な生まれであることを物語っている。
だがその完璧な容姿の中で最も美しい青い瞳だけは、少年のように無邪気に輝いていた。
「フランス式の庭園だけど、並木がサクラというのも素敵な演出だね。何度かお目にかかったことはあるが、本当になんて美しい花だろう」
門から建物までの長い石畳のアプローチは桜のアーケードになっている。白い花びらが舞い散る光景は、見る者の心を惹きつける繊細で静謐な美しさがある。
「ヤマトの被禍の歴史は他国に比べて浅いけれど、13月の汚染でこの島国も国土の腐敗化が進行していると聞いた。でもまだこのような自然の美が息づいていることには希望を感じるね」
「ヤマト人はこの花が狂ったように好きなんだろ? 咲くとこぞってあの木の下で乱痴気騒ぎをするとか。……さてはお前、そのためにこの時期を狙ったな」
青年の背後――SUVに凭れていた、白銀の髪に褐色の肌の青年が呆れたように息をつく。
二人の礼装と違い、サングラスに黒のフィールドジャケットとカーゴパンツといういでたちは、まるで戦場へ赴く傭兵のようだ。
「あ、お花見パーティだね! いいね、ぜひみんなでやろう。運がいいことにちょうど花も見頃だし。そうそう、花見には魔を祓うという意味もあるそうだよ、ラクリマ」
「しらじらしい。お前の魂胆は丸見えだ」
「パーティの相談は後にして下さる? 気を引き締めてちょうだい、仮にも貴方は『神徒の座』最強騎士といわれる第一天使ミカエルの聖痕者、なんですから。今回の真の目的はちゃんと覚えていらっしゃるわよね? ルトヴィック・サフィラス・ミシェーレ」
ロングブーツのヒールをカツンと鳴らし、少女が青年――ルトヴィックの左隣に立った。柔らかなウェーブを描くピンクブロンドの髪が夕映えの風に揺れる。
「舞踏剣術の親善試合は表向き。本来の任務は大和支部の偵察と」
「わかってるよ、ロザリー。魔者組織『オルキヌス・オルカ』のナンバー2に関する情報収集。でもなんでコソコソやる必要が? ヤマトに潜伏してるなら支部の人間の手を借りれば早い。同じ組織なのにまるでスパイするみたいで、なんか嫌だなぁ」
「信用に値すると判断すれば、もちろん協力要請するつもりですわ。でも大和支部は閉鎖的で謎が多いから。ボスは円卓会議にも滅多に姿を現さないミステリアスな人物だし。まずは動向を探ってからね」
「大和支部司令の名前はたしか、アキト・アヤナギだっけ。彼は第五天使ラジエルの聖痕者だろう? キレ者だと噂だけど、ふうん、会うのが楽しみだな」
「油断するなよ。アヤナギ家は日本古来より伝わる秘術の使い手だとも聞く。お前はそうでなくとも問題児なんだ、ルトヴィック」
白銀の髪の青年――ラクリマが右隣に立つ。ロザリーがクスリと同調の笑みをもらした。
「そうそう。ただでさえ誓約者を決めない貴方を、本部は快く思っていないのだから。せめて舞踏剣術で無様に負けて醜態をさらすのだけは勘弁してちょうだいね」
「手厳しいねぇ、二人とも。でも仕方ないだろう、決めないではなく『見つからない』んだから。同じ祓魔騎士の君ならわかるだろう、ロザリー」
気の置けない仲間の苦言に挟まれながら、ルトヴィックは肩をすくめてみせる。
「そうね。でも、冥魔を完全に倒すには誓約者が必要だということも貴方は理解しているでしょう? 13月を終わらせるために、私たちは真の武器を手に入れる必要がある」
「武器って、洗礼者も僕らと同じ人間だよ。道具のようには考えたくないな」
「わかっているわ」ワイン色の瞳の端でチラリとラクリマを捉えた後、ロザリーは続ける。
「でも、私たちが課せられた使命を果たすには不可欠な存在ですのよ。特に特別な存在である貴方には。――まあ、もしかしたらこのヤマトでその『運命の相手』と出会えるかもしれないし。有意義な十日間になるといいですわね」
「運命……か。どうして神は戦う力を二つに分けたんだろうね」
戦う力を祓魔騎士に、その武器となる力を洗礼者に。
二人で一人。それは遥か昔、地上に最初の人類が誕生した時から続く、番の掟のよう。
――でも、きっと。
花弁の舞う夕風の中で、胸元にあてた右手をルトヴィックはそっと、握る。
一目見ればすぐにわかるだろう。誰が、自分の運命であるか。
魂と魂が呼び合うその瞬間を、心が、体が、ずっと待ち望んでいる。
「さあ、行こうか。やることが山積みだ」
その言葉に応えるように、七芒星が二つに分かれ、巨大な門扉が開いた。
色づき始めた異国の高い空に、澄んだ鐘の音が響く。
花の雨が降り注ぐアプローチを、三人はそれぞれに踏み出した。