09 リーリエと誕生日
かくして、私は十五歳の誕生日を迎えた。
ええ、人生2周目にしてようやく十五歳になりましたとも! おめでとう、おめでとう私!
屋敷ではお祝いの席が設けられ、ご来客の皆さんが始終和やかな雰囲気で歓談していった。
――と、言いたいところだけれど、そういうわけにはいかなかった。
一夜明けて、村はパニックに陥っていた。
まず、集会場が燃え落ちている。
そして、不審な甲冑兵が岩にめり込んでいる。
あと、庭先に出しっぱなしだったレノおじさんちのクワが謎の神々しい金属に変化していたのだけれど、それはさておき。
村は見事に大騒ぎ。私の誕生日どころでは、なくなってしまいましたとさ。
まあ、そもそも私も昼まで寝込んじゃってたから、仕方がなかったんだけどね!
すっさまじい疲労にくわえて、もう体中が痛いのなんのって。ピーク時には息するだけでも痛かったんだから、寝返りなんて打とうものなら爆裂四散しちゃうかと思ったわよ!
「……はぁあぁあ~!」
そんなこんなで昼下がり、私は自室から窓の外を眺めていた。
五月の明るい陽を受けて、野百合の谷は今日も平和そのものだ。
「ねぇ、でっかいため息つかないでくれる? ケーキがまずくなる」
「はいー? 誰のおかげで食べてるケーキですかー?」
「まあまあ。リリちゃん、お口の横にクリームがついてますよぉ」
小動物みたいな仕草で、マリアが私の口元をちょいちょいと拭いてくれる。
私たちは三人だけで、ささやかなバースデーケーキを囲んでいた。昨夜の死闘が嘘みたいな、いつも通りのなごやかな午後だ。
ああ、ちなみに「村の危機を救いました」、なんて誰にも言ってないわ。褒められるどころか、逆にお小言食らっちゃいそうだもの!
まあ1周目は私のせいで燃えたようなものだったし、これでようやく借りは返せたってもんでしょ。
私はぐびっと紅茶を飲みほした。
「だけど、不思議でしたねぇ」
フォークを置いて、マリアがしみじみと呟く。
「昨夜にかぎって、村中の人が、みんなぐっすり眠っていたなんて」
「いやいや、そういう魔術でしょ」
お皿のケーキを器用にイチゴの周りだけ残しながら、フレイは得意げに解説する。
「だけど術がイマイチだったから、僕には掛からなかったみたいだね。マリアにも何かしら耐性があるんじゃない? 象徴紋記述式の魔術にも適性があるみたいだし」
「なんか、いちいち腹立つ言い方するわよね」
私たちにも分かるように話してくれないかしら。
「リリちゃん、たぶん本音と建前が逆になってますよ」
「うん。リーリエには難しい話だったよね。まあ君は肉体が精神を凌駕してるから魔術が無効だったんでしょ。知らんけど」
そう雑に話を締めくくって、フレイは最後に残ったイチゴを口に入れた。
腹立つわ~、横取りして食ってやればよかった!
まあ、こいつドヤ顔で語ってますけど、図書館の魔術書借りパク野郎ですからね!
昨夜あなたが持ってたもの、きっとあの怪しい書庫から持ってきたんでしょ?
私はしっかり見てましたからね!
そんなことを思っていると、部屋の扉がノックされ、メイドさんが顔を覗かせた。
「失礼します。フラジオレット様、お時間です」
「ほらお時間ですってよ。帰れ帰れ」
「何言ってんの? 帰るけどさ」
そうそう、話は前後するけれど、あの黒甲冑の処遇について。
ヤツは厳重に拘束され、とりあえず王都に送られることに決まったのだけど、その警固責任者はローゼンフェルト辺境伯……つまりフレイのお父さんだ。
なんだか貧乏クジを引かせたようで気の毒だけど、とにかく、その護送部隊が今から村を発つらしい。
「じゃあ、僕は父さんの見送りに行くよ。野次馬とも言うけど」
「そうですね。ではわたしたちも、お片付けしましょうか」
「あ、――ちょっと待って!」
席を立ったフレイとマリアを、私はあわてて呼びとめる。
「何さ」
「なぁに?」
ふたりの視線が集中する。
うっ、ちょっと気恥ずかしい。
だけど、ちゃんと言わなくちゃ。深呼吸をひとつして、私は噛みしめるように言葉を紡いでいく。
「ふたりとも、昨日は助けてくれてありがとうね。あなたたちが来てくれなかったら、その、やっぱりすごーく大変だったわ。
……それに、私も一緒に幸せでいてほしいって、そんなふうに言ってくれて、本当にありがとう」
ほんの少しの沈黙の後、返ってきたのは、あたりまえの笑顔だった。
「そんなの、とうぜんです!」
「まあね、当然じゃない?」
「ふ、ふふ、ふふふふふ!」
こみ上げてくる気持ちが抑えきれなくて、私は笑いだしてしまった。
叫びたいほどうれしくて、めまいがするほど眩しくて、少しだけ切ないような気持ち。
「リリちゃん、どうしました?」
「ねえ何? 気持ち悪いんだけど……わっ!」
「私、幸せだなあって思ったの‼」
私はマリアとフレイをまとめて、がしっと両腕に抱え込んだ。
「うふふふ、くすぐったいです!」
「ちょっとちょっと! 放してよ」
「やーだー! 放してあげないから‼」
ああ、私はこんなに幸せで、私たちは、生きているんだわ!
