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04 新しい季節(本編最終話)



 王都での夢のような冒険を経て、野百合の谷(リリエンタール)へと戻ってから早くも三日。

 私は以前にも増して、絶好調で剣の鍛錬に励んでいるわ!

 王都ではガイコツ魔術師と一悶着あったし、攻略方法の分からない珍獣に逃げられちゃったりもしたから、もっともっと強くならないとね。

 世界はきっと、もっと未知にあふれているのだから。


 鍛錬のあとは、マリアとお茶をすることにした。


「お天気も良いですし、お庭でお茶しませんか?」


 マリアにしては珍しい提案だったけれど、私はもちろん大賛成。さっそく鼻歌まじりにティーセットを準備する。そういえば春先に摘んだハーブが、きっといい具合にドライハーブになっている頃だわ。


「マリア、カモ―ミールティーにしていい?」


「はぁい。たしか戸棚にとっておきのお菓子があったはずなので、見つけて持っていきますね。リリちゃん、先に行っててくれますか」


「わかったわ!」


 私はお盆にティーセットを乗せて、庭に面したデッキへと向かう。

 青々とした庭の花木が、芝生にキラキラと木漏れ日を落としている。思えば私の誕生日から二週間しか経っていないけれど、景色はぐっと夏らしくなった。

 そんなことを考えていると、ふいに私を呼ぶ声がした。


「リーリエ」


「あら、フレイじゃない!」


 見れば、木漏れ日にまぎれるようにしてフレイが立っている。なによ、小動物みたいに庭に入ってきてたわけ? まあ別に構わないけれど。


「おやつにしましょう。今カモミールティーを淹れるところなの」


 私はデッキから飛び降り、小走りにフレイに駆け寄る。


「覚えてる? 四月にみんなでハーブを摘んで干したじゃない。あれがちょうど……」


「手、出して」


 私の言葉を遮って、フレイは無造作に自分の片手を突き出してきた。


「へ?」


「誕生日、おめでとう。遅くなったけど」


 そうぼそぼそと告げて、フレイは私の掌に、リボンの掛けられた小さな箱を乗せた。



「あ、あー……! ありがとう、嬉しいわ」



 それは本当に、思いがけないことだった。

 私はまばたきをして箱を見つめた。


(ああ、そういえば言ったっけ。お兄さまから花をもらった時に、『誕生日に何もくれない男の子より、ずっといいと思うけど』なんて)


 もしかして、ずっと気にしていたのかしら?

 我ながら無神経なことを言ったものだわ。


「開けてみてよ」


「え、ええ」


 私は箱の包装を慎重にほどいていく。最後にそっとふたを開けると、陽を受けてキラリと輝いたものがある。

 透き通った石の薔薇だ。

 フレイからのプレゼントは、薔薇をかたどった透明な石の付いた指輪だった。


「わあ……!」


 台座から外してみると、薔薇は私の掌に七色のプリズムを落とした。まるで魔法のようなその様子に心を奪われ、――けれど、ふいに私は不安になった。


「これ、もらっていいの? ……私が?」


 フレイは静かに頷き、私の目をまっすぐに見つめて応える。


「言ったでしょ、僕は君のことが好きなんだって」


 その静謐な深紅の前に、私は息を飲んだ。

 もう、逃げも誤魔化せもしない。


(言うしかないわ)


 私は意を決した。「一周目」に知ったことを、――ましてや他人の気持ちを明かすのはフェアじゃないけど、もはや言うしかないわ。


「ありがとう、フレイの気持ちは本当に嬉しい。……だけど、私は受け取れない。だって、マリアがあなたのことを好きなんだもの!」


 ――ああ、ついに言ってしまっ……



「そんなことは、ありませんよ」



 思いがけない声に、私はハッとして振り返った。お菓子を携えたマリアが、きょとんとした面持ちでたたずんでいた。


「マ、マリア……!」


「ごめんなさい、聞いてはいけないお話だと思いましたが、聞こえてしまったので、つい」


 私は心臓が止まる思いだった。

 むしろ止まってほしかった。なんでこうもタイミングが最悪なの?

 けれど次の瞬間、マリアは笑みを含んだ声でさらりと言った。


「リリちゃんったら、おかしな勘違いをしてますね。わたしがフレイくんのことを好き、だなんて」


「えっ」


 私は耳を疑った。

 どういうこと? その言い方じゃまるで、私が間違ってるみたいじゃない?


「マリア、あなたフレイのことが好きなの……でしょう?」


「いーえ?」


「そうなの⁉」


「ええ。これっぽっちも、全く、ぜんぜんです!」


 マリアはばっさりと言い切った。それから――ああ、お友達としては好きですからね、と急いでフレイに向けてフォローする。


 私の頭上に巨大なクエスチョンマークが浮かび、ピシピシとひび割れ、どっかーんと爆発した。


 たしかに、マリアが私に嘘をついたことなんてただの一度もないわ!

