転生先は乙女ゲームによく似た世界だと思っていました ~ゲームの世界と現実が違うのは常識でしょう~
「彼女との婚約を、ここに宣言する」
その一言で、わたしは回避したはずの未来が訪れたことを悟った。
デュプレソワール公爵家長女。イザベル・マリレーヌ・デュプレソワール。
この世界に生まれて十八年。長ったらしい上に覚えづらいこの名前にも、もう慣れた。
慣れる、といういい方は少しおかしいかもしれない。だって自分の名前に慣れるも何もないのだから。
でも、わたしにとってはそのいい方がぴったりだ。
わたしは転生者だから。
前世でどう死んだのかは知らない。たぶん、平凡な死に方をしたんだと思う。
ただ、この世界の設定についてはよく覚えていた。
『君と僕だけの世界』は、学園ものでは割とよくある設定の乙女ゲームだった。
攻略キャラは六人で、舞台は上級貴族だけが通える魔法学園。
ヒロインは男爵家の末っ子だけど、王国唯一の光魔法の使い手ということで特別に魔法学園への入学が認められるところから話が始まる。
設定から察せる通り、上級貴族ばかりが通う学園の中でヒロインは最初のうち、とても苦労する。
けれど、いつもまっすぐに前を向いてひたむきに魔法の上達に励む彼女に惹かれた攻略対象と接するうちに周囲ともうまく打ち解けられるようになり、最終的には幸せを手に入れる。
それがこのゲーム全体の大まかなあらすじだ。
乙女ゲームというより少女漫画な感は強いけど、まあごく普通のシンデレラストーリーだった。
そんな平凡なストーリーを、わたしはキャラの台詞一つ一つからエンディングのナレーションまではっきりと覚えていた。
数えきれないくらい何度もやり直したから。
このゲームでは、攻略のためにミニゲームをクリアしてパラメータを上げなければいけない。
ネットの評判を見ると難易度はそこまで高くないようだったけど、普段あまりゲームをしないわたしにとってはかなり難しかった。
だけど、わたしはこのゲームを何度もプレイした。
このゲームに登場する攻略対象の一人である、第一王子ミシェルが好きだったから。
ミシェルのルートでは、ヒロインは稀有な魔法適性から彼の婚約者候補に選ばれ、同じく婚約者候補であるイザベルとパラメータを争うことになる。
そして、三年後の卒業式までにイザベルよりもパラメータを高くして、ミシェルの好感度が一定以上あれば晴れて婚約者に選ばれる。
このストーリーを見てもわかる通り、ミシェルの攻略はともかく難しかった。
氷の貴公子と呼ばれるミシェルの好感度を上げる選択肢が初見ではわかりづらい上に、婚約者候補からの妨害があったからだ。
イザベルはミシェルルート専用の妨害キャラで、その出現はイベント以外ではランダムだ。
運悪く遭遇してしまうと強制的にミニゲーム勝負に突入し、負けた側のパラメータが大きく下がる。
ヒロインのパラメータ上げすら苦戦していたわたしにとって、イザベルの存在は鬼門だった。
イザベルのパラメータを下げられるのは嬉しいけれど、彼女は結構強かったから。
それでもどうにかミシェルを攻略できたのは、彼への愛とセーブ&ロードのおかげだ。
イザベルが出現するたびにロードを行い、ミニゲームは直前でセーブしてなんどもやり直した。
ミシェルの攻略に要求されるパラメータは非常に高く、ミニゲームを一度でも失敗するとハッピーエンドを迎えられなかったから。
好感度は足りているのにパラメータが足りない時の「すまない。君を愛しているが、王太子妃には出来ない」という台詞は、わたしのトラウマだ。
あれ、何回聞いただろう。
あのセリフを聞くたびにゲームをはじめからやり直したのは、今となってはいい思い出だ。
チュートリアルがスキップできる仕様で本当によかった。長い説明を何度も聞くとか苦行すぎる。
三周もした頃には「こんにちは! これから、この世界を楽しむためのコツを教えちゃうよ」という主人公の使い魔の声を聞いた瞬間、無意識のうちにスキップボタンを連打していたほどだ。
だから正直、イザベルに転生したとわかったときにはどうしようかと思った。
イザベルの最後は地味だ。
ヒロインが無事に攻略条件を満たすと卒業記念のダンスパーティーでミシェルとの婚約が発表されるのだけど、イザベルはエピローグで「彼女は修道院で静かに暮らしている」と語られるだけ。
それ以降のことは設定資料集にすら書かれていなかった。
そりゃあ、ヒロインが婚約者に選ばれた以上、イザベルが選ばれなかったことは明白だ。