◇
まだ薄暗い夜明けの丘で、私は風を受けていた。
「ねえバカなの? こんな時間に呼び出して」
目をこすりながらやって来たフレイは、開口一番に不満を述べた。
「おはよう、フレイ」
「そっかバカだったね。まだ『おやすみ』だよこれは」
「私、村を出るわ」
そう告げると、フレイはあくびの途中でピタリと固まった。
いいリアクションだわ。私はその反応に、なんとなく満足する。
「……なにそれ」
長い沈黙のあと、フレイはため息と一緒にそう吐き出すと、苦い顔で一言だけ尋ねた。
「説明して」
私はきのう、十五歳の誕生日を迎えた。
ひとまずの目標は達成。――だけど、ここからの人生は知らないわ。
だから考えたの。過去の埋め合わせの存在じゃなく、この「私」はどう生きていきたいのか、って。
幸せな人生を送りたいわ。
その「幸せ」にはマリアとフレイも、それに、この野百合の谷も含まれる。
それは変わらないわ。変わらずに欲張っていたい。
その思いをまとめると、言葉は月並みだった。
「私、世界を知りたいの」
「どうして?」
「もっと強くなりたいから」
「……世界の珍獣でも狩るつもり?」
「いいえ、最強の領主になるわ。野百合の谷の守護者になるの。だから私は、もっといろんなことを知って、もっともっと強くならなきゃならない。――だから少しの間、村を出ようと思うの」
そう言いきって、私は呼吸をととのえた。
鼓動が高鳴り、頬が熱い。取り返しのつかないことを告げた、そんな手ごたえがあった。
「それ、本気なの?」
「本気よ」
「本当に?」
「本当よ」
渋い顔をしていたフレイは、そこで諦めたように視線を落とした。
「……じゃあ、しかたないね」
(――これで、良かったのよ)
私もまた、俯いてひそかに息をついた。
フレイは有能な子だ。頭もいい。私が村を離れても、彼ならば充分にマリアと村を守れるわ。
だから私は、旅立つことができるんだもの。
帰ってきたら、この村の平和をもっと確かなものにするわ。それまで、しばらくのお別れよ。
けれどいざフレイの返答を得ると、なにか胸に穴が空いたようだった。
胸の奥が寒々として、そこから大事なものがこぼれ落ちていくような。
きっと、私、引き留めてほしかったんだわ。われながら女々しいことね――。
「僕も行く」
手の甲に体温が触れた。
ハッとして顔を上げると、フレイが一歩踏み込んで、私の手を取っている。
「へ? ――え?」
「だから、僕も村を出る。君みたいな考えなしを、一人で野に放てるか」
「あ、あっと、えっと……」
私がまじまじと見つめ返すと、フレイは小ばかにしたような笑みを浮かべてみせた。いつも通りの、素直じゃない顔。
「なんならマリアも連れてけばいいだろ。彼女にも世界を見せてやればいい。――狩ってやろうじゃん、珍獣」
言葉が、出てこなかった。かわりに、よく分からない笑いがじんわり込み上げてきて、ついに声をあげて私は笑った。
「フレイ、あなた天才ね! だけどバカよ! ――そんなこと、考えもしなかったわ」
「でしょ?」
「そうね。……二人がいてくれたら、嬉しいわ」
笑いすぎて、涙も出てしまった。
これからもずっと、三人で一緒にいられたら。それが正解なのかは分からないけれど、私は嬉しい。
「だけど、村は大丈夫かしら?」
「自警団があるよ。頼りないと思うなら、今日から君が直々に鍛えてやりなよ」
「そうね、今日からみっちり指導するなら、まあ」
私は深呼吸をして、早朝の空気を吸い込んだ。
私の世界の全てだった、この理想郷の風を。
「ありがとう、フレイ。……だけど、あとで後悔しても知らないわよ?」
私は拳を軽く握って、フレイのほうへと突き出す。
「こっちのセリフ」
口の端でニヤリと笑って、フレイも拳をグーにする。
こつんと軽くぶつけ合ったとき、ファンファーレみたいに、どこかでニワトリが鳴いた。