 じゃあ、私のほうがずっとマリアの気持ちを勘違いしてたってこと⁉

 ものすごく恥ずかしいんだけど‼


「ねえ、リリちゃん」


 悶絶する私の肩を、マリアがちょいちょいとつつく。


「わたしが好きなのは、リリちゃんなんですよ。わたしはリリちゃんが世界で一番大好きなんです。ほんとうに、世界で一番なんですよ!」


「そ、そうなの」


「ええ! ――ですから、問題なのはわたしの気持ちじゃなくってリリちゃんの気持ちですよ! それでは、わたしは退散しますからね」


 マリアはウインクをひとつしてみせると、足早に室内へと立ち去った。


(問題なのは、私の気持ち……)


 マリアの言葉が、胸の奥に長く長く響いていた。フレイの咳払いで、はっと我に返る。


「……あらためてだけど、受け取ってもらえる?」


 ひとつ深呼吸をして、私は頷いた。


 顔が真っ赤になっている自覚があるから、とうてい視線は上げられない。だって、私が当事者になるなんて、そんなこと思ってもみなかった。

 この十五年間――いいえ、もっと、ずっと。


 私の掌の中で、透明なバラが魔法みたいにきらきらと輝いていた。







(これで、よかったわ)


 リリちゃんとフレイくんを見届け、わたしはキッチンへと戻った。


 陽の入らないキッチンはひんやりとして、まるで世界の死角みたいだった。ずっとここにうずくまっていたい気もしたけれど、わたしは顔を上げた。

 どうせなら、一番光の当たるところへ行こう。


 採光窓にとびつき、足を掛け、身を乗り出して屋根の上へと昇る。こんなやんちゃは初めてだわ。


「わたしはリリちゃんが、世界で一番大好きなんですよ……」


 青空を見上げて、小さく繰り返してみる。

 本当は、「世界で一番」なんてものじゃない。リリちゃんはわたしの世界そのものだ。

 わたしの人生は、全部リリちゃんに貰ったものなのだから。



 数時間前、リリちゃんが剣のお稽古に出かけたあと、フレイくんがやって来た。


「マリア、頼みがあるんだ」


 リリちゃんに用事があるのかと思えば、意外にも彼はわたしを真剣な顔で見つめ、ある計画を打ち明けた。


「リーリエに誕生日のプレゼントを渡そうと思うんだ。ずっと用意してあったんだけどさ、結局今まで渡せずじまいだったから」


「ええ。リリちゃんも喜ぶと思いますよ」


「その時に、もう一度僕の気持ちを伝えようと思うんだ」


 リリちゃんの誕生日の少し前に起こった事件――フレイくんが思いを打ち明けて、その結果が微妙な感じになったことは、もちろんわたしも知っていた。


「……ええ」


 わたしはさりげなく頷いたけれど、胸がきゅっと痛んだ。

 フレイくんは、わたしの気持ちを知らない。わたしがリリちゃんに抱いている、名前の付けられない大きな大きな気持ちを。

 リリちゃんだって、気付いていないわ。


「マリアに頼みって言うのはね、……もしリーリエがトンチンカンなことを言いだしたら、それとなく訂正してくれると助かるんだ。リーリエは、何かものすごく誤解をしてるみたいだから」


「ええ、わかりました」


 わたしはフレイくんの頼みを引き受けた。

 どこの馬の骨ならばいざ知らず、彼は信頼のおける男の子だもの。





(これでいい。これで、良かったのよ)


 男の子にヤキモチを妬いたってしかたがない。それでリリちゃんを困らせるようなことがあるなら、なおさら。


 わたしは世界で一番リリちゃんが好き。

 それだけでいい。この気持ちはわたしの宝物であって、何ひとつ報いはいらないわ。



 屋根の上からは、野百合の谷(リリエンタール)の村が一望できた。

 今日も美しく平和そのもの。ここに悲しい顔なんて似合わないわ。


(……あら)


 誰かが、この領主邸に向かって歩いてくる。

 なんとなく見覚えのあるその姿を、わたしはじっと見つめる。

 すると、その人が顔を上げてわたしを見た。


 目が合うはずもない距離だったけれど、誰であるかハッキリと分かった。今日はあの重そうな鎧は着込んでいないけれど――。


「アーマイズさん」


「マトリカリア」


 急いで出迎えると、やはりアーマイズさんだった。彼は青みある銀色の目で、不思議そうにわたしを見つめた。


「なぜあんな所に?」


「とくに理由はありません。それよりも、アーマイズさんこそどうして野百合の谷に? ……ああ、フレイくんのおうちでしたら、もう少し手前のほうですよ」


「いや」


 アーマイズさんは短く否定し、携えている手荷物を私のほうに差し出した。


「君に用があって来た」


「わたしに?」


「マトアリカリア、君にこれを渡しに来た。――手紙のひとつも添えようと思ったが、何を書くべきか分からず、結局来てしまった」


 そう淡々と告げて、アーマイズさんは手荷物をわたしに持たせた。

 袋の中に大きな箱が入っている。けれど、大きさの割にはずいぶん軽い。


「ええと、これは……」


「ぬいぐるみだ」


「ぬいぐるみ?」


 一体、どういうことだろう。状況をつかみきれないまま袋の中の箱を見つめていると、アーマイズさんが踵を返す気配がした。


「それでは。顔を見られて良かった」


「ま、待ってください!」


 わたしはとっさに彼を呼びとめ、――次の瞬間、どうして自分でもそんな言葉が出たものだろうか――何か大きなものに背中を押されるように、弾かれるように言った。


「わたし、もういちど王都に行きたいです!」


 アーマイズさんが振り返る。

 ちょっと驚いた顔をしている。わたしだって驚いている。けれど自分の口からこぼれた言葉は、清水のようにわたし自身の中に沁みた。

 少しの沈黙ののち、アーマイズさんが応える。


「……今すぐに、というのは難しいが」


 そこでふいに言葉を区切り、アーマイズさんはふっと表情を崩した。


「不可能でもない。ただしマトリカリア、靴を履いてきてくれ」




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