甘い恋愛を楽しむための乙女ゲームでは、ライバルキャラのイザベルについてはさらっと流すくらいがちょうどいいのだと思う。
実際、プレイヤーだった頃のわたしもイザベルの最後を知っても「ふーん」としか思わなかった。
でも、当事者の立場になってみるとたまったものじゃない。
せっかく転生できたというのに、これはあんまりだ。
だけど、ミシェルの婚約者候補から降りるという選択肢はなかった。
わたしはミシェルが好きだ。転生前でも、転生した今でも。
たとえヒロイン相手でも譲りたくはなかった。
さいわい、ゲームでもミシェルとイザベルが婚約するルートは存在する。
ヒロインのパラメータがイザベルよりも低いとそのエンドになるのだ。
当時のわたしはそのエンドが大嫌いだったけど、今はその存在に感謝している。
イザベルのパラメータはヒロインの初期パラメータより高い。
ヒロインよりも圧倒的に有利なのだから、早くからパラメータを上げていれば負けることはない。
もちろん、ここは乙女ゲームではなく現実世界だと分かっている。
ミニゲームなんてないから地道に努力するしかないけれど、ミシェルのためなら苦ではなかった。
記憶を取り戻した六歳の頃から先生をつけてもらって、勉強も魔法も容姿もとにかく磨いた。
もちろん、ミシェルの好感度を上げることも怠らなかった。
ヒロインに心惹かれるようになったきっかけ、ヒロインにしか明かさない過去、彼がかかえる悩み。
彼のルートは全て覚えていたから、わたしはそれらをひとつひとつ解きほぐしていった。
おかげで、学園入学前にして王子のわたしへの好感度はかなり高いものになったと思う。
ヒロインと良好な関係を作る事は出来なかったけど、関わりはなるべく避けた。
同じ婚約者候補として最低限の関わりはしたけれど、ゲームのように自分から高飛車に話しかけたり、ミニゲーム勝負を仕掛けたりはしていない。
いや、そもそもこの世界にミニゲームなんてないから、仕掛けようがないのだけど。
……そう。ヒロインはミシェルのルートに入っていた。
もし彼女がほかのルートに入ってくれていたら、わたしと彼の婚約は決まったも同然だったのに。
ざわめく胸を押さえて、わたしは何度も自分に言い聞かせた。
大丈夫。ここはゲームの世界ではなく現実世界。わたしの努力はみんなが認めてくれている。
ヒロインは特別努力しているようには見えないから、婚約者にはわたしが選ばれるに決まっている。
それなのに。
卒業記念のダンスパーティーでミシェルの隣にいるのはヒロインだった。
周囲にはミシェルに忠誠を誓った攻略対象たち。
ゲームのスチルで見た、ミシェルのエンディングそのままだ。
「ミシェル殿下……」
思わず歩み寄って話しかけると、ミシェルがはっとした様子でわたしを見つめた。
その青い瞳には申し訳なさと憐憫の色がありありと浮かんでいる。
どうしてそんな目をするのだろう。だって、これではまるで……。
「……ああ、デュプレソワール公爵令嬢か」
「そのような呼び方……」
婚約者候補でも、婚約者でもない女性を名前で呼ぶのは礼儀に反した行いだ。
わかってはいたけれど、言わずにはいられなかった。
こらえていた疑問が零れ落ちる。
「……どうして、わたしは選ばれなかったのですか。わたしは……」
「すまない。君を愛しているが、王太子妃には出来ない」
それは、わたしが何回も聞いた台詞だった。
でも、そんなはずはない。だって、わたしのほうがヒロインよりも成績はよかったはずだ。
マナーの授業でも、いつも先生方に褒めて頂いていた。
日頃の努力に加えて特別授業にも参加していたわたしが、放課後はいつも真っ直ぐに寮に帰っていた彼女に劣るなんてありえない。
「そんな……わたしのどこが、ふさわしくないというのですか!?」
わたしの問いかけを聞いて、彼は深く溜息を吐いた。
「君は、教養や学問のパラメータが足りないんだ」
「……え?」
パラメータ?
ゲームでは何度も聞いた、けれどこの世界では聞くはずのない言葉に耳を疑った。
「一方の婚約者候補よりもパラメータが優れていること。それが僕とエンディングを迎える条件だ。
あとは好感度によってハッピーエンドかノーマルエンドかの違いはあるけれど、ともかく条件を満たしていない君とエンディングを迎えるわけにはいかないんだ」
訳がわからない。
でも、ミシェルはとても真面目な様子だった。周りの攻略対象たちも。そしてヒロインも。
分からないのは、わたしだけ?
