04 リーリエと元・闇落ち少年〈2/2〉
「この部屋、少し前に見つけたんだけど」
そう言って、フレイは行き止まりの壁に漠然と手をついた。
すると突然、目の前にドアが現れた。――というよりも「見えるようになった」のだ。
「なにこれ⁉」
「このドア、目かくしの魔術が掛けてあるみたいなんだ。司書が掛けたんだろうね、僕たちお客さんには分からないようになってるんだ」
こうして、私たちが足を踏み入れた小部屋は、まさに魔境だった。
「すっごーい‼ ……うげっ、げほげほっ!」
思わず声をあげて、カビ臭さにむせ返ってしまう。
薄暗い小部屋の四方の壁に、天井まで届く大きな本棚が、ぎっちりと並べられている。
本の保管状態は……お世辞にも良いとは言いがたいわね。茶色く褪せた古書が、いたって乱暴に詰めこまれている。ちょっと突けば、今にもなだれ落ちちゃいそうだわ。
「いい所って、この部屋のこと?」
「うん。書庫だと思う」
「入っていいのかしら?」
「うーん、ダメかも」
「え⁉」
「しょうがないよ、こんな面白いとこ、見つけちゃったんだから!」
フレイはぱっと声を弾ませてから、ちょっと照れくさそうに「だから秘密だよ」とゴニョゴニョ付けたした。
(『見つけちゃった』って……)
簡単に言ってくれちゃうけど、私には、入口もなんにも見えなかったのだけれど。もちろん、他のお客さんだってそうでしょうよ。
もしかしてこの子、特殊な魔術の素養でもあったりするのかしら?
「そんなことよりさ、いろんな掘り出し物があるんだよ!」
ふいに、フレイの声音がワントーン上がる。
「稀書も奇書も禁書もゴミも、みーんな一緒くたに放り込んであるんだよ。すっごいと思わない? ここの司書って本当におバカさんだよ!」
思いがけず、私はハッとさせられる。
フレイの目が、感動できらきらと輝いている。相変わらず口は悪いけど、なによ、めちゃくちゃ良い笑顔じゃない!
「あなた、本が好きなのねえ」
私の口から、ため息のように言葉がこぼれる。
「うん。僕さ、司書になりたいんだよね」
その返答に、少し胸がどきっとした。いま当たり前に返ってきたのは、きっと特別な言葉だったわ。
「司書、……図書館で働きたいってこと?」
「そう。こういうこじんまりした所もいいけど、やっぱり王立図書館で働きたいよね。王都にある、迷宮みたいな図書館なんだ。なんならそこで死んでもいい」
「そこまで⁉」
ま、言うだけタダだよと茶化して、フレイはくすくすと笑う。
(な、なによなによ。今日はやけにかわいいじゃない……)
いやいや、ほだされちゃダメよリーリエ! この子はあの超ぶっころメンタル地雷野郎なんだから!
だけど意外だわ。一周目のフレイは「ザ・騎士!」って感じの人間だったのに。まあ正確には「騎士見習い」だけど、「いつか必ずマリアを救い出す」って、日夜となく鍛錬していたわ。
実際、ヤツの実力は相当なものだったし――
だから私は、つい口を滑らせてしまった。
「……それは、もったいないんじゃない? フレイは訓練さえすれば、すっごく強くなれるのよ。せっかくなら、誰かを守る騎士様なんてどうかしら? 絶対に向いてると思うけど」
「きし?」
フレイはぎこちなく反芻し、何度か目をぱちぱちさせた。
うーん、これは完全に「考えもしなかった単語を聞いた人」のリアクションだわ。
けれど、フレイは急に勢いよくそっぽを向くと、なんだかゴニョゴニョと呟いた。
「……ま、まあ考えてあげてもいいけどさ。でも必要ないんじゃない? 僕より君のほうが、圧倒的に強いんだから」
「へ?」
思わぬ言葉に、今度は私が目を丸くする。
「まあ、今のところはそうだけど、マリアを守る騎士なら何人いてもいいでしょう? もちろん私も、あの子を守れるだけ強くなりたいと思うし」
「え? あ、ああー……」
奇妙な間を含ませて、フレイは煮え切らない相槌を打った。
えっ、なにそのリアクション。私なにか間違ったことを言ったかしら?
それとも、急に好きな子の名前を出されて、照れちゃったってやつ?
「僕、そろそろ帰る」
心なしかむくれた顔で、フレイがくるりと背を向ける。
「へ?」
「じゃあね、リーリエ」
「えっと、あなたこの部屋に用事があったんじゃないの?」
「さあどうだろうね」
打って変わっての塩対応で、フレイはあっさりドアの向こう側へと消えた。
えっと……こんなところに放置されても困っちゃうんだけど……
(――って、しくじったわ!)
私はハッとして頭を抱えた。
どんな男の子にだってメンツがある。
なのに私ってば、勝手にしゃしゃり出て、「あなたは私よりも軟弱よね」「私のほうがマリアを守れますけど?」ってマウントかましたようなものじゃない!
しかも、司書になりたいフレイの話、完全にスルーしてしまった! 無神経オブ無神経じゃない‼
あわわ、傷ついたフレイが闇落ちしたらどうしよう! 今ここで図書館が爆発炎上しちゃうかも⁉ ――いや、それよりもなんか人間として謝らなきゃいけない気がする!
「フーレーイー‼」
私はダッシュでその背を追いかけ、タックル同然にしがみつく。
「リ……」
ぎょっとして振り返るフレイに、私は全力で訴える。
「司書さんになる夢、素敵よ、応援するわ! だけど知ってるの、あなたのほうが私より、ずっとずっと強くなれるんだって」
言葉が上手くまとまらないけど、どうか誠意だけでも届いて!
「だからね、将来あなたが何になったって、好きな女の子の一人くらいずっとずっと守ってよね、って言いたかったの!」
(――よし、肝心なことは言えたわ!
①フレイの夢を肯定し、②メンツを立て、③マリアを頼むぞという意思表示!)
「リ、リーリエ!」
フレイは慌てふためいて、私を振りほどいた。
おっと、勢いあまってしがみついたままだったわ。このまま投げ技でも掛けられるのかと思っちゃったわよね。
――ぱち、ぱちぱちぱちぱち。
緊迫した空気を割って、唐突に、周囲で拍手が鳴り始めた。
拍手は次第に大きくなる。気付けば私とフレイの周りに、図書館中の人たちが集まってきて拍手を送っているではないか。
(……やらかした‼)
盛大な拍手の中、私は察した。
これじゃあまるで、私が大声で告白したみたいじゃない⁉
「ちょ、ちょっと待って! これは誤解なのよ、ねえ皆さん!」
必死で弁解するけれど、皆さんちっとも聞いちゃいないわ! 気さくなおじさまおばさま方の「わかってるわかってる」みたいな笑顔が小憎らしい!
「リーリエ!」
ふいに、腕をつかまれる。
ハッとして向き直ると、フレイがものすごく真剣な顔をしてる。
「ねえフレイ、あなたも何とか言っ……」
「君が、何を誤解してるか知らないけど」
私の言葉を遮って、火がついたみたいに真っ赤な顔で、フレイはきっぱりと告げた。
「僕は、君が好きなんだけど!」