混乱していたけれど、このままでは本当に婚約の機会が無くなってしまう。
わたしは慌てて、立ち去ろうとする王子に取り縋った。
「お、お待ち下さい、ミシェル殿下! パラメータとはなんですの?
わたしは学園での成績も、マナーも、常にトップでありつづけました。その努力は認めて頂けないのですか?
それに……それに、殿下とエンディングを迎える条件とやらを満たせていなくとも、これまでわたしがミシェル殿下と共に過ごして来た時間は……」
涙で言葉が詰まってしまって、そこから先は言えなかった。
彼が微かにため息を吐き、わたしに向き直った気配がして顔を上げる。
「僕が第一王子でなかったら、君の努力は認められただろう。
だが、僕は攻略対象なんだ。パラメータが高い方と結ばれるよう作られている。
それでも僕は、今度こそ君が婚約者になるかもしれないと期待していたんだ。
だが、この三年間君のパラメータには変化一つなかった。
残念だよ、イザベル。僕とのイベントは着実にこなせていたのに」
ミシェルは心底残念そうな様子でわたしをみつめた。
その目には、わたしへの嫌悪は籠もっていない。ただ、哀れみと同情があるだけだった。
「そんな、パラメータだなんて……そんなもの、どうやって上げれば……」
「自分の部屋でメニューを開いて、ミニゲームをすればいい。
チュートリアルで説明されたはずだが……まさか、知らなかったのか?」
それは聞きなれた説明だった。
『君と僕だけの世界』のチュートリアルで必ず出る説明文。
だけど、こんなのはおかしい。だって、ここはゲームによく似た現実の世界のはず。
どうしてパラメータやチュートリアルなんて言葉が出るの?
どうしてミシェルは自分のことを「攻略対象」だなんて言うの?
どうして……まるでここがゲームの世界みたいに言うの?
思わず呟くと、ミシェルはとても驚いたようだった。
「なにを言っているんだ? イザベル。
ここは『君と僕だけの世界』。乙女ゲームの世界で生きる僕たちが、パラメータやチュートリアルを知っているのは当然だろう?
しかし、まさかいつも彼女と切磋琢磨してパラメータを上げていた君がチュートリアルを理解していないとは思わなかったよ。
僕たちはエンディングを迎えるまで、ルートにない行動をとるわけにはいかない。
君はまだ自由に動けるから、今回は少し息抜きをしているのだとばかり思っていたのだが……。
だが、どんな理由にせよ必要条件を期間内に満たせなかった以上、エンディングは変えられない。
次に期待しているよ、イザベル」
次?
ミシェルの言っている意味が分からなくて聞き返した瞬間、意識が途切れた。
「こんにちは! これから、この世界を楽しむためのコツを教えちゃうよ」
高くてかわいらしい、いかにもマスコットキャラといった感じの声が言った。
それを聞いた瞬間、わたしは無意識のうちに「スキップ」と呟く。
すると声は聞こえなくなり、わたしの意識は次第と覚醒していった。
「……あれ? ここは……」
いつも使っている薄っぺらい布団とは違うふかふかな感触に驚いて飛び起きる。
見覚えのない豪華な室内に大きなベッド。思わず見下ろした自分の身体の小ささに「もしかして」と思って、近くの姿見を覗き込んだ。
「わたし……イザベルになってる。
ってことはもしかして、ここって『君と僕だけの世界』の中?!」
乙女ゲームの世界に転生、なんて小説の中だけのことだと思っていたのに。
あわてて頬をつねってみたけど、きっちり痛かったからきっとここは現実だ。
冷静になってみれば、わたしが「記憶を取り戻す」前の出来事もちゃんと記憶に残っている。
「そっか……わたし、ミシェルの婚約者候補になったんだ」
ヒロインではなく妨害キャラであるイザベルに転生してしまったことはちょっとショックだったけど、ミシェルの婚約者候補になれたことは純粋に嬉しかった。
たとえイザベルでも、ミシェルと結婚できるチャンスはあるから。
たしか、イザベルの初期パラメータはかなり高かったはずだ。
今からたくさん努力してパラメータを上げておけば、ヒロインがミシェルルートに入ったとしてもミシェルの婚約者になれるはず。
もちろん、ここは乙女ゲームではなく現実世界だと分かっている。
ミニゲームなんてないから地道に努力するしかないけれど、ミシェルのためなら苦ではない。
だって、前世でもミシェルを攻略するために何度もやり直したんだから。
鏡の前で気合を入れて、わたしは今度こそミシェルと結婚することを決意した。